その10 黒衣の正体
殺す。
普通の生活を送っている高校生には無関係の言葉であり、身近に感じることもない言葉。
しかし今、目の前の少女がそれを語っている。
「家族を殺した……敵?」
「そうだよ」
紗々奈はこういう所で冗談をいう少女ではない。少しの付き合いしかない幽刻にも、それは分かっている。
全て事実なのだ。
殺されたという事も、そして彼女が殺意を持って殺すという言葉も。
幽刻は自分の頭に手をやって考えを落ち着かせる。
「……警察には?」
「はっ! 魔法使いを警察がどうにかできるとでも?」
魔術という技術が生まれて30年以上。経済の発展や化学との融合で新たな革新が生まれたのも事実だが、当然犯罪にも使われてきた。その為各国も魔術犯罪を取り締まる組織が組まれている。日本にも『魔術犯罪課』が警察の一部として組織されている。
しかし紗々奈が言ったように、「魔術」を対象にした組織であって、「魔法」とい超常存在をどうにかできる組織ではない。一蹴されるのも当然だった。
「だから魔法使いを裁けるのは、魔法使いしかいない」
「目には目を歯には歯を、魔法使いには……ってか。それで魔法使いを創ろうとしていた所へ、都合よく才能の欠片を持った俺が現れたと」
「不満?」
「気にならないと言えば嘘になる。でも俺なんかを魔法使いに仕立てるより、お前が魔法使いになるのが一番早いんじゃないのか?」
「ボク自身が魔法使いになることはできない」
「何故だ?」
「だって才能の移植を行ってボクが魔法使いになるという事は、それはつまり」
ふと何か言いかけて、紗々奈は何かを言い淀み、口をつぐんだ。
暫くして彼女は氷が溶けきった温い水を飲み干すと幽刻を見る。
「……この左目の結晶眼。これは限界無制限を奪われかけた時の代償だ。不完全なボクでは魔法使いになれないんだ」
紗々奈の眼帯の下に隠された能力。浮遊するマナを視ることが出来るという特殊な瞳を持っているのは確かだ。だがそれだけで自身が魔法使いにならない理由になのだろうか。
いや違う。何かを彼女ははぐらかしている。
そしてその理由を幽刻は薄らと気付いているのだが、喉の奥に小さな棘が刺さったかのように言葉にすることができなかった。
代わりにもう一つの疑問を口に出した。
「俺が三軸の才能を得て魔法使いになったとしてだ。俺が仇と戦うとは限らないだろう。お前の復讐は成り立たないんじゃないのか」
「いいや。君が魔法使いになった場合、妹を助けたいのなら必ず戦う事になる」
「何故そう言い切れる?」
「魔法使い達は叡智の王冠の破片を集めていると言ったのを覚えているか? 君が妹を助ける方法を知るには叡智の王冠を完成させるしかなく、その為には他の魔法使いと戦う必要がある。そして魔法使いの中には当然、仇も含まれているのだよ」
「そいつを俺に、殺させると」
「……結果的にね。君も願いを叶えるために前進できるから等価交換だと思うが」
「これは等価交換じゃない。人を殺すってどういう意味か分かってるのか?」
「無論だよ」
「誰かの命を奪うってのは小説や漫画では使う陳腐な言葉だ。でも人が犯してはいけない禁忌だ」
「ボクはそれをされたんだっ!!!」
幽刻の言葉がトリガーとなったのか、紗々奈は下を向いたまま強く叫んだ。
「復讐なら自分でやれって? ああ、ああ、本当だったらそうしてやりたいさ! 魔法で四肢を引き千切って腹を引き裂いて頭をかち割ってやりたいよ!」
「……! だったら! 自分でやれよ! お前が魔法使いになればいい俺はそんな重みは背負えない」
「何を言ってるんだ。ボクが魔法使いになるってことは君を……!」
少女はそこまで言ってからハッと口をつぐむ。
まただ。先ほどと同じ感覚。小さな違和感。
彼女が魔法使いにならない理由は魔術が使えないからではない。何か別の理由があるのだ。
一体何が――――幽刻が口を開こうとした時だった。
背後に凶悪なマナの流れを感じた。全身の毛が身も立つような感覚。人を消し去るに十分な殺意の量。心臓が止まるほどの緊迫感。
同じ感覚を、幽刻は今日学校で一度味わっている。
「談笑中に済まないな。少し話があって来たのだが、取り込み中だったかね」
壊れた扉の入り口に黒衣の男が立っていた。
精悍な顔つきに膨大なマナ。魔術実技の授業で出会った、あの男だった。
幽刻がそう認識したのと、座っていた紗々奈がカウンターを乗り越え飛びかかったのはほぼ同時だった。それは普段のゆっくりとした動きからは考えられないほどの敏捷性。
運動神経に優れている幽刻ですら、その行動を回避することは不可能だったであろう。
男も動けなかった。――いや動かなかった。代わりに男がしたのは、指を前に差し出しただけだった。
リンッという音がしたと思った瞬間、紗々奈の身体が男の逆方向へ弾き飛ばされた。
壁に叩きつけられる前に幽刻が身体を滑り込ませられたのは、心のどこかで「準備」ができていたからだった。
鈍い痛みが全身を駆け巡る。その痛みに顔をしかめたが、すぐに飛び出そうとする紗々奈を抱き抱えた。
「……っ! 紗々奈!」
「ふぅーふぅー!」
紗々奈は瞳孔が開いた瞳で男に尚も飛びかかろうとする。男の幽刻ですら引き剥がされそうになるほどの力。何とか押さえつけていると、次第に腕にかかる力が弱まっていく。
紗々奈に睨みつけられたままの男は、
「まるで獣だな。見た目と残された才能は、麗しいのだがね」
「……誰だが知らねーけどさ。女の子を吹き飛ばしておいて謝らないなら獣と同じだ。つか話に来る時間がそもそもちょっと非常識だと思うんだけど」
「ふむ。用が済んだのがたまたまこの時間であっただけなのだが、君の言葉には一理ある。非礼は詫びよう」
男はあまり悪びれた様子もなく、余裕を持った声で答えた。
だが幽刻の方はというと、男ほどの余裕はない。黒衣の男が持ち得るマナの量は常人が持ち得るものではなく、近くに存在するだけで圧迫感を感じるからだ。
一体何者だ。幽刻がそう問おうとした時、紗々奈が静かに口を開いた。
「幽刻。こいつだ。こいつこそがボクの敵であり、そして君が殺すべき魔法使いだ」
黒衣の男は紗々奈の言葉を聞いて小さく嗤うと、
「紗々奈。紹介はもう少し正確に行うべきだ。実験同様正確に、な。私の名前は佐々木済州。魔法使いの一人であり、そして君の腕の中にいる子の叔父でもある」
『殺意』を向けられても尚平然と、自らの素性を明かした。




