2話
「でも、ちゃんと話を聞いてもらえたのはこの町に来てあなたが初めてです」
「そうなのか?」
リビングでテーブルを挟んで向かい合っていると、マッチ売りの少女がマッチの入った籠をテーブルに置きながら弾んだ声で言った。
「そうなんですよ~。いつも七厘を出すと、警察を呼ぶぞって追っ払われちゃってましたから」
そうか警察を呼べばよかったのか。俺とした事が最も基本的な事を忘れていたな。というか今からでも遅くないか。
俺は携帯電話を取り出すと、おもむろに画面をタップする。
「あ、あの。何を?」
「ああ、110番に電話しようかと」
俺がそう言うと、マッチ売りの少女の顔が露骨に顔を青ざめた。
「だ、だめです。だめです。警察はいけません。こないだも道を歩いていたら職務質問されて危うく不審者として逮捕される所だったんですよ」
そして今度は怒ったように頬を膨らませると、
「いくらマッチ売りの少女だって説明しても信じてくれないんですよ。全く警察の人は頭が固すぎですよね。親切なカラスさんが追い払ってくれなかったら危ない所でした」
マッチ売りの少女は一気呵成にそこまで言うと、はぁとため息をついた。
「なので警察はだめです、警察はいけません。警察とは相性悪いんです。強制送還されちゃいます」
「強制送還?」
「はっ。い、いえ。なんでもないです……」
口ごもりながら露骨に目を逸らす。
明らかに何か怪しいな。
とはいえ、まあ確かにこの程度で110番したら俺が警察から小言を言われそうだ。
というか。
「さっきから、ラッコとかカラスとかと知り合いのような話しぶりだが。あんた妖精か何かなのか?」
「妖精? 違います。わたしはマッチ売りの少女です。あんな悪戯ばっかりしてる子達と一緒にしないでください」
「え、いや」
何そのマジレスちっくな返答。冗談のつもりだったんだけど。これは思った以上に電波な娘のようだった。さっさと話を切り上げて家から追い出さないとやばいな。
俺がそんな事を考えていると、マッチ売りの少女は記憶の糸を手繰るように視線を上に向けながら呟くように言った。
「そう言えば、ここに来る途中で中華料理店の前でサラマンダーの不良がたむろしてたんですよねぇ。火事にならないといいけど……」
そこまで言うと、はっと思いついたように目を丸くした。
「そこでこのマッチですよっ。なんとこのマッチにはサラマンダー避けの効果があるんです。これで大規模火災が起こってもひと安心! さあさあ、マッチを買いませんか?」
「いやいや、営業トーク無理やりすぎだろ……」
というかマッチで火避けも無理やりだけど、なんだよサラマンダーって。電波でも電波なりにお金の溜まる壺みたいな売り込み方ではなくて、もうちょっとまともな売り込み方をしてもらいたいものである。
「じゃ、じゃあ。これはどうですか?」
マッチ売りの少女はツンと尖らせた唇の上にマッチ棒を数本乗せた。
「何をしてるんだ?」
俺が半月上の目で見つめながら言うと、マッチ売りの少女はマッチを乗せた尖らせた唇のまま喋りにくそうに、
「こうすると、表情筋が鍛えられて小顔効果が期待できますよ」
「小顔ねぇ……」
「どうですか。マッチはいりませんか?」
「いらん」
というかマッチで小顔になろうとか思わないし。
「そ、そうですか。なら、これはどうですか?」
今度はテーブルの上に重ねて、タワー状に組んでいく。
「こうすればジェンガとしても遊べますよ!」
「いや、だったら普通にジェンガ買うし」
「なら。火を点ければ室内キャンプファイアーが楽しめたり……」
「火事になるから止めてくれ」
