00:絶対に倒れない男
ここはアマチュアボクシングのリング会場。現在リングという名の戦場に二人の男が拳と拳を鳴らしていた。
右に大きく振りかぶったフックは吸い込まれるように俺の左脇腹を抉る。間髪入れずに左のストレートが捻れるように腹部に突き刺さる。
足元が僅かにフラつき、両膝に力を入れ直して態勢を整える。息も上がり、身体中から滝のように汗が滴る。しかし俺は決して倒れる事は無い。
俺よりも優位なはずなのに、相手の表情はどこか焦りの色を浮かべていた。
何故ここまで打ってるのに倒れないんだ?って顔だな。俺と相手をする選手はいつもそうだった。どんなに俺は打たれようとも、決してリングに伏したりしないのだから。
「……すぅ……ふぅぅぅ……」
相手はゆっくりと息を吸い込み、ゆっくりと息を吐く。そして俺が瞬きをした僅か一瞬でこちらの懐に潜り込み、下から突き上げる必殺の一撃で俺の顎を捉えた。
淀みなく見事なまでに顎に入り、渾身のアッパーによって脳が揺さぶられる。両腕はだらりと力が抜け落ち、自然と体は後ろへと傾き、地面に倒れーーーー
「…………!!!!」
ドンっと勢いよく右足を引き、体を支えた。完全に決まったと思った相手の驚いた表情が視界に映る。
腕を持ち上げ、構え直す。まだまだやれるという意思を込めて。
倒れない。それが唯一俺の武器だったのだから。
何度打っても倒れない俺に怒りと焦りを覚えた相手はそれから休まる事の無いラッシュが数分続き、それでも俺は倒れなかった。
昔から打たれ強いところはあったと思う。喧嘩は弱かったが一度だって地面に屈する事はなかった。
未だ怒涛のラッシュは続き、俺の顔面に、胸に、腹部に、脇腹に、次々と拳が刺さる。打たれたところは内出血を起こし、顔面は膨れ、唇は切れ血を流す。
相手の攻撃の僅かな隙にカウンターを返すが、いかんせん俺の打撃は極めて弱い。余程良いところに当たらない限りは目の前にいる目が血走った男からダウンを奪う事は出来ないだろう。
ーー試合終了まで残り一分を切ったーー。
打たれて、打たれて、打たれて、避けて、打たれて、カウンター、打たれて、避けて、カウンター、打たれて……
このままいけば判定負けで俺の敗北は必至だろう。強者が勝ち、弱者が負ける。こちらは既に負けを覚悟している上に文句はないのだが、しかし相手はこの試合に不満があるらしい。
今回の相手というのは全ての試合をKOして勝利を収めてきた暴君と呼ばれる選手だった。このままいけばそのKO伝説もここで途切れてしまうだろう。それがどうやら男のプライドが許せないらしく、段々と殺気を込めた一撃を放ってくる。
ーー試合終了まで残り三十秒ーー。
観客達も判定で暴君が勝つだろうという表情を浮かべ、主審が残り時間を横目に確認する。解説が残り時間を口にして、副審がさてそろそろ終了の鐘を鳴らそうと準備を始めた時。
それは起こってしまった。暴君は怒りに任せて俺の急所を蹴り上げ、苦悶の表情でたたらを踏んだところに抱きつき持ち上げてくる。ニヤリと歪な笑みと共に勢いよく振り投げ、投げ飛ばされた俺は地面に頭を打ち付けた。バコン、という鈍い衝撃音と共に俺は天井を仰ぎ見ていた。後頭部から冷たい何かを感じる。観客が悲鳴をあげ、主審が勢いよくこちらに走り寄る姿が見える。そして試合終了の鐘が鳴り響いた。
ーーあぁ、終わったのかぁ。
俺が覚えているのはここまで。
後頭部が割れて意識を無くした俺は、直ぐに救急車で運ばれたものの時すでに遅く、リングで倒れてしまったという後悔を胸に、不動 守という男の生命の灯火は消えたのだった。
と、ここまでが前世までの俺のお話。
俺は欠伸をしながら目の前に迫り来る数百もの上位魔法を全身に浴びながら昔を思い耽っていた。
数多の上位魔法をその身に受けようとも、傷一つなく、平然と立ち尽くしている。まるでそよ風を受けるように爽やかな笑みを浮かべながら、苦悶の表情を見せる幾人もの悪魔達を退屈そうに見据える。
「え? これでおしまい?」
上位魔法の雨が降り止んだ事でそう問いかけると、ギリっと音が聞こえる程歯を軋ませる指揮官の男。
「こんのぉぉおおおクソガキがぁあッ!!!! 煉獄のジュラ様をコケにしよってぇええッッ!!!! おいッ!! 古代魔法の詠唱を始めろッッ!!」
