海だ
「……いいよな」と、本田先輩は目を細める。
「……はい、とても」と、関くんは頷く。
「綺麗ですね。……実に、美しい」と、俺は涙を浮かべた。
何が、とは聞かないでほしい。
燦然と輝く太陽を反射する青い海。それも確かだが、弾ける飛沫の中に躍動する水着姿の……。
つまり、なんだ。良いものは良い。理屈ではない。海が、夏が、俺たちの本能を呼び覚ましているのだ。
「そこの三人は、いつまで見惚れているのかしら?」
白いビキニを纏った部長が、いたずらっぽく微笑む。悩殺が罪になるのなら、彼女は間違いなく極刑だろう。
「奏太だけじゃなく、先輩までなんて顔してるんですか!」
遙、お前もいつの間にか、そんなに……いや、なんでもない。
「奏太君、一緒に泳ぎましょうよ!」
由紀さんの誘いに、喜んで、と一歩踏み出しかけたが、横に立つ遙の目が笑っていないことに気づき、俺は慌てて波打ち際へ逃げ込んだ。
楽しい時間に理由は要らない。そして、それは残酷なほどあっという間に過ぎ去っていく。
気づけば辺りは茜色に染まり、さざめく波の音と緩やかな海風が、火照った体に心地よく吹き付けていた。
「あー! 楽しかった!」
大きな一枚岩の上に並んで腰掛け、遙が夕日に向かって叫ぶ。
「本当に傑作だったよ。特に、遙が躓いて顔から派手に砂だらけになったシーンはな」
「ちょっと! その記憶は墓場まで持ってって!」
二人して声を上げて笑う。だが、笑い声が潮騒に溶けて消えると、沈みゆく夕日を前に、しばしの沈黙が訪れた。
「……明後日、大丈夫よね」
ポツリと、遙が漏らす。気丈に振る舞っていても、彼女の不安が消えることはない。
「ああ、きっと上手く行くさ。俺を信じてくれ」
俺の言葉に、遙はどこか遠くを見つめるような視線を投げた。
「奏太、覚えてる? あなたが怪我をしたあの試合の日も、全く同じことを言ってたわ……。なんだか私、嫌な予感がして」
── そうだったか。
本当は、俺だって器が小さいんだ。軽口を叩いていないと、不安に押しつぶされそうになる。
「問題ないさ。ぱぱっと終わらせて、さっさと脱出するだけだよ」
怯えていても、運命の歯車は止まらない。ならば、笑って前に進むしかない。
「本当にお気楽なんだから……」
遙が小さく笑う。その微かな笑顔を守るためなら、俺はなんだってする。
俺は立ち上がると、海水パンツにこびりついた砂を払った。
「さて! そろそろ帰ろうぜ。カレーが俺たちを待っているはずだ!」
砂浜をゆっくりと歩き出す。等間隔に響く波の音は、不安な心を洗い流してくれるかのようだった。
ふと顔を上げると、エリクサー社の建物が視界に入った。
昼間の冷徹な白さは消え失せ、夕日を浴びたその姿は、まるで誰かの返り血を浴びたかのような、禍々しい赤に染まっていた。