マッチ売りの少女がテーブルの上に積み上げたマッチタワーに火をつけようとするのを制止する。
「いえいえ、ちゃんと耐熱シートを下に敷いてるから大丈夫ですよ」
確かに彼女の言うとおり、テーブルの上には耐熱シートらしき白い布が敷かれマッチタワーはその上に積み上げられている。
「マッチ一本火事の元ですからね。そこら辺の抜かりはありません」
えっへんとマッチ売りの少女が胸を張る。
火災に対する備えにはプロ意識を感じなくもないが、そもそも火災に対する備えというのならば室内で火遊びをするべきではないのでは。というか普通に室内でキャンプファイアーをしようとするな。
「輪ゴム銃の弾としても使えますよ!」
マッチ売りの少女は輪ゴム銃を取り出すと、引き金を引いてマッチ棒を発射した。
なんというかあれだな。もうほとんどマッチ関係なくなってきてるな。
そう思ったが、彼女のマッチの魅力アピールは俺の想像の上を行った。
「あのキッチン借りてもいいですか?」
「キッチン? いいけど、何をするんだ?」
俺が首を傾げながら訊ねると、マッチ売りの少女は自信満々な笑みを浮かべながら、
「わたし気づきました。マッチのよさを知ってもらう為にはマッチ本来の素材を味わってもらうのが一番ですよね」
そう言い残すと、キッチンへと消えていった。
素材の味? まさか――。
そう思いキッチンに追いかけると、そのまさかだった。
「何してるんだ?」
「へ、お出汁をとってるんですよ」
マッチ売りの少女がキョトンとした顔を向ける、その前にある火に掛けられた鍋には大量のマッチ棒が沈んでいた。
「もう、もうちょっと待っててください。沸騰させないように火加減が難しいんですから」
しかも滅茶苦茶丁寧にお出汁をとっていた。
だがしかし沈んでいるのはマッチ棒。
「おいしくな~れ、おいしくな~れ」
かなり嫌な予感がするが、彼女の真剣な様子を目にしてしまうと突っ込むにも突っ込めない。
「ほら、席に戻って楽しみにしててください」
そう言って、リビングに戻されてしまった。
そしてしばらくすると、マッチ売りの少女は一杯の味噌汁をお盆に載せて戻ってきた。
「さ、温かいうちにどうぞ」
そう言うと、俺の前に味噌汁を置いた。ちなみに具は一切ない。
「こ、これは?」
「味噌汁です」
いや、味噌汁なのは見ればわかるけども……。
「とにかく飲んでみてください」
これって多分あれだよなぁ。と気が進まないながらも、マッチ売りの少女の期待に溢れるキラキラとした目の輝きを前には男として飲まないわけにはいかない。
そういうわけで言われるがままに俺はその味噌汁に口をつける。そして俺は目を見張った。
「え、うまい」
「ほんとですか!」
味噌の甘みと凝縮した旨み成分が口の中に一杯に広がる。上品な澄んだ味だった。
そんな馬鹿な。だってこれはマッチ棒で出汁をとった味噌汁のはず。
俺がその事を確認すると、マッチ売りの少女は嬉しそうに目を細めた。
「はい、マッチ棒と最高級本枯れ節でとった合わせ出汁を使ってるんですよ」
あ、なるほど。じゃあ、ほとんどその本枯れ節のうまさだわ。
「どうですか。マッチすごくないですか? マッチ買いたくなってきたんじゃないですか?」
しかし、マッチ売りの少女はマッチ棒の手柄という事にしたいようだった。
まあ、本枯れ節の事を言わなければ騙せたかもしれないのにな。
俺はふっと吐息を漏らすと、
「確かに味噌汁はうまかった」
「じゃあっ」
「だが、マッチはいらん。つーかそもそもマッチで出汁とか取らないから」
「そ、そんな」
がーんとマッチ売りの少女がうな垂れる。
というかさっきから、根本的に売り込み方が間違ってないか?
