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彼のネクタイ

作者: パテうめ

 ある日の放課後。

 ここに一組の高校生カップルが居る。

 お互いに会話は無いが、陰険な雰囲気ではない。二人して読書に耽っているだけだ。

 チクタクと時計の針が音を刻む。ペラリと紙をめくる音が聞こえる。

 やがて彼――桜田勇が本から目を放して栞を挟むと、「んー」という声と共に伸びをした。

 邪魔になったのか右手でネクタイをグイッと外す。ネクタイはそのままぞんざいに床に放られ、その様子を彼女――桜井優はチラリと横目で確認した。

 勇は再び本に手を伸ばし、その直前でコップの中が空になっている事に気が付いた。同時にもう一つのコップも確認し、飲み物を持ってこようと席を立つ。

 それに続くこと数秒、優もパラリとページを捲ると、きりが良かったので栞を挟んで本を机の上に置く。

 今読んでいる本は勇にお勧めされた本である。同様に勇の読んでいる本も優がお勧めしたものであった。

 「桜田君はどこまで読んだのかな」と思いながら、勇の栞の位置を確認していると、放置されたネクタイが目に入った。

 ゆっくりと手を伸ばし、ネクタイを手に取る。適当に外されたネクタイはいまだ結び目が残っている。

「(そう言えば、ネクタイってどうやって着けるんだっけ)」

 優は今までネクタイを着用した事がない。着用した事がなければ結び方など知らないのが当然であった。

「(確かそのまま引っ張れば結び目が解けるんだっけ)」

 曖昧な記憶を元に遠慮がちに引っ張り結び目を解く。なんとなく着けてみようかと、リボンを外してネクタイをブラウスに巻く。

 が、直ぐに止まる。考えてみれば当然である。

「うーん?」

 最初に細いほうは右か左か。そんな段階で迷い始め、キョロキョロとネクタイの小剣と大剣に視線を彷徨わせる。

「んー、んー」

 悩んでもしょうがないなぁと思いながら、おもむろに二つの剣を顔に近づけ……

「(……桜田君のにおい)」

「ん、桜井も一旦休憩か」

「わーーっ!」

 背後からの声に驚いて、思い切り手を下げるとぺちんと太ももから音が鳴った。

 顔の血が沸騰したかのように熱くなり、心臓の音もバクバクとうるさい。

「……どうしたよ」

「な、なんでもない」

 勇は「そうか」と言いながらコップの中にお茶を注ぐと、優のブラウスに巻かれたネクタイに気付く。

「なんでネクタイ?」

「ん、んんっ!? あ、あのね、ネクタイってどうやって結んでるのかなーって気になって」

「ふーん。まぁ女子もネクタイしてお洒落ってのもあるらしいからな」

「そうそれ!」

 断じて彼氏の匂いを楽しんでいたわけではない。ついでにネクタイを結んであげる事にほんの僅かな憧れがあるとか、そんなこともない。

「結んでやろうか」

 脳内で言い訳を並びたてていると、勇が「それ」といいながら提案をしてきた。

「え、いいの?」

 ならば今後のために是非ともお願いしたいものである。

「つっても俺の知ってるのは一番基本的な結び方くらいだからな。結び方には色々あるみたいだけど」

 例えば……と言いながら、勇がブラウスに巻かれたネクタイを手に取り、左右の長さを調整し始める。

「(わっ、わっ)」

 必然的に顔が近くなり、少し焦る。

 一年近く付き合っているくせに未だに苗字呼びであることから分かる通り、この二人の歩みは非常に遅い。そのため、顔が近付くだけで思わず照れてしまうのであった。

 しかしそう思っているのは優だけのようで、肝心の勇はネクタイが上手く結べないことに首を傾げるのみ。

「むぅ、向かいからやるとなんだか難しいな」

 普段からネクタイを締めて慣れているはずの男性でもそんなものかと思っていると、唐突に勇が「よしっ」と声を上げた。

「桜井、そのまま動くな。ステイ」

「あ、はい」

 犬じゃないんだけどな。という抗議の声を上げる前に勇は優の後ろに回りこむ。

