【第4視】テニス部のアイドル、芦生麗
俺は中学では一応サッカー部で、一応体育会系だった。
文化部には縁がなかった。
まして、本を読んだり書いたりする文芸部なんて、いちばん俺から遠い存在だったから、文芸部なんかに入ったのは自分でも意外。
文芸部は、一年生は俺と標智憂梨の二人だけ。
二年生に五人、三年生に三人の部員がいるらしいが、部長を含む八人とも幽霊部員。
部室に毎日顔を出しているのは、標智憂梨一人だ。
いや、俺も加わったから二人になったわけだが。
文芸部の活動は――、今のところ毎日部室に顔を出して本を読んでいるだけ。
標智憂梨は俺を無視するわけではないが、俺が話しかけない限り特に自分から話をしてくることはなかった。
「なあ、標さん」
「なにかしら?」
「文芸部の活動って、毎日本を読んでいるだけ?」
「今のところそうだけど」
「今のところ? じゃあ、将来は違う活動もするの」
「あなたには関係ないわ」
「関係あるだろ。俺だって文芸部員なんだから」
「佐取君は、文芸部が何をするところだと思って入ったの?」
「そりゃまあ、本を読んだりとか書いたりとか」
「それで当たっているわ」
「当たっているわって、本を読んでいるだけじゃ……、あ!」
「……」
「じゃあ何もしかして標さん、これから本を――、小説を書いちゃったりしようなんて思っているとか?」
「いけないかしら?」
「いけなくないよ。――というか、驚き。今まで俺の周りに物語書こうなんて人間いなかったから」
「そう」
「どんな物語書くつもりなの?」
「いいでしょ、そんなの」
「教えてよ」
「今、構想を練っているの。佐取君こそ、お話を考えてみたら? 才能のある人は高校生で作家デビューする人もいるのよ」
「高校生で? すげえな」
でも、確かに十代ですごい文学賞を獲った人の話とか報道で見聞きしたことがある。
いないわけではないだろう。
「じゃあ俺もなんか、話考えてみようかな。変身ヒーローとか出てきて、悪と戦うやつとか」
「そんなの小説で見たことないわ」
「そうなの? じゃあ、新ジャンル開拓かな?」
「そうじゃなくて、そんなの小説で書く人はまずいないってことよ。マンガやアニメ向きってことね」
「そうなんだ。なんか、いいの書けそうな気がするんだけどな」
「じゃあ、やってみたらいいんじゃない? 佐取君の自由なんだし」
「そう? んじゃあ、やってみようかな……」
そんな会話を標智憂梨と話していると……。
コンコン。
文芸部室のドアがノックされた。
俺が文芸部に入って一週間。
はじめての来客だ。
「どうぞ」
俺は、さっと立ってドアを開けた。
久しぶりに客の入った食堂の店主ってこんな気分かな?
「あ……」
俺はちょっと驚いた。
ドアの向こうに立っていたのは、俺の友人、助川佑も当初あこがれていたテニス部のアイドル、芦生麗だったからだ。
「あ……」
芦生麗も俺を見てちょと驚いた顔をしたように見えた。
「どうしたの芦生さん? もしかして、恋愛相談?」
「あ……、えっと……、あの……」
俺に聞かれて、芦生麗は困ったような表情になって目をそらした。
「ちょっと、佐取君」
後ろから標智憂梨がきつい口調で俺を呼んだ。
「そういうデリカシーの無い対応やめてくれるかしら?」
「あ、ああ……、ごめん」
「芦生さん、ごめんなさい。どうぞ入って」
「う、うん……」
標智憂梨にうながされて、芦生麗は俺をちょっと気にしながら文芸部室に入ってきた。
俺は芦生麗の頭上を見た。
また男子の名前が増えている。
二十人は超えている。
時間をかけないと読み切れない。
芦生麗、あいかわらずモテモテだな。
俺は標智憂梨を見た。
標智憂梨もまた芦生麗の頭上を見ていた。
俺には芦生麗の頭上に、芦生麗のことを好きな男子たちの名前が見えている。
いっぽう、標智憂梨は、芦生麗の頭上に一つだけ浮かんでいる、芦生麗が最も好意をもっている男子の名を見ているはずだ。
そういえば、芦生麗って、誰のことが好きなんだろう?
