第四章 明日の君へ
僕はいつもの桜の木へ行く。
もちろん毎日通うつもりだ。
何か特別な事がなければ。
そのまま僕はいつもと変わらない道を辿る。
森をかいくぐった先にある大木。
そこに誰かが立っていた。
前の奴だ。
「久し振りだな」
「えっ? あ、うん」
困惑した表情だった。
ミスマッチ。
「桜に合わない顔をしてるぞ。何かあったのか?」
そうすると春奈は笑顔を作って言った。
「いや、別に何もないよ」
「そうか。ならいいけど」
そして僕は大木のもとに座った。
桜は少し緑っぽくなっている。
だが、それもいい。
季節の移り変わりを感じる。
そんな桜を眺めながら僕は春奈に話しかけた。
「最近どうだ?
「……う~ん……」
彼女は困惑しながらも答えてくれた。
「好きな人が出来たかな」
「ちなみにどんな人だ?答えたくないなら答えなくていいぞ」
春奈はまた笑顔になって言った。
「春樹みたいな人」
「僕みたいな人?」
少し考えてみる。
どんな人なのだろうか。
僕みたいな人……
自分じゃ自分の性格なんて分からないか。
桜の花びらが舞う。
それは僕に何かを伝えたいように。
すっと通り過ぎていく。
綺麗。
その一言しか言えない光景である。
「それならそっちは何かあった?」
「中学校に入学したよ」
「私も今日だよ!!」
「えっ? 同級生?」
「奇遇だね」
僕は春奈の少し大人びた性格から完全に年上だと確信していたのだが。
違ったのか。
そしてそれから会話は無く、ただひたすらに桜を見ていた。
______見入っていたらもう夕方になっていた。
春奈がいるかどうか確認した。
流石にもう帰っていた。
彼女の姿はなく、独り森から出た。
その時だろうか。
僕のなかで何かが変わる。
分からない。
それが何かが。
何かが抜けていって、何かが入ってくる。
不思議な感覚だった。
気にすることは無いと思いそのまま帰った。
__今日もいつもの桜に行く……予定だった。
春奈に半強制的にカフェに連れていかれた。
あまりこういうことはしたくないのだが。
と、いう訳で僕はカフェに居る。
どこか落ち着く、そんなとこだ。
座っているのはその角だ。
目立ちたくない。
その思いが強かった。
そこで僕は春奈に話しかけた。
「一体なんの用なんだ?」
そこで春奈は真剣な顔をして言った。
「昨日までの事で、私について覚えていることはある?」
唐突にそう聞かれた。
でもここでそう聞かれてわかった。
僕は春奈のことについて何もしらない。
だからしっかりとした答えを出した。
「確かに……僕はお前について名前しか知らない」
「じゃあさ、初めて私と会ったのはいつ?」
僕は砂糖とミルクたっぷりのコーヒーを一口すすってから言った。
「入学式……だろ?」
「嘘じゃないよね?」
「オフ コース」
明らかに片仮名の発音の下手くそな英語でそう言った。
そうすると春奈は笑みを浮かべた。
「ふふっ……じゃあさっさと飲んで帰りましょうか」
僕の発言にはスルーなのなっていうのを心の中で押し留めた。
僕はコーヒーを全てすすって席を立つ。
お会計をして、春奈と別れる。
ドアを開ける。
清々しい風がふく。
桜の花びらが頬につく。
僕はそれをとってからいつもの桜に向かった。
道中僕は考える。
春奈と昨日まで何度か喋ったような記憶はある。
なのにその内容は覚えてない。
どうしてこんな現象が起こっているのかが分からない。
直に分かるものなのだろうか。
解決策はあるのか、僕が何かしらの病気なのか。
どうなのだろう。
僕は森に入る。
また前と同じような感覚が起きた。
頭の中から何かが消える。
でもそれがなんなのかは分からない。
草をかいくぐって見えるのはほぼ緑の桜。
毎年これを見ると春が終わったなと感じる。
でもそれは周りの桜の木。
中心にある大木の花はほとんど散っていない。
この桜の木だけ散るのが遅いというのは今回だけではない。
むしろ毎年遅くなっている。
桜が長く見れるから嬉しいのだが。
そしてその桜の下にいつもの奴がいた。
僕はいつもの位置に座って言った。
「散ったなー」
そうすると春奈が反応する。
「そーだねー」
それから僕達は他愛のない雑談をした。
好きな給食だとか、教科だとか。
そんなくだらないことをただひたすらに話していた。
春奈とこんな雑談をするのは多分初めてだ。
そう……多分……
「ところでさ」
今までの話を後にして僕に春奈が聞いてくる。
「前会ったのって、いつだっけ」
「昨日じゃないか?」
何故こんなことを聞いてきたのか。
その意図は春奈にしか分からない。
でも何か訳があるというのは間違っていないはず。
「本気?」
「もちろん」
「じゃあさ……」
すると春奈がまた不思議なことを聞いてきた。
「昨日、何を話した?」
「………………」
思い出そうとすると、頭がズキズキと痛む。
そんなことしたらだめだ。
そういう警告のような感覚がした。
無理に思い出す意味もないだろう。
だから僕はしっかりと言っておいた。
「ごめん……何故か、全く覚えてないんだ……」
「そうだよね」
即答された。
春奈はその後も言葉を続けた。
「実はこの質問、今日で二回目なんだよ」
「……え?」
「さっきカフェ行ったよね?」
「誰かと行ったような気がする」
「それ、私」
色々と分かってきた。
恐らく春奈が言ってることは正しい。
勘だが。
「推測だけど、紙にまとめてみたから、無くさないようにしといてね」
僕はわたされた四つ折りの紙を読んだ。
