38. 悪夢
嘔吐表現ありますが、生々しい表現はしてません。
短めです。
トーコは自分の部屋にいた。
ただ、いつものようにそこにいて、そのことに何の理由もなかった。
そんな自分をどこか遠くの出来事のように、客観的に眺める。
その間には透明な壁のような、膜のような不思議なものが立ちふさがっている。
壁の向こうのトーコは普段と何ら変わりなく寛いでいた。
ピンポーン! と軽やかな音を立ててチャイムが鳴ったのはそんな時。
壁の向こう側のトーコはそれに慌てて、部屋を飛び出す。
今、家に、自分しかいないのだ。
二階にある自室を出て、階段を慌てて降りる。
玄関にたどり着いたトーコは躊躇いもなく、ドアノブに手をかけた。
(駄目)
壁のこちら側で呟いたトーコの声は彼女に届かない。
音にすらならず、消え去る囁き。
扉の外に、自分を害する者など存在しないと確信しているかのように。
それを開いて。
(駄目だってば!)
一息に開いたそこにいたのは。
彼、だった。
その存在を言葉で表現するのは難しい。
ただ懐かしくて、懐かしくて――――。
懐かしいだけだと、気付いて戦慄する。
彼は何一つ変わらぬ姿でそこにいた。
服装も、持っている荷物も、髪の長さすらも同じ。
『トーコ』
その声で目眩がする。
何年たっても忘れられない声。
向けられた笑顔。
大好きなはずの笑顔で、頭をがつんと殴られたかのような衝撃を受ける。
(違う違う違う! コレは違う!)
心の奥底からの悲鳴。
だけど、壁の向こうのトーコは、そんなものには構うことなく。
サクヤに向かってゆっくりと微笑んで。
口を、開く。
(言っちゃ、駄目ぇーーーっ!)
「サクヤさん、 」
ひゅっと息を吸い込むと同時に目をさました。
かすむ視界は薄暗い。
それは今の時刻がまだ真夜中であることの証。
耳が痛いほどに、どくどくと鳴り響く心音は、今の夢の残響のようだった。
じっとりと嫌な汗をかいている自身の体に気付いて、ゆっくりと身を起こす。
「……っ」
顔をしかめ、肺の奥から悪態を吐きそうになって、ソレに気付く。
「……すー……すー……」
規則的な寝息。
視線を巡らせると、布団に横たわるエリシア。
そう、エリシアを部屋に泊めたんだったと思いだす。
寝る前にお決まりのようにベッドの譲り合いをして、結果的に自分はいつも通りにベッドで、エリシアは布団に体を横たえたのだ。
穏やかな寝顔をじっと見つめて。
「……」
ぎゅっと歯を食いしばり、表情が歪むのをこらえた。
こみ上げる嘔気を片手で口を押さえることで止めて、物音を立てないように部屋を抜け出す。
廊下に出てから移動速度を早足に変えて、トイレに逃げ込む。
そして、こみ上げるままに、吐いた。
(気持ち悪い)
大したものが出るわけではなかったが、それでも胸の奥にある汚いもの、重たくて、苦しいものを出してしまいたくて。
(気持ち悪い、気持ち悪い)
生理的な涙が眼に滲む。
それを力任せにパジャマの袖で拭って。
(ずるいって思った)
タケルとエリシアの笑顔。
それが嬉しいと思ったはずなのに。
(私は何年待っても逢えないのに、エリシアも、タケルも、ずるい、って思った)
(もっと、逢えなくて苦しめばいいのに、て思った)
夢は、心は正直だ。
自分で都合のいいサクヤまで作って、心の支えですらあった、約束の言葉を言った。
(私が一番、気持ち悪い)
長くなりすぎたので分割。
続きは明日だか、今日の夜だかに更新予定です。