今まで、どの男子の頭上にも芦生麗の名前を見たことがない。
芦生麗の頭上を見た標智憂梨の顔は、ちょっと意外そうな表情で固まっていた。
「標さん、どうかしたの?」
「あ。い、いえ、なんでもないわ、佐取君。じゃあ、芦生さん、そちらの椅子へどうぞ」
標智憂梨にすすめられ、芦生麗は長机をはさんだ向かいの席に座った。
どこにかけようか俺は迷ったけれど、芦生麗の隣はおかしいし、芦生麗は文芸部への用事で来ているのだから、文芸部側の俺としては標智憂梨の隣にかけるのが自然だろうと考え、そうした。
「私は文芸部の標智憂梨です。こっちは……」
標智憂梨が俺を紹介しようとしたところを芦生麗がさえぎった。
「知ってる。佐取透君だよね」
「え? 芦生さん、俺のこと知ってるの?」
「うん……。佐取君は……、私のこと知らないよね」
「何言ってるの、当然、知ってるよ」
「ほんと?」
芦生麗の顔が、嬉しそうにぱあっと輝いた。
「テニス部の芦生さんのことを知らない人は、特に男子ではいないんじゃないかな」
「そう……」
芦生麗の表情は、また元の、なんだかちょっとさびしそうなものに戻った。
俺も中学のときまでやっていたから分かるけど、恋愛相談に来る人は、こんなさびしそうな表情をよくする。
「で、芦生さん。私たちに何のご用かしら?」
「あの……、聞いたんだけど……、文芸部では恋うらないをしてくれて、それがよく当たるって……」
「うらないではないわ。まあ、サポートと言うかアドバイスをしてあげるだけ。うらないみたいに、将来どうなるかなんてことを言い当てることはしないわよ」
「そうなんだ。じゃあ、そのアドバイスをお願いしたくて来たんだけど……」
芦生麗は、ちらっと僕を見た。
「佐取君がじゃまだったら、出ていってもらうけど?」
標智憂梨、僕をまるでゴミか害虫みたいに邪魔者扱いするなよ。
まあ、でもこういう話は女の子同士の方が話しやすいだろうから、空気を読むとするか。
「じゃあ、俺、席外してるよ」
「あ、いいの、いいの。佐取君もここにいて」
立ち上がろうとした俺を、芦生麗が制した。
「その……、相談なんだけど、私、実は好きな人がいて……」
芦生麗はうつむき加減で話を始めた。
「でもその人は、私のことなんか気にもとめていないっていうか……、だから、どうしたらその人と仲良くなれるのか、アドバイスをもらえたらなあなんて思って」
「そうなんだ。じゃあさ、その人の名前を教えてよ。名前さえ分かれば、俺たちなら一発で――」
「佐取君は黙ってて」
標智憂梨が口をはさんだ。
「な、なんでだよ。だって名前を言ってもらわなければ、アドバイスのしようがないだろ」
「いいのよ」
いいのよって……。
そりゃたしかに標智憂梨は、芦生麗が誰を好きなのかが頭上に浮かんだ名前で分かっているからいいだろうけどさ。
俺は分からないんだぞ。
誰が芦生麗を好きなのかは分かっても、芦生麗が誰を好きなのかが分からないのが俺の能力だ。
そして、標智憂梨の能力はその逆だ。
「芦生さんは……。どうしてその人のことが好きなの?」
「どうしてって……」
芦生麗がまた俺のほうをちらっと見た。
「あ、あの……、俺がいて話しにくかったら、やっぱり出てるけど……」
「あ、いいの、いいの」
なんなんだろう?
芦生麗は俺のことを気にしているようなのに、俺にはここにいていいと言う。
どういうこと?