『《春樹の記憶について》(推測)
・私についての記憶は森と外とでは共有出来ない。
・私についての記憶は日付をこえると名前と会ったこと以外忘れる。』
納得である。
「無くさないよ」
「あとさ、話したことをノートとかに記録しない?」
名案ではある。
でも面倒くさいことはしたくない。
「そんなに覚えててほしいならメール送ってよ」
これこそ僕にとっていいことである。
「メールアドレス教えるからその紙に書かせて」
春奈はペンを出す。
なんと用意がいいんだろう。
紙をすっと奪ってスラスラと書く。
僕はその紙を再び受け取る。
そのまま四つ折りしてポケットに入れた。
「もう私とのこと忘れない?」
「ここまでしてもらって忘れるわけないだろ」
本当は何もかも分かってたのかもしれない。
頭がズキズキと痛む。
それを恐れて。
僕は逃げるという麻薬を服用しているのだ。
それも、何回も。
そんなことを考えて、ポケットの中に紙をしまう。
「じゃあ一緒に帰るか」
「私はもう少ししてから帰るから先に行ってて」
その言葉を後に僕は森を出たのだった。
これで僕はもう家に帰るつもりだった。
でもその時、僕の中の誰かが言う。
〈帰るな、戻れ〉……と。
こんなとき、どうすればいいのだろうか。
戻るべきだろうか。
答えは一つしかないだろう。
戻る……だ。
僕は後ろを向いて走る。
景色なんて見ていられない。
何だか、嫌な予感がする。
走って、走って、走って、走って……
桜に着いた。
そこで春奈は沢山の光になってこの桜の木に吸収されていく。
「春奈! これはどういうことだ!!!!!!!!!」
そこで春奈は瞳を閉じて言った。
「もう……時間がないの……」
「それってどういう……」
「いいじゃない……私との思い出なんてないんだから」
確かに、彼女との記憶なんて一切ない。
それでも僕は春奈が大事な気がして仕方ない。
だから、無理にでも思いだす。
頭がズキズキと痛む。
でももう逃げない。
取り戻してみせる。
彼女についての記憶を……
__僕は、桜を見ていた。
何も知らずに。
ご飯を食べなくても、水を飲まなくても、行きていけた。
外には行けなかった。
雨も降らなかった。
ただただ一人で桜を見ている。
やがて立つことを覚える。
早速桜の大木にそっと手を当てて、その温もりを感じる。
毎日毎日、桜を眺める日々。
でも何故か知能だけはついていった。
だからいつの間にか言葉を覚えていたし、話も聞くことができた。
退屈な日々。
だがある時一人の少女が現れた。
小声で何かいわれたような気がしたあと、外に出れるようになった。
森を出たら視界が暗転。
次に目覚めた場所は家。
記憶は上書きされていて、同居している男女は両親、行かなければならない小学校。
暮らすために必要なことを全知していた。
でも、一つだけ忘れられないものがあったのだ。
満開の桜、その幻想的な光景。
不思議なことにその森までの道のりを全て覚えていたのだ__
僕は昔のことを思いだす。
孤独で、でもどこか素敵な過去。
でも不可解な点があった。
「あの時の少女、それはもしかしたら…」
そう、あの少女。
僕が外に出るきっかけになった少女である。
「思い出したんだね…」
言葉から察するに、そういうことなんだろう。
「……あぁ」
「じゃあ、ここから消える前に…全てを話そうかな…非現実的だけど、信じて……」
彼女は語り始めた。
「私はこの桜の木そのものなの。そして貴方は神の子。神様にならなければならない存在。あなたの両親は春樹が神になるまでこの森に閉じ込めることにしたの。だから貴方はいつだって私の傍に居てくれた。そんな貴方と話がしたくて、人として話してみたくて、私はあなたに夢を見せることにした。もしも春樹と私が人間だったらっていう夢を。でも、一つだけ誤算だった。あなたは私についての記憶を覚えられなかったこと。おおよその理由は分かる。この森と外は世界が違うから。ここは天界、あっちは地球。私は天界のものだから、地球の人間であるという設定のあなたに覚えてもらえなかったんだと思う。でも春樹は…この桜と私の存在だけは覚えてくれていた。だからこそあなたと会話ができた。でも、覚えてくれなかったことは嫌じゃない。私の目的はあなたと話す、それだけだったから。でも私はもうじき夢から覚める。だから消えかけてる………私からは以上。」
僕は自然とその言葉は本当だと思えている。
……本当なんだろう。
気がつけば春奈の体は半分以上消えていた。
何故か目から涙が溢れる。
拭っても、拭っても、どんどんと出てくる。
今の気持ちは分からない。
だけど………
春奈には、聞かなきゃいけないことがあるだろう。
「春奈……お前は明日になっても僕のことを忘れないか?夢から覚めても、僕を忘れないか?」
「……」
春奈は表情ひとつ変えず、無言を貫き通す。
でもそれはバックの桜と同化しているような感じがした。
彼女の顔は、まさに桜だ。
忘れない、彼女はそう言っている気がして仕方がない。
いつの間にかその笑顔は消えていて、森には僕独りがぽつんと立っていた。
僕の記憶には何も残っていない。
何故ここにいるのかも、なにがあったのかも。
ただただ溢れるものは涙だけだった。
__ここまできたら皆もだいたい察しがつくだろう。
当時の僕もいつかは夢から覚める。
神になる、その時まで。
もう物語は終わったようなものにみえる。
でもここで終わらなかった。
あれはただの紙切れのはずだったのに__