46. 溢れて弾けた
その場に落ちた沈黙に罅を入れたのはミナコだった。
「貴女は知っていたの?」
何をかなんて、聞く必要はない。
「タケルには他に好きな人がいるって」
震える声で断罪する。
「この部屋で話をしたあの頃からずっと」
一言、一言、絞り出すような声で。
「知っていて、私たちをずっと、ずっと嘲笑っていたの?」
悲鳴のような声に、トーコの唇が震えた。
だが、それは言葉にならずに閉ざされる。
エリシアのことを知ったのは、この教室で話をした時より、ずっと後だ。
嘲笑ってなどいない。
むしろ、少しずつ他者と関わることを覚えていく彼女たちを微笑ましく思ってすらいた。
だけど、あぁ。
(それが、何の救いになるんだろう)
途中からは知っていた。
タケルが彼女らに恋をしていないことに。
違う誰かに恋していることに。
そして、その背を押した。
彼女らが苦しむことは知っていて。
だから、返す言葉は決まっている。
「知ってたよ」
「トーコさん!」
火に油を注ぐ発言にカナメが焦った声をあげる。
「タケルには他に好きな人がいること。その相手もまた、タケルを大切に思っていること」
淡々と言葉を続けて。
「知ってたよ」
その台詞が余りにも無感情で、ミナコが戸惑ったように口ごもった。
この三人の少女の中で、最も大きなダメージを与えられた、最も揺さぶられた彼女だからこそ、その異常に真っ先に気がついた。
(いつもの、彼女と違う…?)
そんなミナコをいつも庇うのはリツカだった。
だが、今日ミナコの前に立ち、トーコを睨みつけたのはスミレだった。
「トーコさん」
「…………」
危うい光を帯びた目に、カナメの警戒が高まる。
カナメには見覚えのありすぎる表情。
それは狂信者のような、狂おしい思いが暴走した者の持つ目だ。
「なんで貴女なの」
「……スミレ?」
「どうして貴女ばかりがそんなに恵まれているの!?」
叩きつけるような悲鳴にミナコとリツカが目を見開いた。
自分たちの知る、いつも後ろで控えめに笑っていたスミレの鬼気迫る様子に言葉を失う。
スミレの血を吐くような叫び。
それは、トーコを取り巻くものを見て感じた、不満だった。
トーコを護るように一歩前に立つカナメ。
彼女はいつも凛とした立ち姿で、男女問わず多くの生徒に憧れの眼差しを向けられる才女だ。
学級委員として生徒会絡みの会議に参加することも多いスミレもまた、その一人だった。
そのカナメにとって、トーコという存在は特別なのだと感じた。
幼なじみだというヤマトの指示もあるかもしれない。
しかし、それ以上にトーコを案じる表情は本物だ。
学校の代表である生徒会長で絶大なる支持をもつヤマトにとっても、その片腕で、憧れの的であるカナメも、そして何より。
(タケルくんにとっても)
特別な存在。
自分が特別な存在だとは思えない。
だから、二人の恋敵の中で浮いている不安感に苛まれた
そんな自分よりずっととるに足らない、どこにでもいそうな普通の少女。
自分よりも劣っていそうな少女。
思えば後ろにいた二人に疎外感を感じたのも彼女のせいじゃないか。
タケル君があの金髪の子とくっついたのだって、何か口出しをしたんじゃないの?
