40. 晴れやかじゃない朝
「トーコお姉さま! 早いですね」
眼を覚ましたエリシアは、隣にあったベッドにトーコの姿がないことに気付き、キッチンへと向かった。
そこには既に朝食をほぼ作り終えたトーコの姿。
それに驚きの声をあげる。
「おはよう、エリシア」
「おはようございます」
くるりと振り返っては笑顔でご挨拶。
それに同じく笑顔を返して。
(…………?)
その表情にエリシアは内心で首を傾げた。
微笑んでいる。
(はず、なのに……)
どこか違和感が残る表情だった。
本心の見えない笑み。
心なしか顔色も悪い。
「お姉さま?」
「じゃ、運んじゃってくれる?」
「あ、はい」
呼びかけた声に気付かなかったかのように、かけられる声。
それにとりあえず頷いて。
エリシアは一見天然ではあるが、実際のところ欲望渦巻く貴族社会に接してきた。
だからこそ空気を読んで口をつぐむ。
「……って、ああっ!?」
「え?」
「お、お手伝いできませんでした…」
そして、空気を変えるかのように大きな声をあげ、がっくりと肩を落とす。
そんな様子に、トーコも思わずふっと吹き出した。
「笑いごとではありません! 明日、もしも私が起きれなかったら、起こしてくださいね!」
「えー。寝てていいのに」
「ダメです! お手伝いするんです!」
段々、姑の手伝いをする嫁から、お手伝いを覚えたての子供になってきている気がすると思って笑う。
「はいはい」
「絶対ですよ! 約束ですからね」
「わかったってば、ほら、持ってって」
「はぁい」
しっかりと念を押すエリシアに笑いながら答えて、程よく焼きあがったパンと目玉焼き、サラダ等を指さすと、素直に運び始めた。
皿を手にしてトーコに背を向けたエリシアが、人知れずほっとする。
今の笑顔は本心からの笑みだとわかったから。
(何か、あったのかしら?)
夜の間に。
寝付くまでは特に変わった様子はなかったはずだ。
なんでもない風を装うトーコに踏み込むことは出来なかった。
トーコにはどこかしら、これ以上踏み込ませないというカベがある。
それを取り除くにはまだまだ時間が必要で。
(タケルなら何かわかるのかしら?)
兄で、弟で、子供であるという幼馴染の彼ならば。
(後で聞いてみよう)
そうひとりごちたエリシアは、トーコの手伝いに意識を向けた。
(上手く笑えてたかな?)
無理だった気がする。
「今のは気を使わせた、かな」
そうぼそりと呟く。
羨んでいることを当の本人にぶちまけることはできなかった。
彼女は何も悪くないのだから。
ましてや、ここまで好意を向けて懐いてくれている子に、そんな非情な真似ができるほど、トーコは強くなかった。
何か言いたげなキースと、ただ美味しそうに食べるエリシアと、トーコ。
三人の朝食を終えて、登校準備をしながらため息をこぼした。
「しっかりしないと」
どうにもならないものに、振り回されていてはダメだ。
今は、これから数日は、何かしらの騒動が起きやすくなるのだろうから。
気を引き締めていかないと。
そう思っていたら、階下からトーコを呼ぶ声があった。
「……そろそろか」
鞄を手に玄関へ。
そして、ドアを開けると、タケルの姿があった。
「おはよ」
「うん、おはよう」
朝の挨拶を交わす後ろから他の二人も同様に挨拶を交わした。
「じゃあ、手はず通りにな」
「はいはい。じゃあ行ってら」
「行ってらっしゃい」
「後でな、タケル」
「ああ、行ってきます」
そう言って、後ろ髪を引かれながらも登校するタケルを見送り、トーコは改めて戸締り、昼食や室内設備の説明をして。
さぁ、家を出ようという時にチャイムが鳴った。
「え、こんな時間にお客さん…?」
首を傾げて、扉を見るトーコの耳に届いた声は、涼やかで、凛とした響きのある声だった。
「トーコさん、おはようございます」
「っ!」
驚いてドアを開けて、その先にいる人を見て、眼を見開いた。
「カナメ先輩。あれ何で……ってああ、ヤマト兄が言ってたっけ」
「ええ。一緒に行きましょうか」
やや小柄な体格ながらも、細身な体は引き締まり、肩口で真っ直ぐに切りそろえられた艶やかな黒髪が麗しい少女。
彼女が、ヤマト兄親衛隊総括のカナメだ。
トーコにとっては二つ上の先輩であり、何かと世話になっている存在でもある。
普段から表情が少ない彼女が、薄く浮かべていた微笑みに、肩から力が抜けた。
「ああそうだった。……もう」
はぁ、とため息が漏れた。
揺らぐ自分のそばに、いてくれる人。
数少ない、トーコが頼ってもよい相手。
それにほっとすると同時に、苦い思いも胸をよぎる。
「ヤマト兄にはかなわないなぁ…」
(グラグラと動揺する自分などお見通し)
「ヤマト様ですから」
くすりと笑う彼女に、へにゃりと力なく笑って。
「あ、あの、お姉さま?」
訝しげに背後からかけられる声に、苦笑のまま振り返る。
「ヤマト兄の片腕? みたいな人」
「エリシアさんにキースさんですね。ヤマト様より指示をお伺いしております。本日は私の部下の者が迎えにまいります」
「あ、はい! そのお世話になります」
わーナチュラルに部下って言ったー、と内心で思ったのはトーコだけだ。
二人は普段から臣下など、上下関係の多い世界にある。
「では行きましょう。遅刻してしまいます」
「あ、はい」
なんだかんだと話をしていては、本当に遅れてしまう。
しかもカナメを道連れにして。
それはとても申し訳ない。
だから。
「じゃあ、行ってきます」
「はい、行ってらっしゃいませ、お姉さま」
「う、あ、ああ、行ってこい」
満面の笑顔のエリシアと、戸惑った様子のキースに見送られ、二人もまた通学路を並んで歩きだした。