5
「――へ?」
いみが分からなくて間抜けな声を出していた。
「すごいや。リズ。すごい。いつも僕の斜め上を行く。」
口調はもとに戻っている。柔らかい少年のような口調に思わずリズは肩の力を抜いた。よかった。と思う。安心した。挙句殺されるのかもしれないと思ったが――まぁそれは置いておこう。となぜか棚の上に上げる自分は変なのだろうか?
「もう少しで本気で殺しちゃうとこだったよ。」
ふふふと笑う呑気な声にリズは身体を引き離そうとしたが剥がれない。今までのこの男は何だったのだろうか?
「いやいやいや。やめて。マジで。お前の為に俺死ぬ気ないから。てか、離せ。――離れろ。離してくださいっ!」
「だよねぇ。人のために死ぬっておかしいよねぇ?人のために生きたいよねぇ?」
聞いてないし。げんなりする。ははは。と笑顔を浮かべて仕方ないと為すがまま置いておくしかない。まぁ悪い気はしないので別にかまわない。それに涙の痕も乾かないし。
「リズ。僕の本当の願いを?」
「生きたいんだろ?でもそれに関しては協力でしないししたくないし、させない。お前の命だけが重いなんてことはないんだから。」
「知ってる。」
ようやく顔を上げることができた。そこにはニコニコと笑顔を浮かべている少年がいた。相変わらずだ。でもよかった。とリズも笑う。
「初めから。知ってるよぉ。ほんとはそんなものいらないし。僕は死んでいく。ただそれだけ。願ったのは最初だけだよ。ほんとリズと会った最初だけ。」
「じゃ何で俺を殺そうと?」
「一応?体裁?」
それだけで殺そうとしたのだろうか?この男。顔を引き攣らせる。彼はようやくリズを離すとひらりと踵を返して女官を呼んだ。
部屋から去ったはずの彼女は音も無く物陰から現れてリズは心臓が止まりそうだった。ロムは彼女を一瞥する。
「これでいい?――合格?」
「何が?」
彼女はリズの言葉なんて無視だ。茫然と立っているリズを舐めるように見た。ため息一つ。
「まぁ。そうですね。可愛らしい方ですね。いてでしょう。我が主と認めましょう。仕込みが楽しみです。」
何の?笑顔が怖い。愕然と見ているリズはすでに無視だ。
「うん。じゃあ――消えろ。邪魔すんじゃねえよ。」
こちらも負けず劣らず笑顔が怖い。殺気だった顔だったが女官は怯まなかった。『良い夢を』と微かに呟いて身を翻し出て行った。
「えっと。」
分けも分からずリズはロムを見た。手を開いて近づいて来る彼を避けると悲しそうな顔を浮かべる。
「えっと。ここに連れ込むなら覚悟を決めろと言われてて。弟にもあれにも。時間なかったし。」
あ、でも信じてたけど。と付け加えた。
「何のだよ?」
連れ込む――はとりあえずおいておく。『へへっ』と呑気に相変わらず笑っているロムを見て彼女は頭を抱えた。
「命を捨てない女でなければ嫁として認めないって。命を捨てるようなら有難く貰えつて。」
なんだそれ?盛大に顔を引き攣らせ九十度回転する。もう関わりたくない。
「……俺帰る。あんたの女になった覚えはないし。妃にもなった覚えはない。勝手に死ね」
「リズ。」
彼の声が背中に響いてリズは思わず振り返っていた。近い。と思う。吸い込まれるような深紅がそこにある。きらきらと輝いていた。きれいだと思えるくらいに。
「僕の願いは君と生きることだ。――叶えてくれる?」
「……何で?」
形の良い唇から出た言葉にリズは率直に返す。彼は苦笑を浮かべて彼女の手を取った。実際この時からリズの頭の中は思考停止しているのだが気づくはずも無い。
「好きだから。君が。」
「……何で?」
ぱちぱちと長い睫が揺れている。へぇ。睫毛って瞼か閉じるたびに音がするんだ。と考えながらリズはロムを見た。ロムはがっくり頭を垂れている。
しばらく停止。――ようやく理解したリズは突如として顔が真っ赤になっていくのを感じた。つられるように顔を真っ赤にするロム。とても大人の対応とは思えないがどうなのだろう?
「いやいやいや」
「嫌?」
傷付いた表情に可哀想だと思ったリズは慌ててフォローを入れる。
「いやいやいや?だってほら。俺たちこの間知り合ったばかりだし。うん。よく知らないし。うん。えーと。」
「でも無理だよ?国中に『婚約しました』ってお触れだしたもの。」
困ったように言う言葉に凍り付く。
「……は?」
それ、俺の答えを聞く前に出したよね?っうか答えてねぇし。何なの?なんなの?え?さっきまでの確認事項てなに?死んだらどうしてたの?――と言葉にはなることがない色々な想いか駆け巡る。茫然自失。彼女はゆっくりとロムに目を向けた。
「はい。だから考え込まなくていいし。と言うかリズも僕が好きだよね?」
「……は?え?いや。」
ふわりと抱きすくめられれた時――それは偶然だったのかリズの手が『カオス』に触れた。
こつり、と冷たい感覚。ロムが気づいて慌てて引きはがした時はもう遅く異様な光がリズを取り巻いていた。
「え?」
ぐらぐらと揺れる視界。気持ち悪い。何かが急速に失われていくのを感じた。真っ青な顔をロムがしている。そんな顔もするのだとリズは何となく笑うと彼は泣きそうな顔をして見せる。
これは。
「リズ――。」
倒れる彼女の身体をロムが支えた。
「悪い。触れてしまったみたいだ。――絶対あんたの為には死なないと言ったのに。馬鹿みたい。」
アハハと笑う。笑ったのは彼を安心させようとしたのだが逆効果みたいだ。どんどん力が失われていく。痛くはないが酷くだるい。
「ロム。ごめん。んな……顔すんなって、俺の不注意だ。結局――死ぬんだなぁ?俺。」
「まだ死んでない。」
いつかリズが言った言葉を彼はそのまま言った。まるで鏡のようだ。と思う。怖かったのだ。知り合いを失うのは。その言葉を吐いただけで消えていきそうなそんな気がして。リズが手を伸ばすとロムはゆっくりと自分の頬に押し当てた。
温かい。
「まだ――。」
ロムは何かを思い出したようにリズを床に寝させるとゆっくりと立ち上がる。冷やりと背に地面の熱が移りこむ。
手を宙に伸ばしてゆっくりと何かを呟き始めた。
『盟約の女神よ――混沌の神カオス。』
「やめろ。」
ぞわりと部屋の隅に黒い影がうごめく。嫌な予感などと言うものではない。世界に這いずるような暗黒がこの部屋に集中しているようだった。
「やめろ。」
リズは呻く。ロムは宝石を解放する気なのだと思った。解放して自分を救うのだと。得られるのはちっぽけな命。その代償は大きい
『わが肉体――。』
「やめろ!」
力の限り叫んで彼女はゆっくりと立ち上がった。そんな力はもうない。だが。ぐっと震える足を制御してロムの身体を抱いた。彼の背中が大きく震える。
「やめようよ?ロム。そんな事をしてももう意味はないよ?」
もう――意味などない。それが分かる。崩れていく意識。そのそこでとんでもない美人にあった気がする。
それが誰なのかリズには分からなかった。