表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/17

【第3視】好きな人が見える女、標智憂梨

 室内には並べて置かれた長机二つと、周りにいくつかのパイプ椅子。

 壁際の本棚には古い文庫本が並んでいるが、もうだいぶ長い間、誰にも読まれていない感じだった。

 パイプ椅子の一つにかけ、手に持っていた文庫本を膝に置いた女の子、それが同じクラスの標智憂梨だった。

 俺はまた彼女の頭上を見る。

 やはり何も浮かんでいない。

 助川佑を見る。

 こいつの頭上にはちゃんと「0」と浮いているというのに。

「何か用?」

 淡々とした口調で標智憂梨は俺たちにたずねた。

「い、いやあ、標さん。実はその……、お願いがあってさ……」

 最初に口を開いた佑の顔を標智憂梨は見た。

 その時、俺は何か違和感を感じた。

「標さん、俺たちのこと知ってるかな? 同じクラスなんだけど……」

「知ってるわ。助川佑君と佐取透君でしょ」

 表情を変えずに標智憂梨は、佑から俺に視線を移した。

 また、俺は何か違和感を感じた。

「あのさ、標さん、頼みがあって来たんだけど……。座ってもいいかな?」

「椅子ならいくらでも空いているから。お好きなのにどうぞ」

「ど、どうも……」

 標智憂梨、愛想のない子だな。

 長机を挟んで標智憂梨と向かい合い、俺と佑は並んでかけた。

「で、頼みって?」

 標智憂梨は佑の方を見て言った。

 また違和感。

 なんだろう、この違和感は?

「その、うわさで聞いたんだけど……、標さんは恋愛相談が得意だって」

「……」

「そうなのかな?」

 佑が念を押すように確認する。

 少しの沈黙の後、標智憂梨は答えた。

「誰から聞いたのか知らないけれど……、その通りよ」

「じゃあ、もう察してもらえたと思うんだけど……、実はそのことで来たんだ」

「そう」

「俺、好きな人がいてさ」

「……」

「2組の芦生麗って子なんだけど……。どうだろう? 見込みあるかな」

「2組の芦生麗さん? 知らない人ね……」

「で、どう?」

「その……、芦生麗さんという人を見てみないと分からないわ」

 見てみないと分からないだと?

 ますます、俺みたいじゃないか?

 やっぱり、彼女も俺と同じ能力をもっているんじゃ……とそこまで思って、さっき何度も感じた違和感の正体が分かった。

 彼女の視線だ。

 彼女の視線は、俺たちの顔の方を見ていたようで、実は俺たちの顔を見てはいなかった。

 俺たちの頭上を見ていたのだ。

 頭上を見る!

 まさに俺と同じじゃないか。

 彼女は、きっと頭上に見えているのだ。

 俺と同じように、人の名前が。

「で……、そっちの佐取透君は、どういう用?」

 標智憂梨は、再び俺の方に顔を向けた。

 俺は彼女の視線に注意を払った。

 間違いなかった!

 彼女は、一瞬、俺の頭上に視線を向け、それから俺の目を見たのだ。

「い、いや、俺は……、友達の佑の付き合いで来ただけで……」

「そうなの? 佐取君は好きな女の子いないの?」

 いきなり標智憂梨は俺にそんなことを聞いてきた?

 な、なんでだよ?

 相談してるのは、俺じゃなくて佑だぞ。

「い、いや、俺はまだ……。高校入ったばっかで、あんまり女の子たちのこと知らないし……、まあ、でも、なんつーか、好きな子というか、彼女ができたらいーなーとかは思っているけど……」

 何を言っているんだ俺は?

