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作戦開始

 夜が明け、ついにこの日が来た。エリクサー社潜入の朝だ。


 白を基調とした巨大な箱型の建物は、夏の強い陽光を跳ね返し、異様な存在感を放っている。敷地を囲む塀は高く、その上部には等間隔に監視カメラがこちらを睨んでいた。


「本日、見学をお願いしておりました如月と申します」

 正門の守衛所に立つ若い男へ、部長が極上の微笑みを向ける。


 男は一瞬、言葉を失ったように見惚れていたが、慌てて背筋を伸ばした。

「あ、はい! お話は伺っております。こちらにご記帳の上、このプレートを着用してください」


 差し出された五つの『Visitor』プレートを受け取る。デレデレと鼻の下を伸ばす守衛を見ながら、俺は心中で(無理もないさ)と毒づいた。如月部長の魔力は、訓練されたプロでもなければ贖えるものではない。


 エレベーターで五階へ向かうよう指示を受け、俺たちは歩き出す。

 堂々とした部長とは対照的に、不安を隠せない遙の肩が硬くなっている。俺はわざと軽い調子で声をかけた。


「なあ遙、この建物、デカい豆腐みたいで美味そうじゃないか?」


「はぁ? 奏太、あんた緊張感って言葉を知らないの? 豆腐って……昨日あんなに食べたのに、まだ食べ物のこと考えてるのね」


 呆れ顔の遙に、ようやく笑みが戻る。


「窓が一つもないなんて、不気味ですね」

 ……優弥、お前というやつは! せっかくのフォローを台無しにするな。


 エントランスに一歩踏み入ると、そこには人工的な白の世界が広がっていた。中央には『ELIXIR』という巨大な立体ロゴが鎮座し、空気中にはどこか非現実的な、甘い花の香りが漂っている。


 涼しげな笑顔を浮かべる受付嬢に促され、俺たちはエレベーターに乗り込んだ。

 五階に到着し、扉が開くと、一人の男が俺たちを待っていた。


 グレーのスーツを完璧に着こなし、スクエア型の眼鏡の奥で切れ長の瞳が光る。三十代前半だろうか、いかにも知的な印象を与える男だ。


「ようこそ。本日、見学を担当させていただきます郷間ゴウマです。よろしくお願いします」

 響きのいいバリトンボイスでそう言い、彼は薄い笑みを浮かべた。その丁寧な物腰の裏に、何らかの隠匿したい事実を隠しているのは、俺の先入観だけではないはずだ。


 郷間が会社概要の説明を始める。俺はその言葉を半分聞き流しながら、壁に貼られたフロアガイドに視線を走らせた。


『六階:中央制御室』


 あそこだ。あそこに、この国の命運を握る心臓部がある。


『目的地が分かったみたいね……』

 不意に、真横から声が響いた。

 見ると、いつの間にか黄色いサマーニットを着たショートカットの女性が、俺と並んで歩いている。他の連中の反応はない。彼女の姿と声は、俺の脳内にだけマッピングされているのだ。


「……久しぶりだな、イア」

 誰にも聞こえないほどの小声で呟く。イアは不敵な笑みを浮かべ、俺の顔を覗き込んだ。


『さあ、始めましょうか。……よろしくね、奏太君』

 心臓の鼓動が、一段と速まる。


 ── 作戦開始だ。

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