その3 佐々木紗々奈というクラスメイト
30段ほど下った階段の先にあったのは古びた木製の扉。
その上部にある小窓からは光が漏れ出しており、少なくとも無人ではないことが伺えた。
扉を少し開けて覗くと、中は意外にも広く小さな教室程はある。扉を完全に開けて入ろうとすると「ちりんちりん」と鈴の音が小さく鳴った。
一瞬ビックリするが、カウンターらしき場所には誰もおらず、その奥の暖簾から誰かが出てくる気配もない。
中は図書館のようにいくつも棚が立っており、そこに品物らしきものが無造作に展示されていた。近寄ってその内の一つを手に取る。
「これは……随分と古い魔具だな。こっちのは壊れてるし」
こぶし二つ分ほどの大きさの魔具。ごちゃごちゃとした配線が幾つも出たそれは、30年ほど前に流行った古いタイプだ。
だがこんな魔具は今では使い物にならない。『凄腕』である隻眼の魔技師がいるという噂はやはりガセだったのだろうか。
店員は居ないが、良く見ると机の上には卓上ベルが設置されている。
何度か指で叩いてみるが「カンッ」という乾いた音が鳴るのみで、想定される響きは一向に出ない。店構え同様、年季が入りすぎて正常な動作ができていないようである。
暫く待ったが奥から誰かが出てくる気配もなく、仕方なく何とか鳴らそうと再び触れようとした時だった。
「君は魔法使いになりたいのか?」
女の子の声が背後、それも頭上から聞こえた。
幽刻が思わず振り向くと、棚の上から白い足だらりと垂らされていた。視線をそのまま上にあげていくと――棚の上に、彼女が座っていた。
思わず息を飲む。
「どうした? この店に来たからには君はボクの質問に答えるべきだ」
「……佐々木、だよな?」
特徴的な黒髪と眼帯は少年の知っている少女に一致していたが、それでも神秘的な雰囲気を纏った彼女に、何とか声を出して確認する。
「そんな下らない質問はどうでもいい。君は魔法使いになりたいのかと聞いたのだ」
ワンピースから伸びた足の持ち主が質問を返す。ぶっきらぼうな口は、だが打てば響くような美しい声色だった。
それに一瞬気圧される。
「そ、そりゃあ……なれるなら、なりたいけど。そんな事できるのか?」
「このボクの手にかかれば容易いことだよ。幾つかの実験を経て、君は至高なる存在になるだろう。……運が良ければ」
「え、今運って言った?」
「いいね、実に良い。君は21人目のチャレンジャーだ。ボクの創造があれば魔法使いに必要な才能を与えることは容易い」
「色々ちょっと待て。一体何をするつもりなんだ」
幽刻は慌てたが無理もない。見た目美少女が、目の前で良く分からない事を口にしているのだ。
「ていうか、お前佐々木……だよな」
「ん……? よく見れば君は……確か同じクラスにいた誰かだな」
「クラスメイトくらい覚えておいてくれっての」
「興味ないから無理」
即答した佐々木紗々奈は同じ一年Z組であり、通称『落ちこぼれイレブン』の一人である。見た目はとにかく可愛いが、しかし会話が成り立っている所を見たことがない。
入学式の時、隣の席だったこともあり幽刻も何度か話しかけたことがある。しかしどんな話題を振っても返って来る返事は「興味ない」か「で?」だったので、人付き合いがいい幽刻もそのうち会話をするのを諦めたほどだ。
クラスでも誰かとつるむわけでもないし、授業が終わると一番早く教室を出る。だから彼女がどんな為人なのか、知る生徒は殆どいない。とりわけ変人が多いZクラスでも少々浮いた存在である。
「最強に可愛い。スタイルがいいからプールにいって水着を着せて一緒にキャッキャウフフできれば僥倖。ただし遠くから見ているだけにしたい」
というのが美樹人の感想だった。
「ああいや、佐々木に用っていうか……隻眼の魔技師がこの店にいるって聞いて来たんだけど……。どうやら留守みたいだな」
「はあ? 君はバカなのかい?」
「ここはボクの店だ。ボクが店主であり、更に魔法使いを創造する天才魔技師である」
「魔法使いを……創造する?」
「なんだ。君は魔法使いになりにここへ来たんじゃないのか」
幽刻が乗り気ではない事を察すると、彼女は素っ気なく返答を返しスッと――まるで猫の様な軽い身のこなしで――棚から降りる。そのままカウンターへ歩いていくと、幽刻に構うことなく何かごそごそと作業を始めた。
「ここは魔法使いになることを望む魔術師がくる場所だ。君にその願望がないのなら、即刻立ち去ることを勧めるよ」
ぶっきらぼうな口調で紗々奈は突き放した。いきなり責められているようで、幽刻は面食らう。
「魔法使い……そりゃなれるならなりたいさ」
「何故?」
「何でって。そりゃ魔法使いになれば政府から色々優遇されるし、試験だって余裕ができるから、かな」
「実に下らない、とても下らない願いだ! そんなものは努力で何とでもなるだろう。地位を得て権力を得るために政治家に媚を売り、小さな社会の中で生きていける存在になればいい。誰にでもできる」
「下らない願いで悪かったな」
幽刻は思わず苦笑した。批判されたことよりも、むしろ「こんなに話す奴だった」という事実に対してだった。
「そうだな。魔法とは関係ないけど、もし願いが叶うってなら妹の病気を治したいって事かな」
「それが君の願いか?」
「ああ。もし魔法使いになって本当に願いが叶うのならね」
魔法使いという現代の伝説には、一つの夢物語が付きまとっていた。
それは「魔法使いは一つだけ何でも夢をかなえることができる」という噂である。
多くの魔術師が魔法使いを目指しているのは、各国政府からの優遇、企業からの莫大な報酬といった成功を夢見ているからのもあるが、本当の目的はこの噂の影響が大きい。
だが魔法使いとなって実現させたという報告例はない。
現存する12名の魔法使いから話を聞けば真偽など直ぐに分かる筈だが、誰もが口を閉ざしており――そもそも彼らの所在地すら国家機密であるため――半ば都市伝説として語られるようになっているのであった。
「けど誰かが神になって新しい世界を創造したなんてこともない。そんな話は眉唾だって思ってるよ」
「いや、願いは叶う。それは事実だ」
「え?」
幽刻は冗談なのかと思って苦笑しそうになるが、彼女の澄んだ右目を見て飲み込む。それは真剣そのものだったからである。
「皆事実を知らないだけで、彼らの、これまで魔法使いになった12人全ての願いは叶っている」
不思議と緊張した空気が場を覆った。幽刻は雰囲気に飲まれそうになるのを押し留めるため、ゆっくりと口を開いた。
「……魔法使いの情報って国家機密クラスだろ。そんな話があったらもっと世界じゃ問題になってるだろうし。第一何で一介の高校生のお前が知ってるんだよ?」
「ふむ。君の疑問ももっともだな」
彼女はさらりと流した。しかしそれは「今君がそれを知る必要はない」というニュアンスを含んでいる事を、幽刻は感じ取っていた。
「さて随分とお喋りが過ぎたようだ。意欲無き者がここにいる必要はない。立ち去るといいよ」
「待ってくれ。魔法使いにできるって、言ったよな? どうやったら魔法使いになれるんだ」
引き留めた幽刻の言葉に、少女は視線を向けた。