 答えなくてもいい余計なことまで言ってしまった。

「じゃあ、好きな子はいないのね?」

 標智憂梨は念押しするように俺に聞いた。

「あ……、うん、そうだけど……」

 標智憂梨は小声でつぶやいた。

「だから……、だからなの……? でも、それならそれでゼロが見えるはずなのに……?」

 標智憂梨のつぶやきは、こんな内容だった気がしたが、俺の空耳かもしれない。

「あ、あの標さん? 相談してんの、俺なんだけど……」

「そうだったわね、ごめんなさい」

 標智憂梨は、再び佑に視線を戻した。

「その、芦生麗さんていう子、まだ校内にいるのかしら? だったら案内してほしいんだけど……」

「ああ、いる、いる。芦生さん、たしかテニス部なんだよね」


 俺と助川佑、それから標智憂梨の三人は、文芸部室からテニスコートに向かった。

 テニスコートではテニス部が素振りをしているところだった。

「あの子だよ、あの、スカートに赤いラインが入っているのが芦生さん」

 佑が芦生を指し示した。

 標智憂梨は、芦生麗をじっと見ていた。

「どう……かな?」

 しばらく芦生麗を凝視していた標智憂梨は、やがてテニスコートにくるりと背を向けると、歩き出した。

「あ、あの標さん?」

 俺と佑が後を追いかける。

「文芸部の部室で話すわ。こんなところで話していて、誰かに聞かれたらいやでしょ?」


 俺たち三人は、再び文芸部の部室で同じように向かい合って座っていた。

「そんで、どうだった、標さん?」

 佑が標智憂梨にたずねる。

「芦生さんは、今は特に好きな人はいないわ。ゼロって出てたから」

「ゼロって出てた?」

 佑が聞き返す。

「あ、いえ、こっちの事よ」

 俺は標智憂梨の言葉をしっかり聞き取っていた。

 ゼロって出ていた?

 それってつまり、数字の「0」のことだよな。

 俺と同じだ。

 標智憂梨は、人の頭上に少なくとも数字の「0」が見えている。

 だけどおかしい?

 標智憂梨が俺と同じ能力者なら、芦生麗の頭上には、佑を含む四人の名前が見えるはず。

 これはいったいどういうことだろう?

「じゃ、芦生麗さんと俺の相性ってどうかな?」

 少し間をおいて、標智憂梨は口を開いた。

「誤解があるといけないからあらかじめ断っておくけど……。私は別に『恋のキューピッド』でもなんでもないし、惚れ薬をもっているわけでも、人の心を操れるわけでもないのよ」

「う、うん……」

 佑はうなずく。

 標智憂梨の言っていることは……、まさに中学時代、俺が感じていたこと、俺が言いたかったことだ。

 俺を「恋のキューピッド」扱いした連中には、まるで俺に相談すれば誰でも彼でも両想いになれると勘違いしているやつらがいた。

 でもそれは無理な相談。

 俺は、誰が誰から好意をもたれているかが分かるだけで、誰かと誰かを無理やりカップルにする能力をもっているわけじゃない。

 こんなことを言うなんて。

 やっぱり、標智憂梨は何らかの能力者とみて間違いないだろう。

「さっきも言ったけれど、芦生麗さんには今特に好きな人はいないわ。だから、あとは助川君次第ね。まずはお友達から始めたらいいんじゃない? あなたからの相談に対して私が言えることは以上よ」

「そ、そうなのか……、あ、ありがと。なんつーかー。芦生さんに特に好きな人がいないってことがわかっただけでもラッキーっつーか……。モチベーションが上がるよ、ありがとう」

 佑は標智憂梨に礼を言った。

「どういたしまして。繰り返すけれど、あなたがたが両想いになれるかどうかは、あとはあなたがた次第だから。私にはどうもできないから」

「わ、分かった。ありがとな、標さん」

 佑は席を立った。

 俺も立った。

 標智憂梨のことは気になるが、俺だけここに残る理由がない。


 帰り道。

 俺と佑は連れ立って歩いていた。

「なーんか、標智憂梨って、とっつきにくいっつーか、無愛想な子だよな。けっこう可愛い顔してるのに。あれじゃ、可愛い顔が台なしだよ。そう思わね? 透」

「あ……、うん……、そうだな」

 俺はすれ違う人たちの頭上を見た。

 みんな、頭に必ずのっけている。

 すなわち、一つ、あるいは複数の人名か、数字の「0」だ。

 標智憂梨のように、頭上に何もない者は誰一人いない。

 いったい、なぜ……?

 標智憂梨が何らかの能力者かもしれないことと関連があるのだろうか?

