47. 一人ぼっちの迷子
廊下をばたばたと走る音が近づいてきて、部屋の前まできたかと思うと、勢いよく戸が開かれた。
「トーコは!?」
真っ先に顔を見せたのはタケルだった。
「タケル…っ」
「タケルさん」
それに室内にいた四人の少女がそれぞれ反応した。
不安そうな顔をしているのが、ミナコとリツカ、下を向いたまま小刻みに震えているのがスミレ。
そして、困ったような顔で立ち上がって迎えたのがカナメ。
「タケルさん。お気持ちはわかりますが、お静かに。……今は、眠ってらっしゃるので」
「あ、すいません」
カナメの言葉に慌てて声を落としながらも、視線を巡らせ、奥のカーテンの向こうを伺う。
目でそこかと問い、返された頷きに応えて、静かに歩み寄る。
ちらりと覗いたカーテンの向こう側。
保健室のベッドの上に、目を閉じ眠るトーコを見つけた。
顔色は悪く、表情も心安らかとは言い難いトーコを見て、胸が締め付けられる思いに襲われる。
それは、普段トーコが頑なに隠し、タケルやヤマト、ミコトが見ることのない姿だ。
トーコ、起きろと声をかければ、きっとすぐに目を覚まし、その視界に自分達を認めた瞬間、いつものように笑うだろう。
その笑顔を見るために、声をかけて起こしたい衝動を堪えて、そっと離れる。
「タケル、カナメ」
続いて戸から顔を見せたのはヤマト。
その後ろにはエリシアとキースがいた。
心配げに表情を曇らせたエリシアの入室に、三人の少女がほんの少し反応する。
だが、そんなものなど視界の外においたカナメがヤマトの方へ、一歩踏み出した。
「ヤマトさん……私がついていてこのようなこと、申し訳ありませんでした」
険しい表情のまま入室してきたヤマトに、深々と頭を下げる。
「いや。そんなことより、状況の説明を」
カーテンの側で、悄然と俯くタケルを見て、中がどんな状況なのかを察したのだろう。
あえて、近づくことはせずにカナメに問いかける。
「トーコさんは、放課後まで生徒会室で過ごした後、下校しようとしましたが、廊下で彼女たちに遭遇。口論の結果、彼女の感情が、その……」
あの様子をなんと表現してよいものか、と数秒逡巡して、躊躇いがちに言葉を紡ぐ。
「そう、暴発、して」
あの心の底からの叫び。
本当は解き放つつもりのなかった、だけど押さえておくには限界だった悲鳴をそう表現し。
「そのまま、意識を失いました。保険医にい見てもらいましたが、ストレスと寝不足ではないか、と」
「……寝不足」
はっとして呟いたのはキース。
本人も無意識に呟いたのだろう言葉に、エリシアが顔を向ける。
「キース、知っていたのね?」
「申し訳ありません、口止めをされていまいた」
嘘のつけない側近兼護衛の騎士に向けた声は、どうしても、咎めるような鋭いものになってしまった。
キースとしては、弁解のしようもなく、ただうなだれるだけだ。
「カナメ、確認したい」
「はい」
目線をカーテンに、否、その向こうにいるであろうトーコに向けて。
「倒れた原因は『彼』のことかい?」
「……はい」
どこにもいない彼のことであるのか。
そんなこと、確認するまでもないことだった。
それでも、あえて問いかけたのは動くきっかけが必要だったからだ。
「そうか」
ふう、と重たいため息をついて、一度足下を見たかと思うと、タケルに向けて声をかける。
「タケル、出るよ」
「……」
「……タケル、こっちに来て。廊下に出るんだ。トーコから離れなさい」
「……っわかって、る」
最初は何を促しているのかわからなかった少女達とキースが、指示に頷いたタケルに驚きの表情を浮かべた。
「え、な、何で? だってあんなに大事にしてたのに」
「な、何を言ってるんですか? 付き添うの間違いじゃ」
予想外の言葉にリツカとカナメが問いかける。
それに苦々しく表情を歪め。
「廊下か、別の教室でなら話してあげるけど、とにかく今は外に出てないといけないんだ。聞きたい人はついてきて」
問いに答えず踵を返したヤマトに、とぼとぼとタケルが続く。
その様子に、エリシアとキースはほんのわずかに迷った後で廊下に出る。
顔を見合わせた三人娘は立ち上がったミナコに続いてリツカも立ち上がり、困惑と不安と、迷いでオロオロしているスミレに手を差し伸べた。
そして三人も廊下へ。