芦生麗は話を続けた。
「実は私、その人とは小学校が一緒だったんです」
「へえーー、そうなんだ、何小?」
「あ、あの、そ、それは……」
芦生麗はちょっと焦ったような顔になった。
「佐取君は黙っててって、さっきから言ってるんだけど?」
標智憂梨が厳しい口調で俺をにらむ。
「ちぇ、分かったよ」
芦生麗はほっとした表情になった。
ふむ。
どうやら芦生麗は小学校名は聞かれたくなかったらしい。
どうやら、恋愛相談に来たとはいえ、なんでもかんでも話したいというわけではないんだな。
相手の言いたいことだけ聞いてやってアドバイスする。
標智憂梨はそういう手法をとっているようだ。
「芦生さんは、その人とどうなりたいのかしら?」
「まずは友達から始めて……、いずれは両想いになれたらいいかななんて……」
「それは……、小学校の頃のことが理由?」
「うん……。実は私、小学校の頃、男の子たちからいじわるされることが結構多くて……」
「ああ、分かる分かる。男子って、好きな女子にそういうことするんだよな。芦生さんならモテただろうから、大変だったでしょ。あ、ちなみに俺はそういうことはしないよ」
「佐取君、口にガムテープ貼られたい?」
標智憂梨がキッと俺をにらむ。
こわ~~。
本当にやりかねない感じだ。
「佐取君は、そういうことしないんだ」
「自慢じゃないけど、俺はそういうような、好きな子にあえていじわるするとか、そういうことはしたことないぞ」
俺は胸を張った。
好きな女の子にいじわるするのは、その子の気を引きたいからだ。
でも、誰が誰から好かれているかが分かる俺には、そんな行いがまったく意味をなさないことが小学生のときから分かっていた。
むしろ好感度は下がるだけ。
せっかく好意をもってもらっていても、いじわるをしたがゆえに、好意を取り下げられてしまった残念な男子が何人いたことか。
「それって、自慢じゃないと言いながら自慢してるじゃない」
俺の口には……、標智憂梨によって本当にガムテープが貼られてしまった。
「その人の名前は……、どうする?」
「それは……」
芦生麗は、またまた俺をちらっと見た。
「ほえ、へへふへほ?(俺、出てるけど?)」
「いえ、いいんです……。名前はちょっと……、あの、でも……、名前を言わないと相談にのってもらえないんだよね?」
「そうね」
そうね?
何言ってんだよ、標智憂梨。
君には芦生麗の頭上に、芦生麗が誰が好きなのかばっちり名前が浮かんで分かっているんだろ?
標智憂梨がその名前を読み取り、それを俺に教え、俺が芦生麗の頭上に表示されている名前群の中にその名前があるかどうかを探せば……万事解決じゃないか、何言ってるんだ?
「名前はやっぱり今はまだ……。でも、聞いてもらえてちょっと気持ちが楽になった。また相談に来てもいい?」
「構わないけど」
「ほんと? 良かった」
「ひふへほはんへひふうお(いつでも歓迎するよ)」
「その……、文芸部って、標さんと佐取君の二人だけなの?」
「一応十人いるけど……、実質私たちの二人だけね。不本意だけど」
「その……、二人は付き合っているとか?」
「……。まさか」
「そうなんだ」
芦生麗はにっこり笑うと言った。
「じゃあ、今日は本当にありがとう。また来るね」
芦生麗が去った後、俺は口のガムテープをはがして標智憂梨にたずねた。
「なんで、あんなこと言ったんだよ」
「あんなことって」
「芦生さんが好きな人の名前を言わなくたって、俺と標さんの能力を合わせれば簡単だったろ」
「そうね。でも、あのときは思いつかなかったんだもの」
標智憂梨は淡々と答えた。
「思いつかなかったって、本当かよ。普通そういうときは、『あ、そ~か~、そうだったよねーー、うっかりしてたーー』とか言うんじゃないのいの?」
「どうせ私、普通じゃないから」
「いや、そういうんじゃなくてさ……。まあ、能力者という意味では俺も標さんも普通でないといえば普通でないんだけど……」
「佐取君はどう思ったの?」
「どう思ったって?」
「芦生さんのことよ」
「どう思うも何も……。まあ、頭上に男子の名前がいっぱい浮かんでいるからもてる子なんだなって思うけど」
「その中に佐取君の……」
「え?」
「なんでもないわ、忘れてちょうだい」