「佑、おまえ、芦生さんにアプローチすんの?」

「そりゃあ、リア充の高校生活送りたいしな。とりあえずテニス部入ろうかと思うんだが……」

「おまえ、テニスなんかやったことあんのか?」

「いや、全然」

「うちの高校、けっこうテニス強いって評判だぞ。初心者のおまえが入ったって、ついていけないんじゃないの?」

「そこでさ、困っている俺に、優しく芦生さんがコーチしてくれるっていうシナリオはどうだ?」

「どうだって……? それ、男女が逆だったらサマになるけど、男のほうが女に教えてもらうってどうなんだろ?」

「透、おまえ、古いぞ。この男女平等の世の中に。未経験な素人の男の子に、経験豊富な女の子が、手取り足取り教えてくれる――萌えるじゃないか!」

「いい。なんか、話が別の方向にいきそうなんで」


 後日、結局佑はテニス部に入ったらしい。

 でも、テニス部の活動は男女で別だった。

 佑はあてが外れたわけだが、それでもそれなりに毎日部活に通っていた。

 入部した一年生には、佑の他にも初心者がいて、佑一人だけがういているわけでもなさそうだった。


 そんなある日、おれは佑の頭上の表示が変わっていることに気が付いた。

 「0」だったのが、名前が一つ浮かんでいたのだ。

 芦生麗ではなかったが、同じテニス部の女の子の名前だった。

 佑と同じく初心者として入部した中の一人で、どうやら同じ初心者同士、佑に好意をもったらしい。

 芦生麗に引けを取らない、なかなか可愛い子だ。

 俺は中学までのおせっかい心がうずいて、つい佑にアドバイスをしてしまいたい衝動にかられた。

 だけど、それは封印したはずだ。

 もし、佑にアドバイスをすれば、もしかしたら佑もまたその子のことを好きになり、両想いになれるかもしれない。

 そんなことをしたら、俺にはまた「恋のキューピッド」だの「縁結びの神様」だのといったありがたくない異名が付いてしまうことだろう。

 それがいやで、わざわざ誰も知り合いのいないこの高校に入学したんじゃないか。

 俺はぐっとこらえた。

 本当に佑とその子に縁があるのなら。

 俺がおせっかいを焼かなくても、佑とその子は付き合うようになるはずさ。


 五月になっても、俺は部活にも入らず、放課後はまっすぐ家に帰っていた。

 佑以外にも話をする程度の友達はいたが、みな部活をやっている。

 部活に入っていない友達は助川佑だけだったのに、その佑も部活に入ってしまったため、俺は放課後一緒に過ごす友達がいなくなってしまった。

 俺はふと、標智憂梨のことを考えた。

 同じクラスだけれど、標智憂梨とはあれ以来話をしたことがない。

 クラスでも、特に親しい友達がいる様子はなく、たいてい一人で過ごしていた。

 放課後は文芸部室で本を読んでいるようだ。

 いや、文芸部だから、本を書いているのかもしれない。

 標智憂梨……、一人で部室にいるのかな?

 ちょっと気になった俺は、文芸部室に行ってみた。

 ドアの前に立つ。

 ノックをしようとした手が止まった。

 来た理由をなんて説明しよう?

 こないだは、佑の恋愛相談という名目があったけれど、今日は特に用事がない。

 そうやって、躊躇していると、とつぜん文芸部室のドアがガラッとあいた。

 知らない女子が一人出てきた。

「わ、びっくり」

 その女子が驚く。

「ど、どーも」

 俺もちょっとびっくりした。

 その女子は、俺にくるっと背を向けると、室内に向かって言った。

「標さん、ありがとう。私、やってみるね」

 室内からは標智憂梨の声が返ってきた。

「どういたしまして。あなたと彼は両想いなんだから、何も心配要らないわ」

 その女子は、ふんふん鼻歌を歌いながらスキップして去って行った。

 ドアの空きっぱなしの文芸部室の前に立ったままの俺。

 室内には、こないだと同じように、一人、標智憂梨が座っていた。

「よ、よお……」

 俺は片手を挙げて、標智憂梨にあいさつした。

「用があるなら入ったら?」

 標智憂梨は無愛想に俺を呼んだ。

 俺は長机をはさんで、標智憂梨と向かい合って座った。

 標智憂梨の頭上をちらっと見る。

 やはり、何の表示もない。

 そして俺は見逃していなかった。

 標智憂梨もまた、俺の頭上をさっきちらっと見たことを。

 「用があるなら入ったら?」と言われて入った文芸部室だったが、本当は用なんか何もなかったので、話題がなかった。

 しばらくの沈黙。

 それを破ったのは標智憂梨だった。

「このあいだの助川佑君だけど……」

「お、おお?」

「なにか進展あったかしら?」

 まるで俺の出方をうかがうように、標智憂梨は俺の目を覗き込んだ。

 佑は、芦生麗とはなにも進展していなけれど、同じテニス部の女子で、佑に好意をもった子がいるんだよーーなんてことは言えるわけがない。

 そんなことをしたら、俺がなにがしかの能力者であることがばれてしまう。

 それに、どうやら標智憂梨もまた恋愛がらみの能力者らしいのだ。

 相手の正体が分かるまで、うかつな動きは控えたほうがいいだろう。

宇賀神利依奈うがじんりいな

 標智憂梨は一人の女子の名を言った。

「ど、どうしてそれを……」

 思わず言ってしまい、俺は口を押さえた。

 けど、遅かった。

「やっぱり……」

 標智憂梨はつぶやいたのだ。

 ちなみに、宇賀神利依奈というのは、佑に好意をもっているテニス部の女の子の名前だ。

「佐取君。まさかとは思ったけれど……、あなた、人の頭の上に名前が見えているんじゃない?」

 なんという衝撃!