 それと同時にニュッと優の顔の横から手が生え、思わず身体がビクリと硬直した。

「え~っと、ネクタイってのはな」

「ふあっ」

 突然耳元で声がして、全身がゾクゾクと震える。

「……どうした」

「な、なんでもない」

「ならいいが」

 まるで抱きしめられるかのように肩に腕を回され、耳元に声が響く。

「まず、こっちの細い方をこんくらいの長さにして」

 顔が茹蛸のように赤くなり、全身の力が抜ける。

「んで、細い方のここに線が入ってるよな。これが無いネクタイも多いけど、夢丘のネクタイには入ってるからここを目安にして」

 力が抜けすぎて寄りかかってしまわないように、なんとか力を入れる。しかし続く声とネクタイを結び始める事でより密着を始める腕の所為で、頭がさらにふわふわとしてくる。

 まるで直接脳に流れてくるかのように近くから聞こえる、好きな人の優しい声。

 肩から、そして背中から感じる体温は熱く、自分と言う存在が溶けてしまいそうだ。

 全身で守られているようで安心すると同時に、このままでは自分が自分で無くなってしまうかのような感覚。

 茹だった頭では何も考えられず、説明の内容も全く入ってこない。

 ふわふわとしていて、ドキドキとうるさくて、暖かくて、熱くて、幸せで。

 と、そこで急に温もりが消える。

「ぁ」

 思わず声を漏らすが、その声は勇には聞こえなかったようだ。そのまま優の前に回り、ネクタイの結び目と大剣を持つ。

「で、最後に引っ張って首元に寄せる」

 最後のここだけは後ろからより前からの方がやりやすかったのだろう。

「ん、だ、が……どうした桜井。大丈夫か」

「え、あ、な、なんでもないなんでもない。うん、大丈夫!」

 目の前で手が振られる。そんなにボウっとしていただろうか。

「……そうは見えなかったんだが、これで一人で結べるか」

 ……正直に言おう。無理です。説明を聞くとか理解するとかそんな余裕は皆無。濁しながら曖昧に笑うと、勇は呆れたような顔をした。

「珍しいな。一体なんだってんだ」

「あ、あのね、桜田君」

「ん?」

 とても幸せだった。幸せで蕩けてしまうほどだった。だが、相手にその気がない状態でやられっぱなしというのもなんとなく悔しかった。

 だから。

 優は立ち上がり、勇の横に座り。

 口を耳に近付け、音を逃さないように手で覆い。

 囁くように言葉を放つ。


 まるで、抱きしめられてるみたいだったよ。


 その瞬間、勇の全身にゾワリと痺れともつかない感覚が押し寄せた。

 そんな勇ににへらっと締まりのない笑顔を返すと、彼の顔も沸騰したかのように赤くなった。

 自分が何をしていたのか理解したようである。

「あ~……その、なんだ」

 頭をポリポリと掻きながらパシンと胡坐をかいた膝を叩くと、ゆっくりと躊躇いがちに、

「……おいで」

 膝へ誘うように手を広げた。 

「うん」

 勇の胸に寄りかかるようにして座る。

「桜田君、顔真っ赤」

「慣れてないからな。こういうのは。それに、桜井も似たようなもんだ」

 流石にそのまま手を前にして抱きしめることは出来なかったようで、手は後ろで床に付けている。

「うん、知ってる」

 優も慣れていない。こんな状況はまだ片手で足りる程しか経験が無い。

 お互い顔を染めながら、緩やかな時間の中で話し合う。

「あんな不意打ちは卑怯だって」

「先にやったのは桜田君だよ」

 二人の距離は少しずつ少しずつ変わっていく。

 ゆっくり。ゆっくり。スローペースで。

 物語のように劇的には動かない。

 多分今日はこれ以上本を読めないだろう。「頭が働かない」と笑えば勇も「同じく」と同意し、キュッと腕が前に回された。

 二人して笑えば、着けたばかりの装飾品が勇の腕を擽った。

 その存在感が少し増した気がして、優はそっと指に触れた。



 ――私に巻かれた、彼のネクタイ。



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