50. それぞれの一区切り
そんなタケル達を遠巻きに見つめていたスミレが小さく囁く。
「私……、自分のことばっかり」
両手で口元を抑えて全身を震わせている様子に、リツカとミナコが気が付いた。
既に三人に構う余裕のないタケル達には聞こえていない。
そちらをちらりと見たミナコは、くるりとタケル達に背を向け、まっすぐにスミレに向き直った。
「私だって同じですわ」
「っ! 私だって」
そっとスミレの肩を支えるように触れて、語りかけるミナコは、タケルを好きになった直後の不安定さはなかった。
隣にいたリツカもまた、どこか片意地を張っていた時のような危うさはない。
「でも、私達は、まだ変わっていけるでしょう?」
何をするにも、もう一人ではない。
相談して、協力して、一緒に過ごせる友達がいる。
その心強さを知った。
もう一度ちらりとタケルを見て。
トーコの背に回されたのと反対の腕が、エリシアの背にあるのを見て。
(私たちは、失恋してしまったけど)
その悲しみすら共有できる。
その三人に苦笑したカナメはそっと歩み寄る。
「外に出ましょうか」
トーコを翻弄したことで感じていた憤懣も、もう消えていた。
ただ、仲睦ましげなタケルとエリシアを見るのは辛いだろうと思い、外へ促す。
それに三人は頷いて。
そっと音を殺して廊下に出る。
「ヤマトさん」
「……うん」
中に入ることなく、扉の外で会話を聞いていたヤマトを促すように扉を示したカナメに、ヤマトは首肯して入れ違いに室内に入る。
その表情が、穏やかに微笑んでいたのを確かに見て、カナメも微笑んだ。
今、トーコと三兄弟は大きな山場を越えたのだと知って。
何が解決したわけではない。
サクヤの無事が確認できたわけでもない。
それでも、もうトーコは一人で耐えなくてもいいのだ。
そのことに、泣きたいくらいの安堵を覚えた。
閉ざされた扉の向こう。
その空間が、トーコにとって優しいものであることを嬉しく思い、改めて三人の少女を見て。
「貴方達はもうお帰りなさい」
「……はい」
微笑み送り出すカナメに三人はそれぞれ頭をさげて、廊下を去っていく。
そして、カナメも。
「……」
もう一度保健室の扉を見てから、静かにそこを離れた。
出て行った少女達と入れ違いに室内に入ってきたヤマトが、扉側に立っていたキースに目礼し、ベッド周囲で固まっている三人の方に歩み寄る。
キースは立ち尽くしたまま、隣を通り過ぎるヤマトをただ見送るしかなかった。
自分がかけられる言葉など、一つもないとわかっていたからだ。
泣きじゃくるトーコを見て、昨日の赤い目をしていたエリシアを思い出していた。
心に抱えた、大きな重荷。
それを解き放つ姿。
トーコが昨日エリシアにしたのは正にそれではないのかと、ようやく気が付いた。
『私の心の淀みを流して下さっただけです』
そう言って、嬉しそうに破顔したその姿。
ずっとそばに控えていたキースすら察することのできなかった淀みとやらを、簡単に見抜いたトーコ。
そのことに薄気味悪さすら覚えていたが、なんのことはない。
自分も同じだったからだ。
自分も辛い思いを感じていたから、同じように苦しむ人に気付いたのだ。
そして、相手を気遣い、癒し。
気遣われることを厭い、自らは虚勢を張った。
だけど、トーコはただの女の子だった。
長く続く心労。
そこに、さらなる圧力を受けて、崩れてしまった。
だけどそれは、崩れることができた、と言ったほうがいいのかもしれない。
本当に壊れる前に。
自分自身を壊してしまう前に。
強い信念で自分を支え、他者を見つめ続けたトーコという人間のかけらを見せつけられる。
ただただ盲信していた自分とは違う彼女を。
静かに唇をかみしめて、未熟な自分を思う。
