生まれたての廃寺(7)
九月十一日 午後十一時三十八分 廃寺周辺(山道)
「ね、ねえ。さつきちゃん。まだなの?」
「うん、ここも敷地だから。このまま下がったほうがいい」
廃寺の駐車場を通り過ぎ山道に入ってからも、さつきとショーコは後ろ向きで進んでいた。
「でもさ、もうここ道だよ。さすがに廃寺の意識も届いてないと」
「だめ。まだ外灯の光が見えるし。完全に暗闇になってから」
さつきはカーブを曲がった先にある外灯を指差して言った。
「さつきちゃん。慎重なのはいいことなんだけど時としてそれは」
ショーコが立ち止まり、振り返って先に進んでいたさつきを見た瞬間、
「うん、もう大丈夫」
と言いいながらさつきは方向転換し全力で坂を駆け下りた。
「ちょ、ちょっと。そういう急に走るの一番怪我するって!」
ショーコは廃寺とさつきを交互に見た後、端末のライトを点け道を照らしながら小走りで追いかけた。
カーブを二、三つ通り過ぎた後、道沿いに置かれた地蔵を見つけたさつきは立ち止まった。そして肩で息をしながら上を見上げると、端末のライトが揺れながら移動しているのが見え、大きく息を吸って腰に手を当てた。
「さ、さつきちゃん。こういう話があるんだよ。はあはあ。十人兵がいてね、そのなかに、はあはあ、凄腕のえげつないのが三、四人いるグループが自由に戦うとするでしょ。あ、他の人は平均ね」
「はあ?なによ。それ」
「はあはあ、それとね。あんまりできないのが一人いる、あとは平均のグループができない人に合わせて、戦うとね。はあはあ、その出来ないのに合わせたグループが勝んだよ、はあはあ。っていうのを漫画でね、はあはあ」
膝に両手を当て喋っていたショーコは、しゃがみ込みながらさつきを見た。
「で、何がいいたいの?」
さつきは舗装された山道から、草をかきわけて地蔵の後ろに移動し中腰になった。
「いや。だからね。そのチームプレイっていうのがって。え?なんで地蔵?」
「深い意味はないけど。一応ね」
端末を取り出してタイマーを確認しながらさつきは言った。
「ああー。セーフエリア的なやつね。なるほどなるほど」
ショーコは地蔵に礼をし、回り込んでさつきの横に座った。
「近いから!もうちょっと離れてよね」
さつきは時間が進んでいる端末のタイマーを凝視していた。
「でもタイマーなんて見ながら何を待ってるの?」
「だから一応って言ってるじゃない」
「一応って。あ、もしかして廃寺の念が、こう黒い影みたいになって上から、がーって追いかけてくる感じ?んでそれをやり過ごそうと?」
「イメージは違うけどね」
「なるほどねえ。わたしたち見えないからねえ。タイマーで何となく時間を計算するしかないかあ」
「まあそういうことなんだけど」
「わたし最初がわかんないから、今からやっても無駄だよねえ」
ショーコは端末の画面を見ながら言った。
「そうね。もう今からじゃ捉えきれないと思うけど」
「じゃあ、さつきちゃんのタイミングに合わせるよ」
野球ゲームのアプリを起動し、ショーコは地面に座り込んだ。
「はいはい。あんたは好きにしてればいいから」
さつきはタイマーの時間を気にしながら、時折山道を注意深く観察した。
「ねえ、もう行ったんじゃない?廃寺の念」
ショーコは中腰のままのさつきを見た。
「行ったと思うけど。今下ったら余計あぶないかもしれないじゃない」
「ああー。なるほど。廃寺の念の黒くてでかいのが、下に行って上に戻ってくるところで正面から鉢合わせってことね。たしかにそれは考えうる最悪の状況」
「だから最適の状況でここから出ないと」
あんたにはわからないと思うけど。さつきはそう続けて山道を見つめた。
「ふ、いわゆるあれだよ。廃寺の念のことぐらいわかるよ、ばかやろう。だよ」
「は?なによ。それ」
「こういうことでしょ」
ショーコは指を立てて左右に動かした。
「廃寺の念は侵入者を探すため、規則的に下の道路から廃寺までの山道を周回、つまり山道の登って下るというのを繰り返してるんじゃないかなあ。だから廃寺の念が、上に向かっている状態で、わたしたちの前を通り過ぎた瞬間を狙って飛び出す。そして一気に下まで走り抜ける。これでしょ?」
へえ。さつきはそう言ってショーコの方に体を向けた。
「わかってんなら協力しなさいよ。六十二秒後に行くから」
「おっけい。さつきちゃんの計算を信じるよ」
ショーコは屈伸しながら親指を立てた。
「ねえ、さつきちゃん」
ショーコは木々で隠れた空を見上げた。
「なによ」
「わたしさあ。平日の夜に地蔵の後ろに座り込んで、夜空を見たことなんてなかったよ。なんかさつきちゃんといると、いっつも初めてのことばっかりだねえ」
「そういうのいいから。あと二十秒」
「ええ、いいじゃん。こんな状況センチメンタル過剰にもなるってー」
「無事家に帰ってから好きなだけ浸りなさい」
さつきは立ち上がって、じゅう、きゅう、はち、とカウントを始めた。
「お?計算では今登ってきてんだね?廃寺が」
「いくよ。さん、に」
さつきはそう言いながら道に飛び出し、全力で坂を下った。
「え、うそ!ぜろっ!で行くんじゃないの!?」
ショーコは体勢を崩しながらもさつきを追いかけた。
「ね、ねえ。さつきちゃん」
