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よろしくお願いします。
この世には誰がどう頑張っても盗めないものがあるのだという。この大陸三大国家の国宝――『カオス』『イデア』『アポリア』。それが何であるのか誰も知らない。代々『王』が受け継ぎ門外不出とされてきたからだ。
ただ――ここに一人の『大』怪盗と名乗る少女がいる。前にも後にも国宝『カオス』を盗んだと名を馳せる少女だ。それがどんな状況であっても――。
その名もリズ・ウェインと言った。
「ふふふ。嬢ちゃん。今日こそ、年貢の納め時だなぁ?」
入り組んだ街の路地――暗く生臭い匂いが立ち込めていた。目の前には壁。背には緋色の制服――この国を警備する『保安局』の者だ――を着込んだ男たちだ。その一番前にいる三十路を少し過ぎたころの男がにやにやと口を歪めている。
どうしたものか?と彼女はため息一つついて、男を見た。
「レナード。見逃してくれよ?いつもだったら見逃してくれるじゃん。――どうせ金なんて有り余っているお貴族様から取ったんだし。」
「――見逃してねぇよ?俺が仕事サボってるみたいに言わないでほしいねぇ?」
いや。いつもサボってるじゃん。と内心突っ込んで彼女はあることに気づく。『空気』がいつもより張っている。いつもより局員の顔が強張っている。目の前にいるへらへらした男でさえもどこか――。その『中心』を探して彼女は『へぇ』と小さく口ずさんだ。
「あれ?誰?レナード?新人?」
年の頃は同じ歳ぐらい――十五、六と言った処だろうか?金色の髪に見たことも無い深紅の双眸。少女みたいな整った顔立ちの少年――多分――は貴族なのだろう。目立ちに目立った貴族の衣服を着ている。彼女が自分で悲しいと思ったのはそのすべてに値段が浮かぶことだった。もちろんその少年の値段まではじき出す。今まで人買いだけはしたことなどないが。
「うっ?とにかく。リズ。手を出せ。」
聞かれたくないようだ。新人などではないとは分かっていたが。おそらく上役の息子あたりだろうか?どうでもいいけど。
そんな事よりどうするか考えていると少年がにこにこと近づいてきた。レナードが何かを言おうとしたが少年が制する。
「君。何でコソ泥してるの?女の子なのに。」
子供みたい純粋な目だと思う。ただ彼女はそんな目が嫌いだ――同じ理由で子供が嫌いだ。
「盗賊だ。コソ泥じゃねえよ?それに女だからなんだよ?」
彼女は口をへの字に曲げた。子供の頃母親と生き別れた彼女は生きる術が無かった。結局人から盗むことでしか生計を取るしかなかったのだ。知り合いで『春』を売る者もいるがそんな事はしたくない。
「そうなの?腕利き?」
彼は聞いているのかいないのかふわりとした声で話す。その横でレナードがどうしたらいいか分からないといった表情を浮かべているのが些か面白い。いったいどれだけの権力を持っているのだろうか?この子供は?――逆に言えば見逃してもらえるかも?と考える。
「当たり前だ。俺に盗めないものはねぇ。」
多分。と心の中で付け加えて胸を張った。本当はただの泥棒だ。すごいことができるわけでもない。でも言うだけは無料だろう?罪には問われまい。彼はなおもニコニコと続ける。
「じゃあ、『カオス』を盗んで欲しいなぁ?そしたら君の罪は無くなる。それを僕がすごい金額で買い取るよ?」
『カオス』なんだっけ?と首を傾げた。すごい宝なのだろうか?
「ちょ?ロム!」
さらに困惑気味に声をレナードが上げる。だが彼が一瞥すると口を金魚のようにパクパクさせながら黙りこくった。そんなにこの子供が怖いのだろうか?ごく普通の少年にしか見えない。些か線が細いくらいで。いくら上官の子供でも情け無い。と思う。大人の癖に。
そんな子供のそんな眉唾な話になんて乗るわけないだろう?嘘くさい。
「国宝だよ?聞いたことない?」
「ない――けど。いいや。なんかさ。そんな事よりいいこと思いついたから。」
ざっと埃を巻き上げながらリズは滑るようにして一歩踏み出し、持っていた短剣を抜きながら少年に抱き付くようにして首元に剣を突きつけた。
ただ驚くほどに彼の表情は変わらない。変わったのは顔を真っ青にしていくレナードと局員の者たちだけだ。
「リズ・ウェイン!貴様。」
軽い滑るような金属音。一斉に鞘から剣が抜かれ彼女に殺気が叩きつけられた。少しでも動けば殺されるだろうか?この少年を傷つける前に。ーーまずかったかも知れない。とても浅はかで得策ではない。と考えながら彼女はゴクリと息を飲んだ。
だが戻れはしない。ここでこの彼を放しても殺される気がした。こうなったら――道ずれに死んでやる。悔し紛れにそう思う。
「俺はさ。知らない人間の言う事は聞かないようにしているんだ。それにそんな事信じられないし。……さぁ!レナード。道を開けな!こいつを殺すぞ!」
声を張り上げる。が悲しいことに誰一人怯むことはなく、逆に彼女自身が萎縮する。
だが。
「……そうなの?分かった。レナード。僕はどうやら捕まったらしい。と言う事で道を開けてくれる?」
にこにこと笑顔で呑気な声が響いた。この雰囲気におおよそ似つかわしくない。
「は?」
間抜けな声を出したのはリズだったかレナードだったか。少しの緊張も感じられない面持で彼はニコリと微笑んだ。ただその眼は笑っていない。少なくとも子供のする眼ではない。レナードはぐっと喉を鳴らす。
