イカダナイト(4)
六月二日 午後七時四十分 三草山(山頂)
チェーンを握りしめながら岩山を登っているさつきは山頂周辺にいた。
「ショーコ、もう少しだから!」
振り返ると遥か後方で、鎖を掴んだまま立ち止まっているショーコが見える。
「さ、さつ、は、やいよ」
「あんたが遅いのよ」
再び前方を見てさつきは早足で進み、数分後、山頂に到達したさつきの目の前に三草山周辺の風景が広がった。
日はほとんど沈んでいたが淡い色は地表に少し残っており、そして景色の中心である田んぼの中にはいくつかの民家、学校が点在していた。町の中心部に目を移すと、いくつか連なっている建物が見えたが、ショッピングモール「ビイオ」が目に入った瞬間、さつきの視点はビイオの光しか捉えられなくなった。
「結局ビイオ・・・。でもここが」
ビイオの光のみを目に受けさつきは一人呟いた。
「わたしが今住んでいるところ、か」
「お、おうおう。着いた。さつきちゃん、わたし着いたよ・・・」
ビイオを見るのに飽きたさつきがベンチで座っていると、ショーコがふらつきながら山頂にたどり着いた。
「遅かったじゃない。ちょっと休めば?」
「ああ、そうさせてもらおう、かな、はあはあ」
「どんだけ疲れてるのよ」
「いや、むしろさつきちゃんがタフすぎるよお。もう立っていられない、わたしって、あ!すごい、みえる、みえるよ!さつきちゃん。あ、ほらビイオだよ!」
いいねえ、いいねえ。そう言いながらショーコは立ち上がり山頂からの撮影し始める。
「はいはい、そうね」
「ビイオはすごいよ。疲れ果てて立てないわたしが立てた。やっぱり物を売るだけじゃない。ビイオはわたしたちの精神的支柱ということだね。でも、さつきちゃん。もう少しで完全な夜景になるよ、ねえ、夜景。夜景見て帰ろうよ!」
「夜景って?ここ大丈夫なの」
「見えるよ!この高さからなら」
「いや、そうじゃなくて」
さつきは山の下に広がる景色を見た。
「夜景になるの?ここからの視界が」
「し、失礼な。光れるの?こんな程度の町が、ってこと!おもいっきり地元民を敵にまわしてるよ!」
「ああ、ごめん。そういうことなんだけど」
「否定もしない!ちくしょおおお!」
「じゃ、わたしここに座ってるから」
「おっけえ。じゃあ資料になるかもしれないからその辺を撮影してくる」
ショーコはカメラを手に取り山頂をうろうろし、その様子を見ながらさつきは少しずつ明かりが付いていく町ベンチに座って見ていた。
「いやー、なかなか難しいね。正直もろに山だからねえ。何を撮っていいかわからないよ」
「なに狙ってんの、落ち武者?」
カメラで周辺を撮影しているショーコにさつきは声を掛けた。
「それも込みなんだけどねえ。こう指針がないと上手く。あ、すごい。見て下のほう!もうこれ夜景だよ!」
「そうね、わりときれいね。ビイオと高速が」
さつきは足を組んでベンチに座り、頬杖をつき景色を眺めている。
「そ、それ以外もあるよ!ほら、人の家とか」
「まあね。ところどころ」
「もっといろいろ見えてるよ。ほら、目が疲れたんだよ、さつきちゃん。ほら一回目を閉じて」
「いや、いいけど。一緒でしょ」
さつきは目を閉じて手で瞼の上をマッサージし始めた瞬間、あっ、ああああ。とショーコが撮影を止めてしゃがみ込み、
「なんてことだああ!」
と叫びながら頭を抱えて叫んだ。
「ちょっと、なによ」
「源義経が駆け下りた坂見るの忘れてた!もう真っ暗だよおおお!」
あ!そうだ!さつきは暗闇で包まれた周りを見渡した。
「どの斜面なの!どこから駆け下りたの!」
「く、暗くて坂なのか何なのかもわからない。が、あきらめないよ!」
さつきとショーコは山頂を歩き回り、それぞれが下を覗き込んでは戻りを何度が繰り返していると、さつきちゃん、さつきちゃん。とショーコが手招きしてさつきを呼んだ。
「暗くて見えない。どこ?」
あたりはすでに完全な暗闇で、数メートル先も見えない状態だったので、さつきはなんとなく声のした方に歩き出した。
「こっちだよ!ぱん、ぱん。手のなるほうへ。ぱん、ぱん」
「ねえ、それうるさい」
「おお、きたきた。わたしここだと思うんだあ」
「ここ?」
「うん。すごいよねえ、さつきちゃん。この急斜面を馬で」
