9. 普通の定義
ぐだぐだとタケルが考えています。
その日の夜。
タケルは自室で過ごしながらふと窓の外を見た。
正面にあるトーコの部屋。
カーテンが閉まっていて中はうかがえないが、電気がついているところを見るとまだ起きているのだろう。
課題中か、読書中か、そんなところだろう。
付き合いが長ければ行動だってある程度読めるものだ。
今日一日の出来事と、ミナコを宥めるのに苦労したことを思い出しながら、ため息を零す。
そして、どうしてこんなことになったのかをしみじみと思う。
あの世界から返ってきた日。
正直な話、すごく不安だった。
あそこで経験したこと。
手に入れたもの。
失ったもの。
全てなかったことにして、元の生活に戻る。
自分しか知らない世界のことは他者には理解されないだろうし、否定や異物を見る目で見られるのはないかと思った。
だけどトーコは。
『お疲れさん』
全部飲み込んで、そう言って。
『んで、おかえんなさい』
不安定な心を宥めるように笑った。
それはとても有りがたいもので、涙がこぼれそうになった。
その瞬間思い出したことがある。
ヤマトとトーコについて話した時のことだ。
「トーコが普通?」
予想もしないことを言われた、という顔でヤマトが繰り返した。
「ないよ」
そして、端的な否定。
「え?」
言われて首を傾げる。
トーコはほぼ全ての項目において突出するものがなかったから。
色々と得手不得手はあるものの、それも特筆するほどのことではない。
いつも平凡で自然体で、『ありえねーだろ』と日々思わされる兄や妹とは違ったから。
「お前には分かんない?」
「うん」
「そっか。まぁ、分かんないか……そうだな、今のお前だと分からないよな」
くしゃくしゃと自分の頭をかいて、きょとんとしているタケルを見て困った顔になる。
「分かんないお前でいてくれた方が、お前にとってはいいかもしれないな」
そう言って苦笑した。
とりあえずさ、と口調を改める。
「お前もトーコもさ、『普通』とか『特別』に捕らわれ過ぎだと思うんだ」
「…………」
その言葉にう、と動きが止まる。
兄がそのスペック故に苦労していることを知って、当たり前の兄弟のように接しようと決めてもなお、拭えない劣等感がタケルにはある。
それを指摘するような言葉に、罪悪感が胸を占める。
「いや、ごめん。そういうつもりじゃないって。そうじゃなくてさ、今はトーコのコトな」
そんなタケルに気付いて、ぐしゃぐしゃとやや乱暴に頭をかき混ぜる。
話をそらすようにトーコの名前を上げて。
「トーコは大切だ。俺にとっても、ミコトにとっても、ある意味で救いなんだよ。恋愛感情の有無は関係なくね」
本当に大切で仕方がないものを語るように、目を細める。
いつか、分かるかもな。
そう笑った笑顔に言葉をなくした。
(あれって、こういうコトだったのかな)
ぼんやりとした思考の中でそんなことを思う。
目まぐるしく変わる周囲。
好意。悪意。嫉妬。打算。
変わった自分と、変わった周囲。
その中で唯一変わらない人。
その存在。
『トーコ』
兄が呼ぶと、
『何、ヤマト兄』
と答える。
媚も嫉妬もない声で。
『トーコちゃん』
ミコトが呼ぶと、
『どうしたの? ミコトちゃん』
と笑顔を返す。
ただ妹を愛する姉の顔で包み込むように。
例え、自分の容姿が醜くても、頭が悪くても、ただ自分でありさえすれば受け入れてくれると、確信させられる。
トーコも自分も周囲も、『普通』の人間だと思っていた。
ここで言う普通とは、十把一絡げの平凡な、という意味だ。
同じ普通の人間からすれば、トーコは取るに足らない人物に見えるのだろう。
だけど、特別と呼ばれる人達から見れば違う。
特別視される人間というのは、大多数が占める枠からはじき出されるのに等しい。
自分がそうなって初めて実感する。
人の輪から外され、注目され、沢山の感情を押し付けられること。
それが時に苦痛であることは否定できない。
だけどトーコだけは。
変わらずにいてくれた。
今なら分かる。
トーコはいつだって、昔からヤマトやミコトを守ってきたのだ。
そして、今は自分を守ろうとしてくれている。
悪役をかってでてくれたのもそうだ。
きっと対象が自分でなかったら黙殺しただろうし、肩をすくめてマイペースに過ごしていたのだろう。
有り難いと思うし、嬉しい。
ただひとつ、トーコは分かっていない。
そうやって、トーコが三兄弟を守りたいように、タケルだってトーコを守りたいのだ。
大事な幼馴染。
どうすれば、彼女を守れるのか。
(そういえば)
ふと、ある人物の姿が頭に浮かぶ。
『彼』なら、どうするだろう。
ヤマトとタケルにとってのヒーローで、母方の伯父。
ヤマトの特質は母方の遺伝らしく、母もまた『特別』の一人だ。
その母の年の離れた弟であり、母も、ヤマト兄も、自分もかなわないと思う、本当のヒーロー。
そして、トーコが自分たちを守るようになったきっかけの人。
トーコの初恋の人。
もうどこにもいない人に、タケルは想いを馳せた。
余談ではあるが、タケルが憤ったまま家に帰り着いた時、脚の痺れたトーコとそれをつつこうとする兄が楽しそうにじゃれ合っていたため、キレたタケルにより、お説教延長戦が発生した。
終了して家に戻るトーコはよろよろと憔悴していたという。
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