「それにしても、芦生さんに思われているやつって、どんなやつなんだろうな。そんなの発覚したら、標さんの頭上の男子連中から総スカンくらいそうだよ」
「ほんとよね。くらえばいいのよ」
「え?」
「なんでもないわ。忘れてちょうだい」
「なあ、標さん」
「なにかしら?」
「その……、聞いてみたいことがあるんだけど」
「だから、なに?」
「あのさあ、自分に好意をもっている人が分かるって、どんな感じ?」
「どんな感じって……」
「だって、標さんは、その人が誰が好きか、その名前が頭の上に見えるわけだろ。今までの人生で、標さんの名前を頭に浮かべていたやつだっていたんじゃない? そういうのってどんな感じなのかな?」
「あなたはどう思うの?」
「俺は……、俺は自分に誰が好意をもってくれているのか分かるものなら分かりたいなあと思ったよ。だって、人のことは分かるのに自分のことだけ分からないんだもんな。不公平っていうか、歯がゆいっていうか……、そういうじれったさ、ジレンマをずっと抱えていたからね。その点、標さんは誰が誰を好きなのかストレートに分かるわけだから、便利でいいよな」
「私は分からない方がよかったわ」
「へえ、どうして?」
「いいでしょ、そんなの」
標智憂梨は言いたくなさそうだった。
「まあ、言いたくないならいいけど……。悪かったな、聞かれたくなかった?」
「別にいいけど。分からないなら分からないで、それもいやなものだって初めて分かったわ……」
「え?」
「なんでもないわ、忘れてちょうだい」
次の日の昼食時。
俺はこの日も一人で屋上でパンをかじっていた。
助川佑と昼食を一緒にしなくなって久しい。
ふと、背後に人の気配を感じた。
ここのところ、昼は標智憂梨と会っていることが多い。
また、彼女かな?
「標さん?」
言いながら俺は振り向いた。
違った。
立っていたのは、芦生麗だった。
「えっと……」
「芦生麗だよ。忘れた?」
「芦生さんのこと、忘れるわけないじゃん」
「また、忘れられちゃったかと思った」
「また?」
「なんでもないわ、忘れてちょうだい」
おいおい、それって昨日、標智憂梨に何度も言われた台詞と同じだよ。
「芦生さん、こんなところにどうしたの?」
「どうって……、佐取君こそ」
「俺は昼飯」
「一人で?」
「そ。ぼっち飯。前まで助川佑ってやつと一緒に昼、食べてたんだけどさ。あ、知ってるでしょ、同じテニス部だから。その助川佑が宇賀神さんと付き合うようになって、昼飯宇賀神さんと食べるようになっちゃったんだよな。俺、ずっと佑と昼飯食べてたから、もう他に一緒に昼、食べる人がいなくって」
「じゃあ、私、ここでお昼一緒に食べていい?」
「え、芦生さんが?」
「うん」
「いいけど……。芦生さんなら一緒にお昼、食べる人いっぱいいるんじゃないの?」
「じゃま?」
「いや、ぜんぜんじゃまじゃないよ」
「そうだよね。だって昨日、『いつでも歓迎するよ』って言ってくれたもんね」
「あのガムテープ越しの言葉、よく聞き取れたね」
「へへ、耳はいいんだ」
芦生麗も、手にパンとジュースを持っていた。
「芦生さんも買い弁なんだ?」
「うん、佐取くんとそろえた」
「え?」
「なんでもないわ、忘れてちょうだい」
また、その台詞ですか。
しばらく二人で手すり越しに外の景色をながめながら、パンをかじりジュースを飲んだ。
話題が……ないな……。
「えっと……、その、芦生さん?」
「はい?」
「ここに俺と二人でいるのはあまりよくないんじゃないの?」
「え、なんで……」
「だって、ほら……、芦生さんの好きな人がさ、もし芦生さんが俺なんかと二人でいるところを見かけたら誤解しない?」
「そ、それは大丈夫だよ――」
「大丈夫? なんで? だって――」
「あ……、も、もしかして、やっぱり私迷惑だったかな?」
「え?」
「誤解されるって……、もしかして佐取君に好きな子がいて、その子が、私と佐取君が屋上で二人でいるのを見て誤解したら困るとか……」
「ないない、それは。だったら、毎日文芸部室で標さんと二人でいるからとっくに誤解されまくっているよ。昨日だって芦生さん誤解したでしょ?」
「あ、それはまあ……」
「それに俺、今んとこ好きな人いないから」
「え? あ、そ、そうなの?」
「うん」
「そ、そーか。そうなんだ……」
そうなんだと、芦生麗は口の中で何度も小さく繰り返していた。