だから、こうして隠れるように帰っているんじゃないのか。
だったら、彼女が、全ての元凶だ。
「貴女が……貴女がいなければ!」
「トーコさん、離れて!」
叫ぶと共に掴み掛かろうとしたスミレから遠ざけるため、カナメはトーコの腕を掴んで引き、自分の背に庇った。
恋情と、嫉妬と、不安と、憎しみが心の中で渦巻いていたスミレ。
その思いは、実のところ三人の中で、一番深い思いだったのかもしれない。
スミレは学業においては秀才であっても、運動神経はそう、恵まれていなかった。
ましてや、誰かに危害加えようなど経験のないことだ。
素早くその場から引きはがされたトーコという目標を失い、その先の廊下に勢い余って転倒した。
「スミレ、大丈……」
慌てて駆け寄ろうとしたリツカだったが、半身を起こして、トーコを睨みつける鬼気迫る様に凍り付いた。
「狡い……。なんで貴女ばかりが、貴女ばかりが……」
未だ恨みがましい表情でトーコを見るスミレはいつもの彼女とはかけ離れていて、誰もが言葉を失い、目を奪われた。
だから、気づくのが遅れた。
「狡い……?」
引き寄せられたトーコの様子がおかしいことに。
「トーコ、さん」
ふと零れた声は、ひどく乾いていた。
無感情な囁き声。
「私が恵まれている?」
スミレの心の奥から溢れた嫉妬と羨望の言葉は、余りに的確にトーコの心をえぐった。
それに三人が気づくのはこのしばらく後のこと。
虚空を見つめて呟いたトーコは、すっと視線を巡らせ、スミレを見た。
「っ!?」
その瞬間、びくりとスミレが震えた。
トーコの表情を見た他の二人もだ。
「じゃあ、代わって?」
優しいとすら表現できる声。
柔らかい微笑みを浮かべて、でも目はけして笑っていなかった。
「代わってよ」
微笑んでいるのに泣いているように見える顔で、言葉を紡ぐ。
「大好きな人が、生きてるのか死んでるのかわからないまんま三年間。ただ待つしかなくて、ずっと宙ぶらりんで、その人との約束しか生きる意味が見つからなくて、苦しくて、苦しくてたまらない私が」
言いながら、微笑みが崩れていく。
「恵まれている、というなら、」
泣きたいのに、泣いているように歪んでいるのに、ただの一滴すら涙を見せず。
一度、すっと息を吸い込んだトーコが思いを弾けさせる。
「今すぐ、変わって!!」
その場にいる誰もが、否、タケルやヤマト達ですら久しく聞いていない感情的な叫びが廊下に響く。
「あ、貴女、何を……」
「……!」
驚き、困惑するミナコの横で、リツカが唇を噛む。
ヤマトやタケルから話を聞いていた彼女は知っていたから。
トーコの身に起きた悲劇を。
だけど、疑っていた。
トーコが余りにも普通だったからだ。
平気な顔をしているから、本当なのだろうかと疑っていた。
それが、けして平気なんかじゃなかったと知ることになって、初めて残酷な現実に気づく。
耐えていただけだ。
ただひたすら、押し殺して耐えていただけだったのだ。
生存を祈って、信じて、何事もないかのように日常を送る。
それしかできないだけだったのだ。
呆然としてトーコを見るミナコとスミレ、歯噛みしているリツカを見て、カナメは内心で舌打ちをする。
(なんてこと……)
一番避けたい事態だった。
朝から時折不安定な様子を見せていたトーコは、普段よりも心の奥底に閉ざされた扉が開きやすい状態だったのだろう。
そこに、自分がノックをし、彼女たちがこじ開けた。
これはその結果だ。
「トーコさん……」
痛ましい様子にどんな声をかけたものかと、躊躇いがちにトーコを呼んだカナメが次の瞬間、息を飲んだ。
叫ぶだけ叫んだトーコは、、再び宙を見たと思ったら、すぅっとその目は閉ざした。
そして。
「っトーコさん!」
がくりと全身から力が抜けて崩れ落ちた。
咄嗟にのばしたカナメの両腕が、間一髪その体が地面に倒れるよりも前に確保する。
トーコは意識を失っているようでぐったりとしていた。
「トーコさん! しっかりして、トーコさん」
一旦支えながら床に下ろして、顔をのぞき込む。
その顔色は蒼白だ。
「ちょ、ちょっと、大丈夫なんですか!?」
「わからない。一まずは保健室に運ばないと。手伝ってちょうだい」
「は、はい」
突然の異常事態に、混乱しながらもトーコを支えるリツカ。
「え、あ、あの」
先ほどまでの激昂も、思いも寄らぬ事態に吹き飛んだらしいスミレが、状況がわからないままに声を上げるが、カナメは見向きもしない。
そのかわり、ミナコが手を差し伸べた。
「ス、スミレ」
「……ミナコさん?」
「大丈夫? 貴女も、その、い、一緒に保健室に」
行こう?と呼びかける声に、スミレの心が揺れた。
「う、うん」
差し出された手を取って、きゅっと握る。
そして、全員で保健室へと急いで移動した。
2/1 誤字訂正しました。