俺が呆れた顔を向けてると、マッチ売りの少女が「うぅ」と体を震わせる。
「やっぱりわたしじゃ駄目なんですね。せっかく話を聞いてくれる人に会えたのに。これじゃ、お父様に会わせる顔がありません。もう、マッチを擦るしか、マッチを擦るしか……」
そう言いながら、バキッと音を立ててマッチを折っていた。
相変らず、マッチを擦るのがド下手だった。
「……」
なんだか空気が重たい。俺としてはさっさと帰ってもらえればそれでいいわけだが、このまま追い返すのもなんだか後味の悪いものを残すようですっきりとしない。
俺は少し考えてから、落ち込んでいるマッチ売りの少女に声を掛けた。
「なあ、普通にアピールしたらいいんじゃないのか?」
「へ?」
「話に聞くところによると、マッチ売りの少女の擦るマッチは炎の中に見たい映像を映し出すんだろ」
少なくとも童話の中の話ではそうである。もっとも、そんな魔法のような事がマッチで出来るはずもないだろうが。
「もし、俺が見たいものをそのマッチで見せてくれたら。その時はマッチを買ってもいい」
しかし、だからこそ断りの文句としてはこれ以上ないはずだ。
一応俺も最低限の買う意志は見せたという事で心は痛まないし、こいつは本当にマッチ売りの少女でもない限りはマッチの炎で映像を見せるなんて出来るはずもないので自主的にお帰りいただく事が出来るというわけである。
俺が自分の出したアイデアに自画自賛していると、目を瞬かせてマッチ売りの少女が不思議そうに俺の事を見つめていた。
「それで買ってもらえるんですか?」
「本当に出来ればな」
俺が言うと、マッチ売りの少女が躊躇いの表情を見せた。
「それはもちろん出来ますけど」
「え、出来るの?!」
「はい、わたしは〈本物〉のマッチ売りの少女ですから」
本物のという部分を強調して彼女は言った。まさか本当に出来るとでもいうのだろうか。というか本当に〈本物〉なのか。
俺があれこれと思いを巡らしていると、おずおずとマッチ売りの少女が口を開いた。
「でも、それはわたしがマッチを擦った場合の話で、マッチ自体の機能じゃないんです。だからそういうのを期待してマッチを買われるとがっかりされてしまうというか。詐欺だと思われてしまうというか……」
そう言うと語尾を濁らせる。
「ああ、そういう事か」
つまりマッチ売りの少女がマッチを擦ると見たいものを映す事が出来るというわけで、俺は擦っても炎に映像を映す事は出来ないのだ。
要するにマッチは普通のマッチで、そういう特殊なマッチだと誤認して買われる事は彼女の望む所ではないという事だ。
本枯れ節の時といい、黙っていれば騙されて買ってくれるかもしれないのに要領が悪いというか、妙に正直な所があるな。
しかし、だからこそ信頼度は高い。
彼女が出来るというならば、出来るのではないかという期待も大きくなるというものだ。
もっとも言ってみただけで、特別見たいものがあるわけではないのだが。
「別に気にしなくていい。俺は別に買ったマッチが普通のマッチでもクレームを付けたりはしない」
そもそも断る為の方便として言ってるだけだしな。出来ないなら出来ないで帰ってもらえるし、出来たら出来たで何が見られるのか自分でもちょっと楽しみだしで不利益は何もない。
「そ、そうですか」
それならとマッチ売りの少女はそそくさとマッチ箱から一本のマッチ棒を取り出すと、箱の側面のザラついた部分にマッチ棒の先端を当てた。
「炎の中心をじっと見つめてくださいね」
俺が頷いたのを確認すると、マッチ売りの少女がふぅと深呼吸をした。
「じゃあ、いきますよ。えいっ」
掛け声と共にマッチ売りの少女がマッチを擦ると、今度は折れる事なくジュボと音を立てて火が点いた。
マッチ売りの少女に言われた通りに、炎の中心を見つめていると揺らめくオレンジ色の炎の中に一つの映像が映し出された。