(民を護る誇り高き騎士などと言っても、人の気持ちもわからない。わかろうともしていなかった俺に、言えることなどない)
安易な慰めすら発する資格はないのだ。
傷ついた彼女の特別な姿を見れたことに、おかしな優越感を覚えている場合ではなかった。
それなのに。
ぐっと拳を握り締め、キースはうつむくしかできなかった。
「トーコ」
「ヤマト、兄」
かけられた声に、トーコはエリシアの背に回していた手を解いて顔をあげた。
ヤマトにとっては、懐かしいとすら言える表情。
その頬は涙に濡れ、鼻はこすったらしく、赤くなっていた。
「ごめ、んなさ」
しゃくりあげながら、謝ろうとするトーコに苦笑して、両腕を伸ばす。
それにトーコは自然に抱きついて。
(やっと、泣けたんだな、トーコ)
昔はトーコもよく泣いていたことを思い出す。
いつしか、心配をかけまいと、笑顔を作るようになったけど。
腕の中でぐずぐず泣いているのを受け止めていると、自然と幼い時のことを思い出す。
視線は隣で同じように目をこすっているタケルに向いて。
「やっぱりお前も泣くんだな」
思わずこぼれた声は笑いを含んでいた。
苦笑しながら言われた言葉に、タケルは首を傾げた。
「やっぱり、って?」
「なんだ、自覚がなかったのか。トーコが泣くとお前も泣くじゃないか。いつも」
「っはぁ!?」
予想もしてなかった言葉をかけられて、タケルが声をあげた。
「ずび……そう、だっけ?」
「トーコも気づいてなかったのか」
鼻をすすりながら、腕の中で顔を上げたトーコに微笑みを向けて。
「タケルが誰かに馬鹿にされた、いじめられたって、タケル以上にトーコが怒って、それで泣くだろ。で、それを見ると、初めてタケルも泣く」
昔からどこか自分の痛み鈍感だったタケルよりも、トーコのほうが過剰反応だった。
タケルの分も怒って、仕返しして、タケルも怒れとばかりに、感情を持て余して泣きじゃくる。
それを見て初めてタケルも自分の辛さを自覚するのだ。
「トーコが何か怪我をすると、トーコが痛そうだとタケルが泣いて、それを見てトーコも泣くんだ」
二人で手を繋いだまま、『痛いぃぃ! うわあああん』と泣くものだから、どちらが怪我したのかを聞くところから始めたこともしばしば。
「どうも赤ん坊の時からだったらしいぞ。一緒に寝かせとくと大人しいが、片方が泣くと両方泣くらしい。母さんが言ってた」
「なななな」
「嘘ぉ」
思い出すのも恥ずかしい過去の暴露話に二人が悶絶する。
「だから、ずっと双子扱いだったんだろ」
「えええ、それでかっ!」」
小さい時から、やたらとワンセット扱いをされていた原因が、今になって発覚という、何この羞恥プレイ。
「自覚がないとは思わなかったな」
「ううう、そんなの気づいてないよ」
「もっと早く教えてよぉ」
自分の無意識の行動、しかも幼少時の行いをばらされた二人が悶えるのを見て、エリシアもヤマトも笑う。
今までの重たい空気を吹き飛ばすソレに、感じるのは喜びだけで。
(やっと、踏み出せる)
互いに頭を抱えている二人に気づかれないようにヤマトは視線をエリシアに向け、感謝の思いを込め、僅かに頭を下げる。
それに気づいたエリシアは、笑顔で少し首を横に振る。
無言で行われたそれらに、タケルとトーコは気づかない。
「さて、体調が落ち着いたなら、帰ろうか。タクシーを呼ぶから」
「え。歩けるよ? 私」
「駄目。倒れたのに歩いて帰るとか、許す訳ないだろ」
「でも」
ヤマトの言葉に驚いて反論しようとしたトーコに、ヤマトはにっこりと微笑んだ。
「俺が抱き抱えて帰るのと、どっちがいい?」
「タクシーで帰らせていただきます」
翌朝からのトーコの平穏(?)な日々を崩壊させる提案に、即答してしまったのは当然の成り行きと言えた。