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君が十三人目の魔法使いになるまでに  作者: 十津川
二章 二人の交差路
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その8 心休まる安らぎの風呂

「あー……しんどかった……」


 幽刻は湯船にどっぷりと浸かると、溜息と安堵の溜息を同時に吐き出した。

 案の定風呂場は汚れていたのだが、紗々奈がしばしば利用しているようで掃除はそれほど時間が掛からなかった。

 風呂場があるのは二階というよりは屋上に近い所にある。湯船の頭上には屋根があるが、そこ以外は吹き抜けで、外の景色が見えるようになっている。近くに建物はなく覗かれる心配はないし、外から見ればゴミ山のてっぺんから湯気が出ているようにしか見えないだろう。


「魔法使い、か」


 何気なく呟いた言葉が、湯気に乗って外へと流れ出る。一週間ほど前までは、一階の高校生に過ぎなかった自分が、本当にそんなものになれるのか。正直半信半疑のまま幽刻は空を見上げた。

 しかし病床の妹を救うには、魔法使いになれば願いが叶うという夢物語を信じて進むしかない。顔を両手で叩き気合を入れる。

 とりあえず今は悩んでいても仕方ない。一旦湯船から出て頭を洗う事にする。


「……っと。これは紗々奈が使ってるシャンプーか?」


 少し手に取るとふわりとした甘い香りが漂う。女の子と同じものを使っていいものか一瞬迷うが、他には石鹸くらいしかないのでここは仕方ない。泡立てて頭を洗い始めた時、泡が目に入ってしまった。

 そして慌てて洗い流そうと、片手で周囲を探った時だった。

 何かが幽刻の手に触れた。

 柔らかい何か。何か柔らかい何か。


「……おい、君が揉んでいるのはボクの身体の一部なのだが」


 憮然とした声が耳に届いた。


「さ、紗々奈!? おおおおおま、何で! 入ってきてるんだよ!」

「ん? 一緒に入ったくらいで何を驚いている?」

「い、いやだって! ていうかお前は平気なのかよ! 恥ずかしくないのか!?」

「君はペットと一緒に風呂に入る時に誰かの許可を貰っているのか? それよりいい加減、ボクの腕を離して欲しいのだけど」


 指摘されてから慌てて手を離す。どうやら弄っていたのは紗々奈の二の腕だったらしい。ちょっと安心の様な残念の様な。幽刻とて年頃の男子なのである。

 体に湯を流す音、それから湯船に何かが入る音が続けて聞こえてくる。泡が目に入ったままなので、音で何が起こっているか想像するしかないが、恐らく紗々奈が湯船に入ったのだろう。


「はぁ~いい湯。やはり日本に生まれてきて良かったと思える瞬間だね」


 恐る恐る手探り何とかシャワーを探り当てると、水を出して急いで洗い流す。だが視界が良好になったとしても振り向くことはできない。

 異様な状況に留まっている必要はない。幽刻は健全な男子ではあるが、欲望が振り切れないほど愚かではなく、ちゃんとした常識を備えていたからである。

 しかしそっと外に出ようとした幽刻の背中に、非常識な言葉がかけられた。


「こら、待ちたまえ。何処へ行くつもりだ。ちゃんとご主人様の背中を流しなさい」

「な、なにいってるんだにいてんだ!」

「噛み噛みで分からないよ。何を言っているんだ」

「そりゃ俺のセリフだっての! 自分で何言ってるか分かってるか!?」

「? 下の者が目上の者に礼を尽くすのは当然だろう? エミルにそう教えられたよ? ボクもよく彼女と一緒にお風呂に入って背中を流させられていたし」


 どうやらぶっ飛んだ価値観は師匠であるエミルに植え付けられたものらしい。見た目は幼いが間違いなく小悪魔……いや大悪魔かもしれない。

 そんな風に戸惑っているうちに、湯船から上がる水の音が背後から聞こえた。そのままぺたぺた歩く音。カタッという小さな音から察するに、どうやらシャンプー台に座ったようである。幽刻の視界の隙間から白く長い足が見えた。


