28. 不名誉の負傷
僅かながら、流血表現あります。
追加で残酷描写注意タグをつけることにいたしました。
申し訳ない。
「三年前に、子供ばかりを狙った通り魔があったの、覚えてる? あれの最終的なターゲットって、ミコトだったんだ」
そんな言葉で話し始めたヤマトに、リツカは頭をがつんと殴られたかのような衝撃を覚えた。
だってそれは、リツカが剣道を始めたきっかけ。
怯える弟妹を守る為、強くなろうとした。
今の自分の原点である事件。
「ミコトは当時でさえ、美少女として有名だったからね。ミコトを誘拐しようとしたんだよ。その予行練習があの通り魔だった」
沈痛な面持ちでヤマトが語るのは、余りにもおぞましい内容だ。
「俺達は、ミコトが狙われかねないことを十分に理解していた。だから普段はあいつを一人にすることなんてなかった」
どこに行くにも誰かが同行した。
既に叔父であるサクヤに戦い方を習い始めていたし、近所にある剣道場にも通い始めていた二人だ。
今よりさらに幼い、小学生の小さなミコトを守ることは二人の使命であると思っていた。
「だけど、あの日。あの日に限って俺達はあいつと一緒にいなかった」
ぎゅっときつく握られた拳。
苦しげな声に足元が冷えるような感覚が押し寄せる。
「ちょうど同じ時期、俺達の叔父が行方不明になったんだ」
「叔父、さん?」
言葉を途切れさせたヤマトの代わりに口を開いたのはタケル。
「さっき、トーコに聞いてた、トーコの好きな人」
「え!?」
(行方不明っ!?)
思いもよらない言葉に目を見開く。
「叔父っていっても、10才くらいしか年離れてなくて、小さいころからずっと遊んでもらった人でさ……。トーコは小学生に入る前からずっとその人が好きだったんだ」
小学生になる前、という言葉にもまた驚く。
高校に入って初めて真っ当に恋をしたリツカとはキャリアが違いすぎる。
しかも相手は10も年上なのだ。
そして、その相手が行方不明。
「行方不明、っていうか、生死不明っていうか……。ある事故に巻き込まれた、かもしれなくて」
「かもしれない?」
「電車事故で……ううん、列車テロで」
「テ、テロ!?」
「アメリカにいたんだ、その時」
そう言われて思い出す。
そういえば、その時期にそんな内容がニュースで流れていたような気もする。
「その電車にいたらしい、ってくらいしか情報がない。でも死体は出てないんだ」
「…………」
「俺達は生きてる、って思ってる。連絡がないのも何かの理由があるんだろうって」
「でも周囲の関係者は遺体が確認できないだけで死んだんだろうと思ってる」
死んでいるはずがない。あのサクヤが。
そう断言できたのは家族と、親しい友人だけだった。
それだけ凄惨な事件だったのだ。
そして、トーコの元にもその話は伝わった。
「トーコは放心状態だった」
泣きはしなかった。
ただ、茫然と、宙を見たまま動かない。
食事もとらない。
部屋に閉じこもった。
人形のように、そこに在るだけ。
「そうさせたのは多分俺達だ」
肺の奥から吐き出した重たいため息。
「生きてると信じられるほど、楽観的にはなれなかった。死んでると認めることは俺達の否定を見ていてできなかった」
生きているのか、死んでいるのかわからない。
何もできない時間。
それが、どれほど苦しかっただろう。
「それでも、トーコはその苦しみと向き合って、なんとか自分の気持ちを呑みこもうとしていた。だけど」
「見て、いられなかったんだろうね、ミコトは」
大好きなお隣のおねえちゃんがおかしくなっている。
壊れそうなくらい苦しんでいる。
なんとかしてあげたい。
そう思ったミコトは、トーコを部屋の外に連れ出した。
一緒にお散歩に行こう、と。
「トーコとミコト、ただ二人だけでいるところに、そいつは現れた」
通り魔の犯人。
町内の平穏をかき乱すもの。
「トーコを突き飛ばして、ミコトを攫おうとしたそいつを見て、トーコは自分を取り戻したんだろう」
目を伏せ、その情景を思い出しているのか、ヤマトの声は怒りに震えていた。
「戦うことなんて思いもしない、か弱い中学生の女の子にできることなんて限られてた」
ただ体当たりして、ミコトをその腕に取り戻して、庇うように抱きしめる。
無防備に背中を向けて。
「俺達や母さんが二人の不在に気付いて駆け付けたのはその直後だな」
トーコの背中は赤かった。
犯人が怒りにまかせ、ナイフを抜いて、斜めに斬りつけた。
その傷は服を斬り裂いて、肌を傷つけた。