 自分の能力を言い当てられてしまうことが、こんなにも精神的ショックが大きいなんて。

 十五年間、家族にさえ秘密にしていたこの能力のことを、いとも簡単に言い当てられてしまった。

 だが、ここで黙って引き下がるわけにはいかない。

 今の言動から、どうやら、標智憂梨もまた同様の能力者であることはほぼ確実なのだから。

「ということは、標さん、君もなんだね?」

「『君も』ということは、認めるわけね、頭上に浮かぶ名前が見えることを……」

「こうなったら、包み隠さず話そう。どうやら君も同じ能力をもっているらしいから。ああ、その通りさ。俺は人の頭の上に名前が見える。その人に好意をもっている人の名前が頭上に浮かんで見えるんだ。この力のおかげで、俺は小中学校時代、『恋のキューピッド』なんて呼ばれていたよ。でも別に、好意をもっているのが誰か分かるだけで、人と人とを両想いにする能力があるわけじゃない。それは標さんがこないだ言ったのと同じさ。それでずいぶん逆恨みもされた。それがいやで、誰も知り合いのいない、この高校に入学したんだ。そうしたら、今度は自分と同じ能力をもつ人に出会った。つまり標さん、君だ。びっくりだよ」

 ここまで一気にしゃべってしまった。

 今まで誰にも明かしたことのない、俺の秘密を、このよく知りもしない標智憂梨に明かしてしまった。

 しゃべり終わってから思ったんだけど……、俺、こんなに秘密をべらべらしゃべってはたして大丈夫だったんだろうか?

 標智憂梨が何者なのかも全然知らないのに……。

「正直、驚いたわ。私以外に、人の頭の上に浮かぶ文字が見える人を知らなかったから……」

 標智憂梨は「驚いたわ」と口では言いながら、表情を変えずにしゃべった。

「だからあなた、私の頭の上をちらちら見てたのね?」

 標智憂梨は俺に確認した。

「まあな。俺が気付いていたように、君も俺が頭の上をちらちら見ていたことに気付いていたんだな」

「じゃ、じゃあ……、その、ちょっと教えてほしいことがあるんだけど……」

 標智憂梨は、急に態度をもじもじさせて、ちょっと頬を紅くした。

「教えてほしいって?」

「その……、頭の上に名前が見えるんでしょ? 今現在、わ、私に好意をもってくれている男の子って……、この世のどこかに……、誰かいるのかな……」

 そ、それかい? 教えてほしいことって!

 つんけんしているように見えて、標智憂梨もやっぱり高校生の女の子なんだな。

 だけど……。

「残念だけど、ご期待には応えられないよ」

 ちょっともじもじしていた標智憂梨の表情が、元の無表情気味に戻った。

「――ということは……、もしかして私だけ頭の上に何もないのね? そうなんでしょ?」

「な、なんでそこまで分かるんだよ……、あ!!」

 俺も思い当った。

「じゃ、じゃあ、もしかして……、俺も頭の上に、何にも無いわけ?」

「そうよ……」

 初めて会った時、相談者は佑なのに、標智憂梨がやたら俺に話しかけてきたのが気になってはいたけれど、そういうことだったのか。

 俺だけ頭上に何もなかったのだ。

 そりゃあ、標智憂梨だって驚いたことだろう。

 俺が生まれてこの方、頭の上に何ものっけていない人間を見たことがないように、標智憂梨だってそんな人間初めて見たのだから。

 まるで幽霊か宇宙人を見る気分だったに違いない。

 俺がそうだったように。

「あの標さん、聞きたいことがあるんだけどさ」

「なにかしら?」

「こないだ……、俺、君のつぶやきが聞こえたんだけど、芦生さんの頭の上がゼロだって言ってたよね」

「耳がいいのね」

「まあね。でもさ、俺には芦生さんの頭上にあのとき、佑を含む四人の男子の名前が見えたんだ。これってどういうことかな?」

「簡単よ。私とあなたは、もっている能力が違うの」

「能力が違う? だって、頭上に人の名前が――」

「見えるわ。見えるけど、それはあなたとは違う。あなたは、その人が誰から好意もたれているのか、その名前を頭上に見ることができる。私は、その人が誰に好意をもっているのか、その名前を頭上に見ることができる。あなたとは反対ね」