「「「ハッ!!」」」
三名の部下達が三角を描くように均等に持ち場に移動し、その中心にジュラが立ちそれぞれが魔法の詠唱を始める。すると地面に幾層にも展開を見せる莫大な魔力量の魔法陣が浮かび上がる。
「ははははは!! コレが最強と呼ばれる古代魔法だ!!!! 喜べ!! コレは滅多に見られるものじゃない!! 私を含めた幹部数名しか扱うことが出来ないのだからな!!!!」
「そうなの? じゃあ少しくらいは俺にダメージを与えられそうで嬉しいよ」
笑顔で答えると、ジュラの額に青筋がピキピキと浮き上がらせる。ハゲ頭なので頭頂部から後頭部に渡るまでその青筋は広がり、俺はなんかメロンみたいだな、と至極どうでもいい事を連想してしまう。
怒り頂点のジュラとは対象にどうでもいいことを考えている俺は特にこれといって構えることもなく、その場でダラリと腕を伸ばしリラックスしている。
ここまで待ってあげてようやく魔法の準備が出来たらしく、ジュラは不敵な笑みを作っていた。もうすでに勝利を確信している者の顔だった。
「死ねぇぇぇえええええええ!!!!!!」
品のない三下な台詞と共にジュラを中心とした古代魔法が発動する。
俺の遥か上空に何層にも渡る巨大な魔法陣が直列に出現し、光の柱が落ちて来る。層を一つ通る事に魔力が増し、全十三階層に渡る魔法陣を抜けて俺に降り注ぐ。
眩い閃光が迸り、爆音と主に周囲の全てを薙ぎ払う。地面は砕けるというよりも溶けてしまい、着弾点周辺はマグマと化した。爆風によって砂が巻き上がり一面を覆い何も見えなくなる。
ジュラは自分達に被害が出ないように魔法障壁を展開し爆風を防いだ。爆風だけでもその身に浴びればたちまちに溶けて骨も残らないだろう。それほどに強力な魔法なのだから。
「哀れだな。この俺に歯向かった事を死んで後悔するといいさ!!! あはははははは……はは………はぁ?」
勝利の高笑いをあげていたジュラは突然一点を見つめ、そして戦慄していた。
爆風で舞っていた煙が次第に晴れていき、そこには絶対にあり得ない光景を見てしまったのだから。
「……あちゃ〜〜服が砂だらけじゃないか……この服高かったんだよ…ほんと、どうしてくれるんだよ、全く……」
全くの無傷で汚れてしまった服を気にする男の姿があった。男を中心として一部の大地は無傷であり、一定の距離からマグマの大地になっていた。
「…………そうか……お前が例の……バケモノなのか……」
「そちらさんでは俺はバケモノ扱いなの? それは酷いな」
青白い顔でこちらを見つめるジュラはゴクリと喉を鳴らし一筋の汗が流れる。同様にその部下一同もそんな様子だった。
この時やっとジュラは気がついたのだった。目の前にいるコイツは例の男であると。
「さて、そろそろ帰りたいからここらで終わらせて貰う。煉獄のジュラ、十二位界魔王のお前は逃す訳にはいかない。……覚悟はいいな?」
「ヒィッ」
短い悲鳴を喉の奥で鳴らし、部下を見捨てて自分だけさっさと逃走を図ろうと駆け出した。既に魔力も少なく転移などの魔法は使えない。焦りから足は縺れ、その場に倒れこんでしまう。
「た、た、助けてくれ……そう!! 取引をしよう!! 金か? 宝石か? いくらでも出そう! だから、責めて俺だけでいいんだ!! 助けてくれ!!」
ここまでテンプレ通りの三下な台詞を聞くと可笑しさを通り過ぎて哀しくなってくる。
「……褒賞ならお前を倒せばたっぷり貰えるからいらないんだ。では、さらばだ」
「まっ! 待ってくれ!! やめーーー」
「ーーフルカウンターリフレクション」
突き出した右手から虚空より大穴が出現し、古代魔法よりも遥かに強力な魔力砲が大穴から放たれ、ジュラを含めた部下達を呑み込む。
悲鳴をあげる時間すらなく、その肉体は光の粒子となり消滅したのだった。
全ての戦闘が終わり辺りを確認すると、まるで地獄のような大地に様変わりしていた。しばらくはこの大地に生物が住むことは難しいだろう。
「……まぁ、俺には関係ないし……帰ろ」
地獄の大地を後ろ手に、不動 守はその場を後にしたのだった。
読んで下さりありがとうございます。別で【地上の半神は悪魔を屠る】というものも投稿しておりますので、気になった方がおりましたら、そちらもよろしくお願い致します。