『トーコちゃん!! トーコちゃん!! うわぁぁあああぁん!』
泣きじゃくるミコトの声。
動かない、呻き声すら上げないトーコ。
悪夢のような光景。
犯人は直後に逮捕された。
トーコはすぐさま病院へ。
怪我の具合は皮膚を斬っただけであり、臓器などの損傷はなし。
奇跡的に、重要な血管を傷つけるということもなかった。
全治数週間。
ただし、傷が消えるかどうかはわからない。
そう言われて、打ちのめされたのはトーコの家族よりも、タケル達だった。
兄弟達の衝撃は元より、いつも綺麗な母も憔悴した顔で、謝り続けていた。
申し訳ない、本当に申し訳ない。
涙を流し、トーコの両親の前で頭を下げ続ける母を前に、無力感に歯を食いしばり、ぐじぐじと泣き続けるミコトを抱きしめる。
高熱を出し、意識を飛ばしたままのトーコを心配し、目を覚ましてくれることをただただ願い、祈り。
辛い話を一区切りするように吐息を一つついて、ヤマトは少し力を抜く。
「騒ぎになると辛い思いをするのはトーコとミコトだからさ。できる限り、トーコとミコトの名前は報道されないようにしてもらった。知ってる? 全治一カ月未満って『軽傷』になるんだって」
あれだけの傷があっても、障害が残る可能性があるものを含む程度の怪我や全治一カ月以上のものじゃないと重傷にはならない。
だから報道されたのは、『中学生の少女が軽傷を負った』。
ただそれだけ。
小学生の女の子を庇って、中学生の女の子が消えないかもしれない傷を背負ったなんて、そのニュースを見た人にはわからない。
「トーコはミコトにとって、命の恩人でもある大切な相手なんだよ。そして背中の傷に罪悪感を持ってる」
「んで、トーコも自分が上手く立ちまわれなかったせいでできた傷なのに、ミコトの心に傷を残してしまったと思ってる」
「だから、背中の傷はできるだけ見せたくないらしくて」
「それで急いで部屋に戻って着替えてたんだ」
「そう、そういうこと。ミコトの身体は守れても、心が守れなかった。だから名誉の負傷ならぬ、不名誉の負傷って本人は言ってる。全部を守りたかったのに守れなかったから」
納得がいった、というように頷くリツカを真っ直ぐに見て。
「だから秘密にしてほしいんだ。トーコの背中の傷」
「リツカちゃんはそんなこと言いふらす子じゃないよね?」
「う、うん。勿論」
強い視線で言うヤマトと、少し心配そうに言うタケルを前にして、拒否できるはずもなく。
頷いたリツカに二人は、柔らかく微笑んだ。
思いもよらぬ重たい秘密を背負わされたリツカが、頭を抱えながら帰っていった。
リツカに語らなかった記憶がある。
語る必要がなかったこと。
目を覚ましたトーコが初めて目にしたのは泣きじゃくるミコトとコノハナ、自分を責め続けて酷い顔色をしていたタケルとヤマト。 それを見た瞬間、トーコは笑った。
『よかった。ミコトちゃんが大丈夫でよかった…。これくらいなんともないから大丈夫だよ』
『ねぇ、だから泣かないで』
『大好きだよ。大丈夫だよ』
つたない言葉で慰めるように。
トーコは知った。
サクヤが生死不明になったという報にも傷つかなかった彼らを、自分はこれ程傷つけることができる存在であることを。
自分が揺らぐことが、彼らを苦しめることを。
守ると決めた人達なのに。
だから、全部に蓋をした。
向き合う時間を、飲み込む時間を取る余裕はない。
今、自分は、自分を取り戻さなければ。
(だって、私は彼らを守ると、あの人に約束したんだから)
揺らぐ想いを凍らせて、目をそらした。
それは、トーコの成長を立ち止まらせることだと、薄々分かっていて。
優先順位を決めた。
タケルやヤマト、ミコトにコノハナ。彼らを第一に。
次に心配をかけてしまった、両親や友人らに。
自分はランク外。
中途半端にしまい込んだ、不安や絶望は時折悪夢となってトーコを襲う。
あの季節が来るたびに、トーコの心は不安定になる。
それでも年月が彼女を救ってくれるかもしれないと、誰もが期待してた。
――――三年がすぎた。
何も変わらずに。
だが、今年こそは何か変わる気がする。
そんな漠然とした予感をそれぞれの胸に抱いて。
サクヤを見失った初夏は目の前だった。
軽傷・重傷の話は、簡単にネットで調べたものです。
間違っていたら申し訳ない!
傷は今の医療じゃ残らないんじゃ?とか、もっと治るまでに時間かかるんじゃないか?とか、書きながら『?』が脳内を飛び交う。
もうご都合主義的に流してください。お願いしますぅぅうぅ!