十五前後物語(6)
八月十七日 午後七時五十分 大竹旅館内
六十代女性は、食べるときここにあるの使っていいから。とテーブルをとんとんと叩いて言い、ダイニング横のリビングスペースでテレビを観始めた。
ダイニングには四人掛け程度のテーブルがあったが、半分のスペースはポット、ふりかけ、お茶、調味料、新聞、広告のちらし、はがき、封があいたせんべい等で埋めつくされており、残りのスペースに、皿に盛ったそうめん、また二脚の椅子の前には、二人が食べるときに使ったと思われる、そうめんつゆ、箸が置かれていた。
「ねえ、そこにあるものって」
さつきはテーブルを見た。
「この食べかけのそうめんつゆを使えってことなの?さすがにわたしでもこれはきついよ、さつきちゃん・・・」
「わたしだって無理、絶対無理!どうするのよ、これ!」
そうめんつゆと箸を指差して小声でさつきは言った。
「だめだよ!さつきちゃん、向こうに聞こえちゃう!」
六十代女性の横には、夫と思われる六十代男性がおり、二人共に一人掛けのマッサージチェアのようなものに座り、テレビを観ていた。
二人がいるスペースは間仕切りなどなくダイニングと同じ空間であるため、さつき、ショーコ、カメ子は二人に背を向ける形でテーブルの前に立っていた。
「高野さん、とりあえず座ってそれから考えれば」
カメ子は呆然とテーブルを見ているさつきに言った。
「そ、そうだね。カメ子ちゃん。ほらさつきちゃんも」
さつきとショーコは対面する形で椅子に座り、カメ子は二人の間に立った。
「ねえ、さつきちゃん。これってさ、明らかに食べ残し感が。そうめんも中途半端な、一人分ぐらいの量だし」
「どういう意図なの?あの人、全然わからないんだけど」
「・・・わたし聞いてみる、待ってて」
カメ子は二人にそう言い、リビングに少し近づいて、すいません。と二人に向けて言った。
「あのう、これって。どうやって食べれば」
「いいから、そこにあるもの使って」
六十代女性はカメ子を見ずに言った。六十代男性はカメ子の声が聞こえているのかわからない様子で、テレビを観続けていた。
「あ、はい。すいません・・・」
カメ子は軽く頭を下げ、テーブルに戻った。
「カメ子ちゃん。観客席から見てたよ、うん。頑張ってた」
ショーコはうつむいているカメ子に声を掛けた。
「三人で分けましょう。しょうがないから」
さつきは手を皿に持って行き一瞬躊躇した後、そうめんを掴んで口に入れた。
「た、高野さん。そ、そこまでして!」
「早く終わらせたいの」
「さつきちゃんの意志、伝わったよ!」
ショーコも勢いよく手を出し、そうめんを掴んだ。
「味しない、硬い、まずい・・・」
口を動かしながらショーコは呟いた。
「じゃあ、わたしも」
三人が食べた後、皿には最初の三分の二程度のそうめんが残っていた。
「ねえ、さつきちゃん。あの二人は敵なの、味方なの?」
「よくわからないけど。敵寄りかな」
現時点ではね。さつきは皿に残ったそうめんを見ながら言った。
「高野さん、頑張ろう。あと二周すれば終わるよ!」
「うんうん。でもこれは味を何か付けた方が」
ショーコは食卓にあった醤油を持った。
「ちょっと!やめ」
さつきは止めたが、え?と言いながらショーコはさつきを見ながら醤油を掛けた。
「これで少しは」
ショーコはそうめんを掴んで食べ、さつきとカメ子はショーコをじっと見ていた。
「おぐう。うう」
ショーコは口を押え、目を閉じ飲み込んだ。
「はあはあ、おいしかったよ。さつきちゃん、どうぞ」
「いや、嘘はいい。大体わかってるから」
さつきは醤油が掛かっていない部分を掴み食べた。
「自分のしたことに責任を持つんだな」
カメ子は皿を傾けて醤油をよけ、比較的残っている普通のそうめんを食べた。
「ねえ、もういいんじゃないの?これ」
さつきは残っているそうめんを指差した。
「だめだよ、さつきちゃん。醤油つけちゃったし、より失礼な感じになっちゃうよ!」
「それはあんたが余計なことをしたから」
「大丈夫、わたしで終わらすよ。この連鎖を」
ショーコは残ったそうめんを一気に掴み、食べた。そして、うう。といい口を押えたまま喋らなくなった。
「いったな。じゃあ高野さん。部屋いこう」
「そうね」
ありがとうございました。とさつきとカメ子は二人に声を掛けた後、部屋を出て、風呂、トイレの位置を確認し、階段を登り二階の部屋に向かった。ショーコは無言で口を押え二人に付いて言った。
「思ったより広いじゃない」
「そうだね、これならゴミと密着しなくても済む」
部屋は三人でもゆったり過ごすとこが出来る広さの和室で、ベランダはないが角部屋のため二面に窓が付いていた。
口に手を付けていたショーコは、部屋に入った瞬間リュックからコーラを取り出し、一気に流し込んだ。
「はあはあ、あぶないところだったよ」
ショーコは部屋にあったティッシュで口を拭いた。
「あんたが余計なことするからでしょ」
「そのまま詰まらせてもよかったんだぞ。救急車ぐらいは呼んでやったのに」
「で、どうする?やっぱり旅館だからさ。お札チェックしとく?」
