3話
それはどこかの会社のオフィスのようだった。
赤いずきんを被ったマッチの入った籠を持った少女が、マッチの入った籠を持った眼鏡を掛けた女と話している。穏やかな雰囲気ではなくどちらかというと険悪な雰囲気だ。
赤いずきんを被っている一人はマッチ売りの少女で、もう一人は、
「すみません。マッチ売りのお局さん」
申し訳なさそうな声音でマッチ売りの少女が謝る。どうやらマッチ売りのお局という名前らしい。
マッチ売りの少女をマッチ売りのお局が叱っている――という図のようだ。
「全く、なんでこんなお茶汲みしかできない子がうちのような花形部署に居るのかしら。あなた先月の営業成績も最下位だったそうじゃない」
「それは、その。ウンディーネの里でマッチを売るのがそもそも間違ってるんじゃ……」
「言い訳は聞きたくないわ」
「あぅ……」
マッチ売りのお局がピシャリと言うのに、マッチ売りの少女が小さくなる。
「まあまあ、マッチ売りのお局君。それくらいにしてやらないか」
二人が話していると、マッチの入った籠を持ったスーツ姿の髪を撫で付けた中年男性が姿を現す。
「マッチ売りの部長!」
マッチ売りのお局はその中年男性をマッチ売りの部長と呼んだ。マッチ売りの部長はマッチ売りの少女に歩み寄ると、
「マッチ売りの少女君も反省しているじゃないか。あまり強く言うものじゃないよ」
そう言ってマッチ売りの少女の肩をポンと叩いた。
それにマッチ売りの少女が恐縮していると、マッチ売りのお局が不満を露にした様子で声を荒げた。
「マッチ売りの部長は、マッチ売りの少女に甘すぎます。マッチ売りの社長の娘だからって、もっと厳しくしなければ本人の為になりません」
「まあ、君の言う事もわかるがね。まあ、マッチ売りの社長にもお考えがあるのだよ」
「コネ入社反対~! コネ出世反対~! 私、外回り行ってきます!」
「あ、マッチ売りのお局さん」
そう言い残すと大股で、マッチ売りのお局は外に出て行ってしまった。
「まあ気にするな。ああは言っているがマッチ売りのお局君も君の事を思って言ってくれているのだからな」
「はい、わかってます」
マッチ売りの少女が控えめに頷くのを、満足気に確認すると、
「ふむ、所でマッチ売りの少女君。君の事をマッチ売りの社長が呼んでいたよ」
「お父様が……、あ、いえマッチ売りの社長がですか」
「ああ、マッチ売りの社長は午後からマッチ売りの官房長官と会食のご予定だそうだ。出来るだけ急いで顔を出すようにという事だったよ」
「わかりました」
マッチ売りの少女が頷くと場面が移り変わり、どこかの一室になった。豪勢な内装の部屋に一つだけ置かれた机には一人の男性が座っている。
「マッチ売りの社長、お呼びでしょうか?」
マッチ売りの少女が遠慮がちに声を掛けると、マッチ売りの社長と呼ばれた男性は険しいマッチ売りの少女に向けた。
「マッチ売りの少女よ。よく来たな」
「はい」
マッチ売りの少女が返事をすると、近くに来るように手招きをする。
「それで仕事の方はどうだ」
「そ、それは……」
「その様子ではあまり順調ではないようだな」
「はい……」
マッチ売りの少女がか細い返事と共に重たい空気が流れる。
「それで何のご用でしょうか?」
「お前には人間界に行ってもらう」
「人間界ですか」
「そうだ。実は人間界に私と旧知の仲のスティーブン・チーズインハンバーグという映画監督がいるのだが、その者がぜひお前を主役に映画を撮りたいと言ってきているのだ」
「わたしが映画なんて……お父様」
「お父様ではない。ここではマッチ売りの社長と呼びなさい」
マッチ売りの少女の弱気な声を押さえ付けるように、マッチ売りの社長が厳格な声音で続ける。
「これはもう決定事項だ。先方にはもうOKと伝えてしまっているのでな。何、なんて事はない。ありのままを演じればいいだけだ。すでにウィル・オ・ウィプスに頼んで人間界との光回線を繋いでもらっている。今日中にこのおとぎの国を発つがいい」
「そんなぁ」
「後、ちょうどいい機会だ。人間界でマッチ売りの修行をしてこい。満足に売れるようになるまでは帰ってくる事は許さん」
「そ、そんなぁ」
とマッチ売りの少女が青ざめた所でマッチの炎が消えた。
◇◆◇
「なるほどな」
俺が消えたマッチの燃えカスに唸っていると、
「なるほどな、じゃないです。なんなんですかこれ。完全にわたしの事情じゃないですか。見たかったのってこれなんですか」
マッチ売りの少女が身を乗り出して言うのに、
「いや、自分でもよくわからないんだけど」
と困惑しながら俺は答えた。
正直、自分でも彼女の事情がマッチの炎に映るとは思っていなかった。あれが俺の見たいものだったのかと言われると困るのだが実際に炎に映ったのは彼女の事情だったのだから仕方ない。