「誰を好きなのか……。じゃあ、その人が誰のことを好きなのか、それが一発で分かってしまうわけだ」

「ええ。最近、宇賀神利依奈って子の頭上に『助川佑』って名前が浮かんでいるのが見えた。だから、宇賀神さんが助川君に好意をもったんだなってことが分かったわけ。あなたは逆よね。助川君の頭上に宇賀神利依奈という名前が見えたんでしょ。だから、さっきも宇賀神利依奈という名前に反応した」

「で、俺の頭上には……」

「何も見えない」

「じゃあ」

「そうよ。私たちはお互い、同じってわけ。好かれている相手を知る能力と、好きな相手を知る能力。似たような能力をもっている私たちだけど、お互いに対してはその能力は作用しない。能力者同士では能力が働かないという事情があるのかもしれないわ」

「驚いたよ。頭上に何も浮かんでいない人を見つけたのは、生まれて初めてだったからね」

「私もよ。あなたは、いつからその力があったの?」

「おそらく生まれた時から。幼稚園の頃にはもう文字が周りの人の頭上に浮かんでいた。もっとも、その頃は平仮名も読めなかったから意味が分からなかったし、誰でもそういうものだと思っていたから特に不思議にも思わなかった」

「そう。同じね。私も幼い頃から人の頭の上に文字が見えていたわ。ただ、その意味をつかむのは割と簡単だった。その人の行動を見ていれば、誰が誰を好きなのかは分かるものね。あなたの見えているものの方が、少し難しいかもね」

「そうなのかな。生まれた時からそうだから、これを難しいとか簡単とか思ったこともないよ」

「――で。今日は、お互いの能力の確認に来たわけ?」

「うん……。まあ、そうかな。生まれて初めて仲間を見つけられて、ちょっと嬉しいよ」

「仲間?」

「そうだよ、仲間。僕と標さんは、お互いに人の頭上に浮かんでいる文字が見える者同士。仲間じゃないか」

「悪いけど、私はそんなこと思ってないわ」

「え?」

「確かにお互いに他人がもっていない能力をもった者同士だけれど……。私はこれで仲間をつくるつもりはない。私は人が嫌いなの。信用できないの。互いの能力の確認という用も済んだことだし……、もう帰ってくれるかしら?」

「人が嫌いって……、じゃ、なんで部活をやっているのさ。標さん、文芸部に入っているだろ?」

「逆よ。文芸部は人がいないから入ったの。放課後、一人で静かに過ごせる場所がほしかったのよ」

「でも……、でも……、みんなの恋愛相談にのっているじゃないか」

「別に恋愛相談のお店を開いた覚えはないわ。相談に来る者は拒まずという感じでやっているだけよ」

「でも、それって……」

「ごめん、普段あんまり人と話すことないから疲れたわ。もう帰ってくれない?」


 帰り道、俺は一人で考えた。

 標智憂梨は人が信用できないと言った。

 それってどういうことだろう?

 彼女の能力と関係あるのだろうか?

 俺は考えてみた。

 その人に好意をもっている全員の名前が頭上に表示されて見える俺の能力と違って、彼女の場合、人の頭上に見えるのはいつも一人だ。その人がもっとも恋愛感情を抱いている相手が頭上に表示されるからだ。