さつきとショーコは下を覗き込んだ。
「うーん、よく見えない・・・」
「まあ、夜だからねえ。そういえば源義経は、鹿が斜面を下ってるのを見て、兵に言ったらしいよ」
「へえ」
「鹿が下りれるのだ。我々の馬が下りれないわけはない、と」
「鹿と馬は違うでしょ、人乗ってるし」
「さつきちゃん。わたしも部下ならそう思うよ・・・」
「でもよくわかったね。ショーコ。ここがその場所だって」
「いや、今日図書室で借りてきてたんだよね、これ」
ショーコは《漫画でわかる日本の歴史》をさつきに渡す。
「何よ、それ。見えない」
「ほら、照らすから見て」
さつきは漫画を開き、ショーコがそれを端末で照らした。
「もうちょっと先のページ、あ、そこ!」
「どこよ?」
「ここ、このコマ。ちょうどここが舞台の合戦のシーンなんだよ。ここ、ほら下りるとこでしょ。んで角度的にさ。このコマを見るとこの斜面とちょうど合うんだよね」
「いや、ばかじゃないの!漫画でしょ!これ!」
「え、だって、すべて現在知られている史実に基づいて描いてる、って一番後ろのとこに」
「そんなこと、だって漫画じゃない!」
「おいおい、さつきちゃん。おそらくこれを書いた人たちはだね。いろんな資料を見て丁寧に描いてるはずだよ、日本の漫画をなめたらいかんよ」
「え、でも。えええ」
「ほら、こうやるとわかりやすいから」」
ショーコは漫画を回転させさつきに見せた。
「ああ、この角度ね」
「そうそう、ここが、ほ、ほら。登ってきたとこ」
「まあ言われてみれば・・・」
「どうする?さつきちゃん、せっかくだし駆け下りてみる?」
「いいよ、どっちが早いか比べてみても。わたし来た道で帰るから。第一、馬もないのに駆け下りても意味ないんじゃないの?」
「そ、そうだよね、やっぱ馬な、ないと」
「なに?どうしたのよ、さっきから。震えてるの?」
「さ、さつきちゃん。さ、寒くない?っていうかその上着はいつの間に・・・?」
「ああ、確かに寒いわね。風強いし」
さつきは暗くなり始めた頃から着ていたカーディガンの袖をつかむ。
「わ、わたし、半袖に限界を感じて。ちょ、ちょっと温まってから」
「温まるってなによ」
「そ、そのさつきちゃんのカーディガンを少しわたしに、か、貸して貰えないかと」
「は?嫌よ。もう行くし」
「た、た、ただでとは言わないよ。ほら。こ、これを」
ショーコはリュックからペットボトルの水を取り出した。
「さつきちゃん。のどが、のどが渇いていたと。言っていたから」
「あ、水・・・」
「ほ、ほら。未開封だよ。新鮮そのものだよ」
「・・・条件は?」
「し、下に降りるまで。カーディガンを貸して貰えれば」
「ふーん。てかショーコ。あんた水なんて用意がいいじゃない」
「いやあ、なんか商品名が気になってね。人の感情を表したものじゃない?なんでそんなのにしたのかなあって」
「その水の商品名はコンプレックスじゃなくて、コントレ、ああもういい!」
「な、なんだい。ち、違うの?」
「半分から下。さっき休んだ中間地点から下。それからなら貸すわ。その代り水の半分を要求するけど」
「ぐ、一見半分半分に見えるけど、風が強いのは山頂付近。ふ、不平等、不平等水取引だよ!」
「嫌ならいいわ。わたしはまだ耐えられるし」
さつきはショーコを置いて歩きだした。
「さ、さつきちゃん!そ、それでいい!その条件で!」
その声を聞いてさつきは振り返り、じゃあその水を。あとは。そう言ってさつきは手を差し出した。
「あなたの手袋、それもね」
「な、なんだって!手袋まで。う、ぐ。ぐうう。取れるときは取る、よ、容赦ないぜよ・・・」
「ほら、どうするの?」
「わ、わかった。その条件で。うう」
「成立ね、じゃ」
さつきはペットボトルの水を手に取り半分飲んだ後ショーコに返し、そしてペットボトルと交換する形でショーコが手袋を手渡した。
「じゃ、行こうか。来た道からいくよね。チェーンあるし。そこまで急じゃないから。ここまで暗いと掴みながらのほうが安全だと思う」
「まあ、手袋を必要とするとなると、そうなるよね。で、でもさつきちゃん!カーディガンお願いね!」
「わかってる。約束は守るから」
さつきは手袋を着けながら言った。