イカダナイト(3)
六月二日 午後六時二十五分 三草山登山道前
砂利道を進み「これより登山道」と書かれた看板を見つけたさつきは、え、これ?と上を見上げたまま固まった。
「ちょっとこれ、思ったより。これ登るの・・・?」
「ふ、大きな丘なんでしょ。さつきちゃん、これぐらいどおってことないよねえ」
「ちなみに標高は?」
「あいさー、ええと。四百二十ぐらいだね」
「なるほど。四百、ね」
再び山を見ると、曲がりくねった登山道が見えなくなるまで続いており、さつきはその大きさに改めて圧倒された。
「おし、行こうか」
ショーコが進もうとすると、
「ちょ、ちょと。ちょっと待って。おおよその所要時間は」
さつきはショーコの肩を掴もうとしたが、ショーコはそれをすり抜ける。
「えー、さつきちゃん攻略サイト見ながらゲームするタイプかい?マジックなくなるよー、昔の人はそんなのわかんなかったよー」
「いや、それはそうだけど」
「ほら、じゃあ登山始まるよー」
「ほんとに、え。ほんとに」
「行くときは行くべき!そして」
ショーコは山を見上げた。
「今は行くべき!」
「え、いや。だから。え、うそでしょ」
先に進みだしたショーコをさつきは呆然として見つめた後、慌てて追いかけた。
「ねえ、もう暗くなってきてない?」
さつきはトートバックを肩から下げ制服のポケットに手を入れて、前を歩くショーコはリュック背負い手を振りながら山道を道なりに進んでいた。
「さつきちゃん。現代人はスマホのおかげで迷う事すら許されないから。だから迷っても大丈夫だよ」
「は?それ迷ってるじゃない」
「いやあ、常に最悪の事態には備えないとね。あっ」
前から下山者が近づいてきているのを見つけたショーコが、こんにちはー、いやー、今日もいい天気ですねえ。と声を掛けると、下山者はショーコとその後ろにいるさつきを見て、一瞬立ち止まり、こんばんは、とだけ言って足早に去っていった。
「ちょっとあんた何やってんのよ!」
「さつきちゃん、知らないのー、山道ですれ違ったら挨拶するんだよ」
「いや、そうかもしれないけど。制服の高校生が登ってるだけでもおかしいのに、なんかあんたの言い方と内容が気持ち悪いから、余計に変に思われる!」
「あれ、ふと思いついた定番を言ったんだけど」
「もういい、次すれ違ったらわたしが挨拶するから。ショーコは黙ってなさい!」
三草山(中間地点)
まだ日は完全に落ちておらず、先ほど見えなかった夕日が遠くの山の間にあり、中間地点の休憩スペースに座ってその様子を眺めていたさつきには、夕日がいつもより大きく、まるで目の前にあるように感じた。
「結局誰ともすれ違わなかったね、さつきちゃん」
「それはそうでしょ。だってこの時間だし」
「それでさ、どっちのルートにする?」
「どっちって?」
「ほら、あそことあそこ」
ショーコが指した方向には、これまで登って来た道の続き、丸太のようなもので舗装している道と、岩山に鉄の棒が打ち込まれ、その棒の間をチェーンで繋いでいる横の道があった。
「あっちは、チェーンを掴みながら登っていくんだねえ」
「ショーコ、あっちは無理。だっておかしいでしょ、制服でトートバック持って登るとこじゃ」
「でもだいぶショートカットできるよ。ロッククライミング的な感じでもないしね。足場もあるし」
岩山を登る道は山頂まで直線で結ばれていたが、今まで歩いていたルートは岩山を迂回し逆方向から山頂に通じていた。
「いや、だから」
「行くしかないじゃん、ねえ!」
「だから、行ける行けないじゃなくて、スカートだし服とかが無理なんだって!」
「さつきちゃん、ここで時間を掛けて夜になるのと、岩山どっちが危険だい?」
「それは・・・」
「古戦場で夜に道に迷うってやばくない?まじ、やばくない?」
「わかったから、もう!」
「おっけー!よしでは」
ショーコはリュックの中から白い手袋を取り出した。
「は?あんたそれこの前の冠婚葬祭セットの」
「そうだよ、こんなこともあろうか、とね。常に持ち歩いているんだよ」
ショーコは手袋をはめて岩場まで行き、確認するように何度かチェーンを握った。
「安定感が全然違うよ。さつきちゃん。やっぱ手袋だね」
「うるさい、今度はわたしが前だから」
さつきはショーコを押しのけ岩山に足を掛ける。
「ひゅう、やるじょん」
「所詮登山コース。チェーンなんかなくても」
さつきはチェーンを両手で握りしめ足早に登り始めた。
「さすがだよ、さつきちゃん。強がりを肯定する。そしてたなびくスカート」
「うるさい、見てないでさっさと来なさい!」
さつきは振り返らず言い、斜面につけた足に力を込めた。