 俺は中学の頃を思い出した。

 こんなカップルがいた。

 お互いに、自分が想われている相手と違う相手と付き合っているのだ。

 どちらの頭上にも相手の名前がなかったから、お互いが好意をもっていなかったことは見て直ぐ分かった。

 先のルミとタケシの件でもそうだったけれど、人は本心とは違う相手と付き合うこともあるのだ。

 標智憂梨の場合は、それが僕よりももっとストレートに見えるのだろう。

 何しろ、頭上には自分の好きな人を掲げている。

 それでいて、それとは違う人と付き合っている人がいる。

 標智憂梨は、そういう例をいっぱい見てきたのかもしれない。

 となると、確かにちょっと人間不信にもなるかもしれないよな。

 ただ、人間嫌いというのは本心ではないのではないかと思う。

 人間嫌いだったら、やっぱり部活自体入らないだろうし、ましてや他人の恋愛相談になんかのらないだろう。

 標智憂梨がそういうことをしているということは、口では何と言いながらも、本心では人とのつながりを求めているからではないのだろうか。

 僕はそんな予想を立てたのであった。


 学校の昼休みの屋上。

 前までは、俺と助川佑と二人でここで購買部で買ったパンとジュースで昼食にしていたものだった。

 でも、佑は今日は来ない。

 佑は、宇賀神利依奈と付き合うことにしたのだ。

 佑の頭上に宇賀神利依奈の名が浮かぶようになってしばらくしてから、宇賀神利依奈の頭上に浮かぶ名の中に助川佑の名がまじるようになった。

 これは、宇賀神利依奈が複数の男子から好意をもたれているということであり、それに佑も加わったということ。

 複数の男子から好意をもたれるくらいだから、宇賀神利依奈もなかなか可愛い子なのだ。

 宇賀神利依奈の頭上に助川佑の名が浮かぶようになったのと同時に、芦生麗の頭上から助川佑の名は消えた。

 助川佑の好きな相手は、芦生麗から宇賀神利依奈に変わったということである。

 前になんかで読んだけれど、「女の子は自分を好きになってくれない男の子が好きだけれど、男の子は自分を好きになってくれる女の子が好き」とか。

 佑も、自分を好きになってくれる女の子、宇賀神利依奈と付き合うことにしたのだ。

 そんなことを思い、俺は一人ジュースのストローをくわえ、空を見上げていた。

 ――と、屋上に人影が。

 屋上なんか、あんまり人が来ないので、珍しい。

 よくよく見ると、標智憂梨だった。

「佐取君、一人になっちゃったのね」

「標さんか。その理由は分かってるんだろ」

「ええ。このあいだ、助川君の頭上に浮かぶ名が、芦生麗から宇賀神利依奈に変わったわ。助川君と宇賀神さんは両想いになり、お付き合いを始めたというわけね」

「標さんが知っているかどうかは分からないけれど、宇賀神さんの頭上には複数の男子の名前が浮かんでいるんだ。けっこう人気のある女の子だよ」

「でしょうね。私も、助川君以外に、頭上に宇賀神利依奈の名前を浮かべている男子を何人か見たから、それは知っているわ」

 同じことを把握するのでも、俺と標智憂梨とでは能力が違うから、把握の仕方が異なるのだ。

「で、標さん、ここへ何しに? 昼、ぼっち飯になってしまった俺と一緒にお昼を食べようとしに来てくれたとか」

「まさか。言ったでしょ。私は人が嫌いだって。誰とも友達にも仲間にもなる気はないわ」

「じゃあ、なんで?」

「屋上に来るのに、佐取君の許可がいるのかしら? ここは公共のスペース。本校の生徒なら誰が来てもいい場所だわ」

「はいはい、そうでした」

 俺は手すりに両腕をのせ、その上に顎をのっけて、見るともなしに外の景色を見ていた。

 標智憂梨は近くに立っている。

 どうも何か話したそうなのだが、なんなんだろう。

 黙って立っていられても、どうしたものやら対応に困る。

「助川君も他の男の子と同じね」

 標智憂梨が口を開いた。

 どうやら話す気になったらしい。

 どう考えたって、昼休み、俺が一人で屋上にいるのを知っていて、それでここにやってきた感じではあったから。

「他の男と同じってどういうことさ?」

「好きな相手がころころ変わるってことよ」

「ころころ変わる?」

「助川君、最初は芦生さんのことが好きだったはずじゃない。でも、宇賀神さんが自分に気があるとみるや、宇賀神さんにのりかえて、結局それでカップルになってしまった」

「……」

「じゃあ、当初の芦生さんへの想いはなんだったわけ? 結局誰でもいいから自分を好きになってくれる女の子がほしかっただけだったんじゃないの? カップルにさえなれればいいわけ?」

「まあ……、そういう面もあるんじゃないの」

「認めるんだ」

「俺も自分の能力のせいで、様々な心変わりの様子をリアルに見てきたからな。脈のない相手にアタックし続けるより、自分を好きになってくれた相手を好きになった方が楽じゃないか。それに、パッと見、いいなと思っても、時間の経過とともに、いろいろなことが分かってきて、自分とは合わないなと分かる場合もあるだろうし……、その逆もある。佑の場合、最初はルックスだけで芦生さんにひかれていたんだと思うぞ。実際、知り合いでもなんでもなかったし、話だってしたことなかったんだから。でも、芦生さん目当てだったとはいえ、テニス部に入り、そこで宇賀神さんと出会って、まあ、そっちとはお互い波長が合ったんだろうな。それで仲良くなったとしたって、問題はないんじゃないの? 誰も傷つけていないわけだし」

