27. 恋愛観とタブーな話題
「……それで」
微妙な表情で見つめる先で、トーコが気を取り直そうとするかのように口を開く。
「ん?」
何だろうと首を傾げたタケルをすり抜けて、その視線は真っ直ぐにリツカへ。
「わ、私?」
「うん。どうしてタケルの家に? 他の二人を抜け駆け?」
ざっくりと突き刺さる指摘にリツカの肩がびくんと跳ねた。
「ちち違うっ!! 私は道場からのお遣いで!」
「ああ、そんなに動揺しなくていいのに。普通に疑問に思っただけだよ? でも、うん」
すごい勢いで否定し、弁解の言葉を口にしたリツカをなだめるように両腕を前にだして、どうどうの仕草。
そして、軽く小首を傾げて問いかけた。
「罪悪感があったりするんだ?」
「うっ……」
悪意のない声音の問いかけに、リツカが身構える。
だが、予想に反してトーコはそれを責める態度を見せなかった。
「まぁ、それはそれでいいんじゃない?」
「え?」
あっさりと口にされた肯定の言葉にリツカは拍子抜けの表情を見せる。
「だって、そんなの当たり前にあり得る恋愛騒動でしょう?」
「いや当たり前にあってもらっちゃ困るんだけど」
「でもこの娘に限らず、そういうことってあるじゃない。普通の恋愛でも」
「まぁ、それはなぁ…」
ちょっと待てと口出しながらも、強い否定ができないタケルにも視線をやる。
「私は別にタケルの恋愛を邪魔する気はないんだって。ただ、日常生活を脅かす、非常識極まりない行為をやめてもらえれば」
「非常識……」
その言葉に、複雑な表情をするリツカ。
そちらを再び見上げて、小さく頷く。
「もう、自覚があるよね?」
最近めっきり、周囲への被害が発生するような騒動は落ちついていた。
ようやく、他の人を見る余裕ができてきたようで、騒動を起こすにしても放課後であったり、休日であったり。
その程度ならば、日常のスパイス的なものとして、トーコは口を出さない。
「好きな人と一緒にいたいなんて当たり前でしょう? 正当な理由があれば、逢いに行ってみたいって思うのは誰だって同じだよ」
さらりとそう答えたトーコに、リツカの胸に一つの疑問が浮かび上がった。
脊髄反射の言動が目につくリツカだ。
その疑問を胸の奥にしまうことなど考えもせずに、問いが口から零れ落ちた。
「……貴女も好きな人がいるの?」
一瞬で、空気が張りつめた。
動きを止めたトーコ、厳しい表情になったタケル。
「リツカちゃん、それはいいから」
「え…?」
「いいから。そんな話はしないで」
「タ、タケル?」
聞いたこともない険しい声にリツカが戸惑う。
すっと一歩移動したタケルが、ごく自然にトーコの前に立ち、リツカの視線を遮る。
過敏な反応を示すタケルの背を見て、トーコが苦笑する。
「タケル、大丈夫だから。これくらい」
「俺が大丈夫じゃない。だって俺は」
宥めようとした声を鋭く立ちきるような声に、緊迫感が増す。
だがその空気を、たんっと軽い足音を立ててタケルの部屋に戻ってきたヤマトの声がふわりとかき消した。
「トーコ? 退治してきたよ?」
「ヤマト兄…」
「例の黒いヤツ。結構大きなム」
「みぎゃあああ!」
「大きな……だったね。死骸も目につかないようにしてきたから」
「…………ううう、ありがとう、ヤマト兄大好き」
ムカデのムが出ただけで、悲鳴を上げたトーコの頭をぐりぐりと撫でてやり、感謝に抱きつくトーコを受け止めて。
ヤマトが優しく笑う。
そして、ちらりとタケルを見て、苦笑した。
「…………ま、よかったな。これで部屋に戻れるだろ」
「うん」
へにゃ、と笑うトーコの飾り気のない笑みに、タケルの肩の力も抜ける。
「と、それよりも、ミコトが帰ってくるのが見えた」
「「ミ!?」」
ぴゃっと背筋が伸びたのはリツカと。
「ヤバイっ!」
慌てて立ちあがったトーコだった。
「え、何で……?」