ショーコは部屋にあった大きなテーブルの下を覗き込んだ。
「はあ?なんだよ、それは」
カメ子はかがんでテーブルを見た。
「なんかねえ、事故とかねえ、よくないことがあった部屋だとお札が貼ってあるんだよ、これは全国共通なんだ。んで、それがわかったら部屋変えてもらってもいいらしい。宿泊者の正当な権利として」
「けっこう、この辺にもあったりするんだって」
さつきは押入れを開け、天井を見た後、上下を分けている板を下から覗き込んだ。
その後、三人は部屋の中をくまなくチェックし、お札がないことがわかると、座布団を取り出してくつろいだ。
「さっきここ来るときさ。コインランドリーあったよね」
さつきは鞄を開けながら言った。
「あー、あったあった。洗濯するの?」
「さすがに今日の服はもう無理。昨日着替えたの洗って明日着る。亀山さんは?制服だけど」
「わたしもう一組持って来てるんだ。昨日着替えなかったから、中だけ洗って取り換えようかな」
「いやー、わたしは服の替えなくてさあ。あ!そうだ」
ショーコは押入れから浴衣を取り出した。
「これ着て行って今日の全部洗おう。スカートも洗濯可ってなってたし」
「それで外行くって。大丈夫なの?」
「大丈夫!ここ温泉街だよ。溶け込んで溶け込んでもう、何がなんだか見分けがつかないよ」
「高野さん、わたし部屋に残ってていい?昨日覚えたお経ちょっと試してみようかと」
「ひゅうう!練習がてら覚えた技を試し打ちかい。ここに霊がいたらおどろくだろうね、まさかそんな客が来るとはって!」
「あ、じゃあ。わたし亀山さんの洗ってくるよ」
「ありがとう!高野さんお願い」
カメ子はビニール袋を渡した。
「おっけえ!」
ショーコはカメ子とさつきが話している間に浴衣に着替えていた。
「あんたいつのまに・・・。じゃあ、行こうか」
さつきとショーコは外に出た。
「さつきちゃん、ごめん。間違ってた。ここ温泉街じゃない、住宅街だよ・・・」
「だから言ったのに」
さつきとショーコは大きな道から一本中に入った小道を歩いていた。
「もうちょっと行ったところに、あ!ほら、あれ」
さつきはコインランドリーの看板を指差した。
「おお、あそこかあ。早く洗って早く帰ろう!」
ショーコは浴衣の裾を掴んで走り出した。
店の中は二人以外客はおらず、さつきとショーコは洗濯ものを二つに分けて洗濯機の中に入れ、さつきは入り口に無造作に置いてあった雑誌を手に取り椅子に座って読んだ。
「いいねえ、さつきちゃん!コインランドリーに来て、前の客が置いて言った雑誌を取りあえず読む。かっこいいよお!」
「はいはい」
さつきは雑誌のページをめくった。
「それでね、もう少ししたら黒人のいわゆるタフなガイが入ってくるんだよ。グレーのパーカーのフードをかぶってね」
「この辺にはいなそう人だけどね」
「それで、さつきちゃんの横に座ってこう言うんだ。『やあ、兄弟。嫌だったら言わなくてもいい。おれは大体わかるんだ、お前もベトナム帰りだろ?』って」
「いや、だから。日本人の高校生がなんでそう見えるのよ!」
「んで『あそこは最悪だった。クソみたいな時間だったよ。補給が途絶えてからは食うものもなく、土砂降りのジャングルの中、現地にあったライスを手で掴んで食ってた。でもまだましだな、他の部隊の中には捕虜になったやつもいたって話だ』と続けてだね」
「・・・」
さつきはショーコを無視して雑誌を読んでいた。
「『でもそれ以上にクソなのが今さ。あそこはある意味では平等だったんだよ、全員同じだったんだ。だが今はどうだ。除隊した後、雇ってくれるとこなんてどこにもなかった。やっと見つかったのが、週給三百五十ドルの整備工場さ。毎日罵られながらそこで働いてるよ。まじでクソだ』そして、ため息」
「『ここに来る途中、すげえのがあったんだ。ジャパニーズテンプルみたいなホテルだ。値段を見ておどろいたね。なんと二人で千ドルだぜ、それも一泊だ。おれたちは頑張ったよな。それで勝ったんだよな、兄弟?じゃあなんで今こんな風に』って言われるんだ」
「ていうか、それ今日あんたがちょこちょこ言ってた話じゃない!もう時代も場所もぐちゃぐちゃだし!」
「いやー、ずっとこれが言いたくてさ。今、すごく、すごくすっきりしたよ!んで、わたしはよく考えてるんだ。わたしならさっき言われたことになんて答えるかなーって」
「そうね、うん。難しい問題ね、確かに。ベトナム戦争でしょ」
しばらく二人は黙り込んだ。
「なんか暗くなっちゃったね。ちょっとわたしコンビニ行ってくる!」
ショーコは立ち上がって言った。
「だからそれは。あんたが暗くしたんでしょ!」
ショーコが出て行った後、さつきは再び雑誌に手を伸ばした瞬間、ショーコが戻って来た。
「ごめん、さつきちゃん。よく考えたらわたし浴衣で。これでコンビニはちょっと・・・」
「それはだめなんだ。未だにあんたの中の常識とかがよくわからないんだけど」
「終わったら二人で行こうよ。それならぎりセーフだと」
「はいはい、二人はいいのね」
さつきとショーコは並んで雑誌を読みながら洗濯が終わるのを待った。