それを待ち受けるように廊下に立っていたヤマトは一人室内に残るカナメを見る。
「私は、彼女についています。差し支えなければ後日お聞かせ願えれば嬉しいです」
まぁ、聞かずとも、私の彼女への対応も、感情もゆらぎませんが、と呟くカナメにヤマトが苦笑して。
「頼む」
「かしこまりました」
短い要請に、返される確かな返答を聞いて、保健室の扉を閉じた。
静まり返った廊下に、人の気配はない。
そのことを確認したヤマトは他の教室を探すのをやめた。
廊下の壁に背を預ける立つその姿は、苦悩が色濃い。
タケルはその横で、壁を睨むように、他の人間に背を向けていた。
「どこから話したらいいかな……。まずはそうだね、トーコの好きな人の話から、かな」
そんな台詞から始まった話は、いつかリツカに話したものと同じものだった。
五歳という幼い年齢から始まった恋は、彼女の成長に深く関係していて、その恋がなければ彼女は今の彼女足り得なかったであろうということ。
彼女が彼を失ったことで壊れかけた時、自分達を守るということでくい止めることができたこと。
そこまで話して、ヤマトは言葉を切った。
「いや、違うね」
ため息と共に後悔がこぼれる。
「俺たちを守ることで、自分が保てるだろうと、ある意味で俺たちに依存させた。彼女が自分で立ち直れるまで助けるのでなく」
それがこんなにも彼女を苦しめるなんて、あの時は思ってもいなかったのだ。
修正できる時はもっと前にあった。
だけど、あの時の傷つき壊れかけた彼女をもう一度見るのが嫌で、怖くて。
「時が救ってくれる日を願って、逃げ続けていた。これがその結果なんだろう」
何れ限界が訪れる。
そんなことわかりきっていたのに。
「それと、今の彼女から距離を置くのにどんな理由があるんだ?」
女性は守るもの。
女性のほうが、男を守るということすら、いまいち納得がいっていない様子のキースは、やはり感情に鈍感だ。
女心うんぬんよりも、そこまで深く誰かを思ったことがないのだろう。
「トーコは、目を覚まして俺たちがそばにいたら、きっと自分の辛さを全部飲み込んで笑う。我慢、してしまうんだ」
ぽつりと呟いたのは、タケル。
「最初のころはさ、まだわかりやすかったんだ。無理してるって」
だけど、そんな自分を見て、同じように辛そうな三兄弟を見て、辛さを見せないように演技をし始めた。
「年々上手くなる。俺たちを騙すのが。俺はアイツにそんな無理をさせたくない。きついなら、きついって言ってほしい。だけど、俺たちじゃダメなんだよ」
他でもない自分たちこそが、彼女の楔。
良くも悪くも、引き留め、縛り付ける象徴。
「せめて、我慢だけはさせたくない」
だから、三人で約束をした。
トーコがこらえきれず、弱った時、それがサクヤ叔父さんに関わる件に限り、距離を置き、側に近寄らない、と。
いかに、有名であろうと、周囲に称えられる者であろうとも、自分たちは子供だった。
高校生、中学生。
そんな、多感で不安定な年頃の子供だった。
自分たち三兄弟だけではない。
トーコだって。
「それ以外に、どうしたらいいのか、わからなかったんだよ」
答えの見つからない迷路で、それぞれはぐれて迷ってしまった。
途方にくれたように立つ二人と、慟哭して意識を飛ばしたトーコを思う。
そして、ミナコ達は、過剰に懐き、敵対するものを激しく嫌悪したミコトも脳裏をよぎる。
それぞれがかける言葉に迷って、黙り込んだ廊下には、重たい沈黙が落ちた。
「……今でも」
そこに、わずかに震えた声が響いた。
「今でも、それしかできないんですか?」
その問いに、ヤマトとタケルが顔をあげ、声の主を見た。
すなわち、エリシアを。
「今でも、どうしたらいいのか、わからないんですか?」
「エリシア?」
二人を見るその眼は強い光を宿している。
一国の王女にふさわしい、威厳すら漂う姿。
「だったら、私が教えてあげます」
「え…?」
ふわりと微笑んだエリシアに、戸惑った表情になる。
「どうする気?」
「一緒に来てください。そして、トーコお姉さまとお話ししましょう」
そっと手を差し伸べて、笑う。
安心させるように、優しい笑みで。
その様子を見て目を瞬かせたタケルは、しばし沈黙して、小さく頷いた。
「ああ、そうだな」
ぎゅっときつく拳を握りこんで、決意の表情を見せたタケルに、エリシアは笑みのまま頷いた。