その2 夜の学校
「遅い! 約束の時間を5分も過ぎているよっ」
幽刻が紗々奈に呼び出されたのは夜の8時だった。そして到着早々、いきなり罵倒を受ける。
「約束も何も、連絡を受けたのはついさっきだろーが!」
「30分もあればボクよりも先に到着しつつ、熱い紅茶を用意して振る舞うことくらいできただろう! あいたっ」
軽く小突くとちょっとだけ涙目になる紗々奈。
「無茶言うな。家からここまでどう急いでも30分はかかるんだぞ。これでも急いできたくらいだ」
「じゃあ紅茶は?」
「俺はコーヒー派だ。呼び出したのはピクニックをするためにか?」
「そんな訳ない。……あとその佐々木という呼び方はやめたまえ。嫌いなんだ」
彼女は非難するのかのように、形の良い唇を僅かに歪ませた。
幽刻にしてみれば、名前で呼ぶよりも苗字で呼ぶ方が自然だと思うのだが、もしかして彼女は苗字を呼ばれることが嫌なのだろうか。
「……ふぅ、まあいい。今日呼んだのは他でもない。魔術三大要素のうちの一つ、『適応配分』。を君に植え付けるための準備をするためだ」
同時に紗々奈は、出会った時のように人を寄せ付けないミスティックな雰囲気を纏わせた。
やはり魔術の話になると人が変わったようになる。その雰囲気に幽刻も少々緊張の面持ちになる。
一体何をするのか。基本的に何があったとしても彼女の行動に付いて行くしかないのだが、しかし、今いる場所を考えるとどうしても質問をせざるを得なかった。
「ここで準備をするのか?」
「そうだ。『適応配分』を人工的に得るにはまず適応する魔具を創りださなければならない。そしてその心臓部になる素材はここにある」
「なるほど。説明してもらって悪いが、とりあえずこの場所で調達するというのはもっと理解できない」
「普通なら店に置いてある素材で十分なのだが、何しろ今回は使用対象が魔法使いクラスだという想定だからな。特別かつ複雑な仕様を満たすために、御用達の場所で最高の素材を選ぶ必要がある」
「その御用達の店ってのはこれのことだよな?」
幽刻は目の前の、見覚えのある建物を指さした。
「ここは俺たちの学校の校舎に見える」
「ああ、そうだ。君の目が腐っていなければここは学校だ」
「で、ここの何処が御用達の場所なんだ?」
「だってここには魔具に必要な道具が、全部タダでおいてあるんだよ」
「お前か! 今年に入ってからやたら備品がなくなっていたのは!」
呆れた顔で佐々木を見る。
マナ水晶や魔具を調整する器具などなど。今年に入ってから余りに消費が多すぎるため、全クラスの委員長を集めて集会が開かれたほどだ。もちろん一年Z組委員長として幽刻も参加している。
「おいおい、それじゃまるでボクが犯人みたいな言い方じゃないか」
「違うのか?」
「勿論だ。無期限に借りているだけだよ」
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やたら備品が消える事もあり、校舎に対する魔術警備はここ一ヶ月で更に強化されている。正門には魔術による厳重な施錠が施されており、第一校舎の周囲はぐるりとフェンスに囲まれている。
乗り越えようにも高さは四メートル。更にフェンスに少しでも異常があれば、掛けられた魔術が発動し警備員に通報が行くようになっている。
「しかしこの程度の防衛システムでボクの侵入を拒めると思っているのだから、サラリーを貰っている人間というのは全く度し難い」
「いや、経済的な面も含めると来るかもわからない侵入者には十分な対策だろ。あと第一お前が余計な事をしたからだという」
原因が不敵な笑みを浮かべたので、幽刻は軽くため息をついた。
どうやら彼女は夜の学校に侵入するつもりの様だ。しかし物理的にも魔術的にも厳重な囲いが敷かれている。破って入る方法を持っているのだろうか?
隻眼の魔技師と呼ばれているほどの技術者だ。もしかしたら自分たちが及びもつかない何かを持っているのかもしれない。
紗々奈が肩から下げた鞄に手を掛けたので、幽刻は息を飲んでそれを見つめた。
「ほら、ちょっとこれを持っていたまえ」
だが彼女は中から何かを取り出すことはせず、持っていた鞄ごとひょいと幽刻に投げてよこすと、フェンスに沿って歩いていく。そのまま正門から少し外れた場所で歩みを止めた。
そこはちょうど木々と繁みに隠れており、人目が付かない場所だ。
彼女はしゃがみこみ何かを確認すると、勢いよく何か――それは地面に張ってあったカモフラージュ用の布だ――を引き剥がした。
「という訳で移動用の穴を掘っておいた」
「意外とアナログだな、おい!」
てっきり魔術的な何かで破る物だと思い込んでいたが、全くの物理的解決方法であった。
「別にあの程度の防備を破れなくはないが、毎回やっていたのでは疲れる。これが一番手っ取り早い」
紗々奈は言うがいなや、さっと穴に入り込と、
「ほらどうした、さっさと行くよ。まさか閉所恐怖症ではないだろうね」
四つん這いになって紗々奈が促す。
幽刻の視界に、ワンピース越しでも分かる佐々木紗々奈の形の良いお尻と白い足が入って来る。
同じ体勢になって穴を進んでいくという事は、それが眼前になるという事であった。
「……一応人が見てないか見てる。もう少し先に進んだら俺も行く」
「ん? そうか。じゃあ先に行くよ」
幽刻の言葉に疑問も抱かず、佐々木はもそもそと進んでいった。
視界の片隅から白いモノが見えなくなると、幽刻は小さく息をついて穴へ這いつくばった。