「そうね。誰も傷つけてないわね」

 少しの間。

「標さんさあ、この能力のせいで、もしかして傷ついたこととかあった? 人嫌いとか、仲間や友達が要らないって、この能力のせいなんじゃないの?」

「……。まあね。佐取君だって、いやな思いをしてきたんでしょ。高校になって恋愛相談をやめたのは、だからだって言っていたじゃない」

「そうだけど、俺は別に人間不信にまではなってないぞ」

「あなたと私とでは能力に決定的な違いがあるわ」

「決定的な違い?」

「気付いてないみたいね」

「気付くも何も……。君と僕の能力の違いなんかについてそんなに深く考えたことなかった」

「そう……。それって私に……、いえ、私の能力に興味がないってことじゃない」

「いや別にそういうわけじゃ」

「『仲間になろう』が聞いて呆れるわ。おじゃましたわね。それじゃ」

「あ、標さん……」

 呼びかけたが、標智憂梨はすたすたと去っていってしまった。

 放課後。

 テニス部の活動を俺は見に行った。

 男子テニス部と女子テニス部は別々の部とはいえ、活動場所は隣同士のテニスコートだから、男女の部員同士であっても、話をしようと思えばいくらでも可能だ。

 助川佑と宇賀神利依奈も楽しそうに話をしていた。

 お互いに素振りをしてフォームをチェックし合っている。

 ちぇっ、うらやましいな。

「お、透じゃんか」

 俺の姿を見つけて、佑が俺の近くにやってきた。

 宇賀神利依奈も一緒に。

「練習見に来たのか? 透もテニス部入りたくなったとか?」

「違うよ佑。いや、練習見に来たのは本当だけれど、テニス部入るつもりはない」

「こんにちは」

 宇賀神利依奈が俺にあいさつしてくれた。

 にこにこと愛想のいい子だ。

 髪は肩ぐらいまでの長さで、可愛い模様の入ったカチューシャをしていた。

「こんにちは。俺は――」

「知ってる。佐取透君でしょ。助川君から聞いてる。あ、私、宇賀神利依奈って言います」

「そうなんだ。俺も宇賀神さんのこと、佑から聞いてるよ」

「え、ほんと? やだーー、どんなふうに?」

 俺が佑から宇賀神利依奈のことを聞いていると聞いて、宇賀神利依奈は満面の笑顔。

 俺は二人の頭上を見た。

 助川佑の頭上には、宇賀神利依奈の名が一つ。

 一方、宇賀神利依奈の頭上には、助川佑の他に、男子の名があと一つ。

 こないだまで宇賀神利依奈の頭上には四つの男子の名前があった。

 けれど、助川佑が宇賀神利依奈と付き合い始めたのが周囲に知れ始めて、四人の内の二人は宇賀神利依奈のことをあきらめたとみえる。

 あとの一人の名前もそのうち消えてしまうだろう、佑と宇賀神利依奈の仲が破綻しない限り。

 人の心は変わるものだ。

 今は両想いだって、いつそれが変わるか分からない。

 俺は、向こうに芦生麗を見つけた。

 芦生麗の頭上には七つの名前があった。

 こないだより増えている。

 人気者なんだな。

「もしかして佐取君、芦生さんのこと見てる?」

 宇賀神利依奈が目ざとく俺の視線に気付いた。

「い、いや、そういうわけじゃないけど……」

 俺はあわてて否定した。

「いいのに、ごまかさなくても。芦生さん目当てにテニス部来る男子、けっこういるから。助川君だってそうだったんだもんねーー」

「や、やだなーー、宇賀神さん、そんなことないよーー」

 おい、佑、ウソつくな。

「えーー、ほんとーー!?」

 佑が否定したことで、宇賀神利依奈はまたまた嬉しそうな表情になった。

 ウソも方便。

 優しさからくるウソもある。


 帰り道を一人で歩きながら、俺は考えた。

 もし、標智憂梨が宇賀神利依奈の立場にいたとして……。

 標智憂梨だったら、最初は助川佑は芦生麗に気があったんだけれど、心変わりして宇賀神利依奈のことが好きになった――ということが、全部分かってしまっているわけだ。

 それって、あんまり嬉しくないことかもな。

 佑の「そんなことないよーー」という言葉だって、ウソだとすぐ分かる。

 こんな風に面と向かってウソをつかれたことが、標智憂梨は今まであったのかもしれない。

 それは、人間不信の原因にもなるかもしれないな。

 俺は標智憂梨が昼間言った、俺と標智憂梨との能力の違いについて考えてみた。

 どっちの能力も、誰が誰のことを好きなのかを知る能力だ。

 「好きな人」と「好かれている人」の違いはあるけれど、他に大きな違いはあるのだろうか……?