「――正気ですか?我が君。」
『わがきみ』って何だろう?そんな事を考えながらほとんどロムに引きずられるようにして路地に出た。気づくと立場が逆だ。おまけに手に持っていた剣はなぜか少年の手に収まっている。
「うん。明日には帰るから。」
ひらひらと手を振りながら振り向くことなく彼らはそこを後にした。
まずは信じてもらう様に知ってもらわないと。
と意気揚々と少年に連れてこられたのは街の真ん中にある有名食堂(どうやら適当に選んだらしい)。もちろんリズも常連だが――彼のその姿はどう見ても異質だ。絡んでくださいと言わんばかりの『お貴族様』突き刺さる目線に彼女は頭を抱えた。ざわざわと噂をされている。もし彼が一人ならここに入った時点でいろいろ剥かれ売りに出されていたに違いない。
「どういうつもりだよ?もういいって言ったのについて来るし。」
とりあえず頭を冷そうと水を一杯喉に流し込んで彼女はニコニコ笑っている少年に目を向けた。
「だって。国宝盗んでくれるんでしょ?」
あまりの驚きにぶっと水を吐き出す。この少年は人の話を聞いていたのだろうか?断ったはすだが。リズは半眼でロムと呼ばれた少年を見つめた。
「いやいや。絶対盗まねえし。そんなあやしげなもの。つうか何でそんなもの欲しいんだよ。」
だいたい国宝って失敗したら人生終了な予感がする。
「だって、僕死ぬから。」
まるで他人事のようだ。『死』の影などどこにもない。だからリズも『へ?』と間抜けな返事を返すことしかできなかった。
「あとね。そうだなぁ――大体一か月くらい?僕はこの世からいなくなるからね。」
ざわりと何かが心の中で揺れる。なんだろう?この感覚は?怒りにも悲しみにも似た感覚が湧き上がってくる。そんな気がして彼女はまっすぐに少年を見つめた。
「からかっているのか?」
「――だったらいいね。」
くすりと笑う。やはり死の影など感じなかったが本当でも嘘でも彼女は嫌だと思った。なぜそれを避けたいのかは分からない。考えると頭痛がしそうだ――ただ。ぐっと口を一文字に結ぶと彼女は彼のきれいな衣服を掴みあげていた。
わけの分からない感情のまま。
「お前は生きてる!いいか?お前は生きてるんだ?分かるか?生きているんだ。ここにいる。だから――だから?」
何が言いたかったんだろう?はたと気づいてリズは少年の視線に気づいた。不思議そうな深紅の双眸が見つめている。おまけに周りのお客もリズに注目していた。
(――うわぁ。何言ってんだよ?俺。)
「ええと。ごめん。つい。」
顔が真っ赤になる。まさかこんなことで我を忘れるなんて思ってもみなかったのだ。なぜ?とかどうして?とか言う前に逃げ出したくて居たたまれない。机に顔を伏せると『あー』と低く呻く。
「リズって。」
「――ん。」
ふわりと声が響いて彼女は顔を上げるとロムは笑っていた。人形のような整った顔をくしゃくしゃにさせながら。それは年相応の表情に見えて、思わずかわいいと考えてしまう自分が恥ずかしい。微かに紅潮する頬に気付いて彼女は微かにロムから顔を逸らした。だが。
「かわいいなぁ。ほんと。」
突然入って来る言葉に彼女は硬直する。思うのと言われるのとでは大違いなんだと知ったがどう反応していいのか分からない。そんな言葉言われたこともなかったから。
「――っ。あ?」
相変わらずの笑顔に彼女は言葉を詰まらせた。
「……おまっとうさん。リズこのお貴族様は獲物か?」
どうしよう?と困っているとちょうどいいタイミングで店のおじさんが『いつもの』料理を運んできた。小太りで厳つい。頑固おやじ風情の男はロムを一瞥すると鼻を鳴らす。
「いや。――ええと、ああ。うん。そう。」
そう言わないとたぶん身ぐるみはがされるだろうな?と考えて曖昧に返事をした。別に剥がされてもいいような気がしてきたがやはりレナードが付き従ってるからには国の重要人物の息子なのでだめだろう。ため息一つ。男を見送ると彼女は目の前に座っている少年に目を向ける。
「これは食べ物?ペットのでは?」
彼はじっと机に置かれた皿の内容物を見つめていた。
「黙れ。本当に撒くぞ?それにこれはここで一番うまいんだ。」
ち。貴族が。と思わず心の中で舌打ちをしてしまう。彼はそんな事を無視するようにして『へぇ』と小さく呟くと素直にスプーンで口許にそれを運んだ。
まずいと言う気配はない。だが『おいしい』とも言わないが。ここで一番の料理なのにと若干寂しさを覚える。やはり貴族様の口には合わないのだろうか?
「ねぇ。リズ。――僕が国宝を欲しいのはね。それが手に入れば僕は死ななくて済むからなんだーー正確には違うけど。」
「は?」
リズは少年の顔を見た。少し寂しそうに笑う。もうすぐ死ぬと言うのは本当なのかもしれない。そう思うと心が痛んだ。
まだ自身と同じ歳ぐらいなのに。
「それはそうだねーー難しいけどどんな病も治すと言われているんだ。ただね……うん。誰もそのありかは分からない。」
何かを確かめるように言葉を慎重に紡いでいくがリズにはよく分からない。彼女は肩を竦めてみせた。
「――結局無理じゃねぇか?俺だってそんなものがあれば――いや。ねぇんだよ。実際。そんな事よりそうだな。」
無いものを探しても意味などないのだ。彼女はスプーンを咥えながら考えるように古びた店を見渡した。
「お前したい事とかある?」
リズの笑顔に彼は少しだけ笑った。