「なんというか、色々大変だったんだな」
「ああもう。恥ずかしいです」
マッチ売りの少女は顔を真っ赤にすると頬に手を当ててブンブンと頭を振った。
そして、はっとしたように俺を見た。
「あの、これでマッチを買って貰えるんですよね?」
「ああ……」
本当にマッチ売りの少女が灯したマッチだったから炎に映像が映ったのか、それとも何かのトリックだったのか。それは正直俺には判別できない事だったが、実際問題マッチの炎の中に映像が見えてしまったのだからこの勝負は俺の負けだろう。
約束通りマッチを買うしかない。
まあ幸いマッチである。そんなに高いものではないだろう。
そう思ってマッチ売りの少女に値段を訊くと、
「五百円です」
意外と高かった。
「一箱五百円とかどんだけ高級なマッチなんだよ」
俺がそう言うと、マッチ売りの少女がキョトンとした顔を俺に向けた。え、何その顔。
「一箱じゃないですよ。一本五百円です。マッチ箱一個に百本入っているので一箱五万円ですね」
前言撤回。高いとかではなくとんでもなく高かった。
「ドライアドの枝毛で作られた最高級マッチですから、このくらいしますよ」
あははとマッチ売りの少女が笑う。
なるほど、なんで彼女のマッチがこんなに売れないでいたのかが今やっとわかった。売り込み方うんぬんの前にまず高すぎるのだ。今の世の中でマッチ一箱に五万も出す人間はまずいない。しかも高い理由がドライアドの枝毛だからとかいう電波な理由なのだからなおさらの事だ。
マッチ売りの少女は笑顔から深刻な顔にシフトチェンジすると、
「もしかして、マッチ買ってくれないですか? そうですよね。今までも興味を持ってくださる方はいたんです。でも値段の事を話すと皆さん興味を失ってしまって。人間界だとマッチは安いものだと思われてるんですね」
そう言われると彼女がまるで人間界の住人ではないかのように聞こえるが、実際そうなのかもしれない。いい加減電波扱いは止めて真面目に話を聞いてみるか。
そう思いよくよく高い理由を聞いてみると、彼女達が住んでいる場所ではマッチは魔法の触媒として使われるものらしい。高位な魔術師達がどんなに高いマッチでも大枚を叩いて入れ食いで買ってくれるのだとか。
うん、真面目に聞いた俺が馬鹿だった。
魔法とか魔術師とかまさしく電波な内容である。
「やっぱり買ってもらえないですよね」
「いや、買うよ」
「そうですよね……って、え?」
確かに馬鹿げた内容だ。その事は彼女もわかっているからこれから話してこなかったのだろう。
「俺、愛読書はムーなんだ」
「むー?」
魔法の触媒に使う魔術師御用達のマッチ。例えセールストークでもこんな馬鹿げたセールストークはない。だが、それこそが俺に対しては正解のセールストークだ。
最初から素直に話してくれていれば俺は普通にマッチを買っていた。
何を隠そう、俺はそういうのが好きだったのだ。
マッチ売りの少女がハテナマークを浮かべるのに、俺は財布から五万を出すと机の上に置いた。
「今月の生活費の半分だけど」
「い、いいんですか」
「まあ、ソシャゲのガチャにでもつぎ込んだと思う事にするよ」
ここでまいどありと素直に受け取れないのが、商売人としての彼女の限界だな。商売は半分詐欺だ。相手を気遣うやつはいい商売人にはなれない。まあ、そこが彼女のいい所なのかもしれないが。
「味噌汁もうまかったしな」
「ありがとうございます」
マッチ売りの少女が顔を赤くして俯く。
「あ、ああ……」
その様子を見て、なぜだか急に胸が苦しくなったような気がした。
ん? 喘息か。喘息の持病はないはずだが。
「あの……」
「ああ、いやなんでもない」
不思議そうな様子でマッチ売りの少女が見つめてくるのに、俺は気を紛らわせる為に他の事を考える。
そう言えばあの味噌汁の出汁、マッチ棒がめっちゃ沈んでいたよな。おおよそ見た限りでも三百本は沈んでいたぞ。マッチの値段を知った後だから思うが、あの味噌汁どんだけ原価が高いんだ。
などと味噌汁の原価に思い馳せていると、段々と心臓の鼓動も収まってきた。
「じゃあ、こちらマッチになります」
そう言うとマッチ売りの少女はマッチの箱を俺に手渡す。俺はそれを受け取ると代わりに五万円を手渡した。
「初めてマッチがちゃんと売れた……」
手元の五枚の一万円札を見つめながら、マッチ売り少女が感慨深い様子で呟いた時だった。
「……っ」
マッチ売りの少女の体が突然光に包まれたのだ。
「な、なんだ?」
俺が眩しさに目を細めていると、
「ウィル・オ・ウィスプ!」
彼女がその光の名を口にした。
「ま、待って。まだわたしこの人とお話しをしている途中だから――」
しかし、マッチ売りの少女が言い終わる前にその姿は忽然と消えていた。