 「好かれている人」を知ることのできる俺の能力。

 せっかくのこの俺の能力なんだけれど、俺自身のためには役に立たない。

 俺自身が、誰が俺のことを好きでいてくれているのか分からないからだ。

 もし、誰が俺のことを好きなのか俺に分かることができて、しかもそれがけっこうかわいい女の子だったりしたら、俺は絶対その子にアプローチして両想いになる!

 昔からそう思っていた。

 一方の標智憂梨はどうだろう?

 標智憂梨がもつのは「好きな人」を知る能力。

 ――ということは……。

 あ、そうか。

 俺と標智憂梨の能力の、決定的な違いが分かったよ。

 次の日の昼休み。

 標智憂梨は、校庭のすみっこのベンチにいた。

 昨日は標智憂梨から俺のところに来たから、今日は俺から標智憂梨のところに行くことにしたのだ。

「よお」

「何かしら?」

「『何かしら?』はないだろ? 標さんと俺の能力の決定的な違いってやつ? それが分かったんで伝えにきたのさ」

「別にいいのに」

「まあ、そう言うなよ。座ってもいい?」

「付き合ってもいない男女が昼休みにベンチに並んで座っていたら誤解されるわよ」

「迷惑なら立ってるけどよ」

「別に迷惑じゃないけど」

「んじゃ、座るぜ」

 標智憂梨は少し横にずれた。

 空いたスペースに俺は座った。

「俺さ、昔から自分の能力に不満があったんだ」

「不満?」

「当ててみて」

「先にたずねたのは私でしょ」

「まあそう言わないで、ちょっと考えてみてよ」

「考えなくても分かるわ。それが私が言った、私とあなたの能力の違いだから」

「まあ、そういうことだ。じゃあ、まず、違いからはっきり確認しておこう。標さんは、誰が標さんを好きなのか知ることができる。そして、俺はそれができない。俺がもっていた不満っていうのもそれ」

「佐取君はそれが不満なのね。でも、世の中には知らないほうがいいこともあるのよ」

「まあ俺は、自分のこと好きになってくれた女の子が誰か分かったら嬉しいけどな。ちなみに標さんは、分かるんだろ? 誰が標さんのこと好きなのか」

「――まあね」

「いいじゃん、それ」

「よくないわ」

「なんでだよ」

「だって、自分が好きな人が自分を好きになってくれるとは限らないもの。好きな人の頭上に、毎日毎日自分じゃない女の子の名前を見る。つらいものよ」

「そんなもんかな。でも、俺の友達の佑を見ろよ。最初は芦生さんのことが好きだったけれど、今は宇賀神さんと両想いだ」

「男の人って、結局誰でもいいのよね。だから信用できないのよ。女は一途なのに」

「ふーん……」

 まあ、想像するに、標智憂梨の過去には男女の色恋絡みでいろいろあったんだろうな。

 それで男性不信に、ひいては人間不信になった――、そんなとこか。

「あのさあ、標さん」

「なに?」

「能力のことをよく知りもしないで仲間になろうだなんてちゃんちゃらおかしいみたいなこと言っていたけど、ま、俺、こうして標さんが言った、俺たち二人の能力の違いについても言い当てたわけだし……」

「……」

「友達にならないか?」

「なにそれ? ナンパ? 告白? 友達から始めましょうってやつ?」

「標さん、けっこうひねくれているね」

「最初からそう言ってるけど」

「ナンパとかそういうやつじゃないけど、能力者同士仲良くしようよ。今のとこ、世界で二人だけの能力者なんだし。お互い、助け合えることだってあるかもしれないじゃないか」

「そんなことあるとは思えないけど」

「でもさ、能力があるゆえの、悩みというか、こんな能力なければいいのにと思ったことはあるんじゃないか?」

「それは……、その通りだけど……」

「じゃあ、せめて、その気持ちに共感できる者同士ということで」

「……。分かったわ。別にいいけど」

「んじゃ、俺たち友達同士ということで」

「友達ね」

「さっそくだけど……、俺、文芸部入ろうかな?」

「ちょっと、やめてよね」

「別にいいだろ? 標さんに新入部員をこばむ権利とかあるわけ?」

「それは……、無いけど……」

「んじゃ、入るわ。顧問の先生誰?」

 そんなわけで俺は文芸部に入部した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