さつきはスピードを少し落とし、ショーコが追いついてから再び全力で走り出した。
「は、ふ。なに」
「い、いまからでも遅くないよ。う、運動部に入ってみれば」
「は?三年は引退してるでしょ」
「で、でもだね」
「は、は。ほら、先行くから」
さつきは横にいるショーコを見た後、スピードを上げた。
「ちょ、ちょっと待ってよ!さつきちゃーん!」
ショーコは膝に手をついて、はあはあ。と息を切らしながら右手を伸ばした。
「はあはあ、早く。自転車に」
先に山道入り口に着いていたさつきは自分の自転車のサドルに手を付き、息を整えていた。
「おうらい、ぐ。か、鍵が」
ショーコはダイヤル式の鍵を持って震えていた。
「はやく、何やってんのよ!」
「暗くて、み、見えないし。それに走った疲れで手が震えて・・・」
「疲れは手に関係ないでしょ!ちょっと貸しなさい、あんたは照らして!」
さつきはショーコの自転車の横にしゃがみ込んだ。
「何番なの!」
「よ、ろ、し、く!」
「はあ!何よそれ!」
「数字でよろしく!だよ」
「ああ、もう。最初っから」
さつきはショーコの端末の光で、鍵を確認し、四六四九に合わせた。
「よし!行ける。」
「ありがとう!さつきちゃん、いっくよー!」
ショーコはさつきがカギを外した瞬間、自転車に飛び乗った。そしてさつきは走りさったショーコの自転車の鍵を持ってしばらく見ていた。
「あ、あのばか!じ、自分だけ!」
急いで自分の自転車の鍵を外し、カゴに鞄とショーコの鍵を入れた後、さつきはショーコを追いかけた。
「ちょっとショーコ!あんたどういうつもりよ!」
ショーコに追いつき自転車で並走しながらさつきは言った。
「ご、ごめん。なんか体が勝手に。わたしじゃないんだよ、体が勝手に!」
「ほんともう!いい加減に」
「すまねえ。この失態は今度いつものファミレスでおごるということでなんとか」
「そう、じゃあ今から」
「え・・・?そんな。社交辞令だよ。ほら会話の間を埋めるだけのっていうか」
「今後は、今だから」
「ぐあああ。言っちいまったよお!なんてこったー!」
ショーコは自転車を停めて頭を抱えた。
「いやあ、協力ありがとう。最悪、枝豆と水で過ごすことも覚悟したよ」
「よくないし!っていうかほんとに恥ずかしいから!」
これが悲しみと諦めが混ざった顔だよ。とショーコはひきつった顔で笑いながらファミレスのドアを開け、さつきとショーコは数組しかいないファミレス店内の奥側に通された。
さつきはミックスグリルとパンとドリンクバーのセットを、ショーコはライス、みそ汁のセットのみを注文しようとしたが、なにかハンバーグやステーキ等のメインを頼まないと、ライスのセットは頼めない。と店員に言われたため、さつきが二個セットを頼みたいと言っているのを自分が代弁しただけだ、とショーコは店員を説得し、さつきの頼んだ付け合わせのポテトとソースを少し、とウインナー半分を貰い、ライスのセットを食べていた。
「ライスのセットだけだと頼めないんだねえ。でもうまくいってよかった。ちょっと前の順ちゃんラーメンの出費で我が家の食費がねえ」
「あんたに頼んだわたしがばかだった。もう次は貸すから」
「ひゅうう、ありがてえ。あ、でさ」
「なによ」
「命からがら逃げおおせた後になんだけど。次の廃屋、これなんてどう?」
ショーコは端末をさつきに渡した。
「次って、あんた。え。はあ?廃バス屋敷・・・?」
「そうだよ!文字だけだと、どんなものかすらわからない。これは興味深いよねえ」
「だからあ!廃、バス、屋敷が全部別のものじゃない!なんなのよこれ」
「まあ心配なのはどんなものかわからないから見つけられるかっていう。それか、あああ!忘れてたああ!」
ショーコは端末を握りしめてドリンクバーのコーラを一気飲みした。
「は?なによ」
「こ、これを。ここに行こうと思ってたんだよ、うう」
ショーコは画面を見せながらうつむいた。
「え?なにこれ。廃養豚場・・・?」
「うん。だから最初コクガクで豚の本を借りて研究しようと思ったんだ。ここに寄る伏線というか。現地で役に立つと思って」
「でもここってただの廃業した養豚場でしょ?」
「違うよ!全然別物だし。だって廃養豚場だよ!だってねえ、考えてみてよ。普通の霊の画像や動画は山ほどあるけどさ。豚の霊なんて見たことないよ。その価値ってすごいんじゃない?もしわたしたちがそれを収められたら、何かの賞もらえるよ!」
「いや、だから。それを言ったら養豚場でもいいじゃない」
「はっ。い、言われてみれば」
「もう、もっとまともな廃屋探しなさいよ」
「えー、いいと思うけどなー。あ、それにさ養豚場なら、霊の豚の鳴き声なのか、そこにいる豚の鳴き声なのかわからないけど、廃養豚場なら豚の鳴き声がしたらねえ。ねえ、さつきちゃん。それってつまり、もう豚の霊じゃん!」
「だからあ、面白ければいいってもんじゃないから。もっと丁寧に探しなさい」
「イノシシのバイトももかなり近いものがあるんだけどさあ。あれも実際あそこにイノシシいるから、いまいち霊か本物かわかんないし」
「だからそういう、あ。すいません。これ下げてもらって大丈夫です」
さつきは近くに通りがった店員に声を掛けた。