「……幽刻。ボクを湯冷めさせてたら承知しないよ?」

「あああああもう! 分ったっての! やりゃいいんだろ!」


 少年は覚悟を決めた。女の子の背中を洗うだけだ。直ぐに終わらせればいい。

 勢いよく振り向くと紗々奈の背中が視界に入った。雪のように真っ白で、水滴が留まる事を許さない瑞々しい肌。長い黒髪はトップにまとめており、そこから見えるうなじはほんのりと紅く染まっている。

 ゴクリと息を飲む音が、発した本人にだけ大きく聞こえた。

 慌てて首を振り沸き起こった煩悩を振り払い、シャワー脇にあるタオルを手に取ろうとする。それを横目で見た紗々奈がぶっきらぼうな口調で、


「あ、ボク肌が弱いからタオルは使わないで」

「おう……ってどう洗えばいいんだよ!」

「ボディソープを手にして擦るだけで汚れは落ちるから」

「なるほど……って手で直接!?」

「いちいち騒がしいモルモットだね? いいから早く」


 幽刻はもう一度ゴクリと唾を飲んだが、それは先ほどよりもさらに大きかったのは間違いない。


「じゃ、じゃあやるぞ」


 少し多めのボディソープを手に取ると、恐る恐る雪の様な肌に手を添える。湯船で温められた暖かい体温が手に伝わってくる。ゆっくりと手を上下に動かし泡立てていく。


「……もう少し強めでもいい」

「お、おう」


 言われた通りに少し力を込める。つるつるとした肌の感触が更に手のひらに伝わる。

 背中の中央から下へ。できるだけ見ないように顔をそむけてしているが、あまり下の方に行き過ぎると色々マズいので適度に視界にいれざるを得ない。

 どれほど擦っていただろうか。幽刻は必至で分からないが、紗々奈は少々じれったく思っていたようである。


「幽刻。もう背中はいいから」

「お、お、お、おう」

「次は前ね」

「ん? 前?」

「前」

「前?」

「前」

「前?」

「前! 身体の前面だよ! 君は巡回中のロボットか何かなの? いいからさっさと」


 焦れた紗々奈が振り向こうと体を動かした時だった。幽刻の思考と手が、恐らく今までの人生の中で最も高速に動いた。

 桶を手に取り湯船から素早く湯を汲むと、紗々奈の頭に勢いよくかけて背中を流した。


「わっぷ!」

「はい終わり! ちゃんと湯船に浸かれよ!」


 そう言って慌てて風呂場を出ると扉を閉めた。体もまともに拭かないまま、脱衣所にあった自分の服を着て階段を下りて行く。


「おや、早かったね」


 階段を降りきった先の廊下で、エミルと遭遇した。いつの間にか浴衣に着替えており、どうやらこれから風呂場に行くようであった。


「え、ええ! もう十分あったまったかなと!」

「ふむふむ、それは何より。んであったまったのは身体だけかい?」

「え?」

「おや、紗々奈の背中を流してたんでしょ? ほらあったまったのはぁ」

「ぐっ……!」


 エミルは視線をやや下に移すと、口に手を当ててくすくす笑った。銀色のツインテールがふわりと揺れる。


「どうやら楽しんでもらえたようで、あたしとしても満足にゃあ」

「いいえ! 楽しんで何かいませんから!」

「そうなの? まあいいや。あたしも楽しんでこよっと!」


 そう言って階段を小走りに上がって行った。どうやら一緒に入るつもりらしい。

 暫く呆然として立ちすくんでいると、すぐに風呂場から「きゃあ」「おっきくなった?」「ちょ変な触り方しないで!」「すべすべだにゃぁ」という嬌声が聞こえてきた。

 現場で一体何をしているのか、気にならないと言ったら嘘になるが、見に行くほどの元気はない。第一火照りを冷ます方が先決だ。


 「あの声は外に丸聞こえだろうな」そんな事を考えながら、多分片付いていないであろう食器類を片付けるため、一階へ向かっていった。




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