散々やり込められた自分ならともかく、あんなに仲よさそうなトーコがどうして。
そう思い、不審げに見つめるリツカに構っていられない様子で、慌てて窓枠を超える。
「ああ、気をつけて!」
「大丈夫! あ、タケル、シャツ後で返すから!」
「おう。あ、馬鹿。カーテン閉めてから着替えろ!」
「トーコ……」
部屋着らしき紺色のTシャツを被るトーコに、タケルは焦りながら、ヤマトはため息をつきつつ、目をそらした。
玄関が開く音がしたのはその時である。
「ただいまー!」
家の中に響いたのは三兄弟の末娘、トーコちゃん大好きのミコトの声。
そして。
「ねぇ、ヤマト兄、なんでトーコちゃんのお部屋に行ってたの!?」
バタバタと言う足音と共に階段を駆け上がる気配。
どうやらヤマトがミコトを発見していたように、ミコトもまたヤマトを見つけていたのだろう。
ほどなく、ばんっ! と開け放たれたタケルの部屋。
「おかえり、ミコト」
「おかえり」
「…………」
兄二人から向けられる挨拶にも反応せず、その視線が視線をさまよう。
タケルとヤマト、そしてリツカを順に見て、きゅっと眉が寄った。
「なんで貴女がいるんですか?」
刺のある口調にリツカがひきつる。
「わ、私は……」
「やほー、ミコトちゃん。おかえり~」
兄ズを無視して、不愉快という感情をぶつけたミコトに、トーコの声がかけられた。
「トーコちゃん! ただいま!」
その瞬間、リツカの存在など忘れたように笑顔になって、窓辺に近づく。
「今日は早かったね? 部活は?」
「休み! ……何かあったの?」
「ああ、彼女? 何も。道場のお遣いだって。ヤマト兄はね、ちょっと黒い悪魔を退治してもらってたの」
「……ああ」
思わず納得の表情になったミコトも、トーコのムカデ嫌いを承知している。
トーコが浮かべるいつも通りの笑顔。
それを見て、ミコトの表情を和らぐ。
それでも、リツカを警戒している様子のミコトに、トーコは素知らぬ顔で誘いをかける。
「……それでね、一人でいると例の悪魔がいるんじゃないかってびくつきそうだから、今日泊りに来ない?」
「いいの!?」
「もちろん」
「やった!!」
「じゃあ、準備しておいで~」
「うん。待ってて!」
なかなか機会がなかったお泊り! とミコトのテンションが上がるのが、手に取るように分かった。
その嬉しさから、幾分か余裕が戻ったらしいミコトが兄達を振り返る。
「あ、ただいま、お兄ちゃん達」
「……遅ぇよ」
呆れたように言うタケルに、てへっとかわいらしく笑って。
「じゃ、お邪魔しました!」
すでにリツカの事はどうでもいいのだろう。
くるりと身を翻して部屋から飛び出す。
それを見送って。
「セーフ!」
トーコは息をついた。
タケルもまた胸をなで下ろし、ヤマトもほっとした表情を見せている。
否、ヤマトは少し苦しそうでもあり。
「何がセーフなの?」
ただリツカだけがきょとんとしている。
「あー……、うん。どうする?」
「うーん……」
そんなリツカをちょっと困ったように見る。
言葉に迷うタケルとヤマト。
それにさらりと答えたのはトーコだった。
「当たり障りのない感じで話した方がいいかな。だって見えたでしょ?」
じっとリツカを見て問うトーコの言葉に主語はない。
だけど、わかった。
先ほどちらりと見えて、リツカが硬直したアレのことだと。
「…………背中?」
「そうそれ」
タケルから引き剥がそうとした時、ヤマトがシャツを掛ける直前。
ちらりと視界に入ってリツカが思わず動きを止めてしまったもの。
「なんの、傷跡、なの?」
大きな、斜めの傷跡。
滑らかな少女の背に相応しくないソレ。
訳もなく、見てはいけないものを見てしまったのだと言う罪悪感を呼び起こす傷に、躊躇いながらも言及すると。
「まぁ……不名誉の負傷、ってとこかなぁ」
トーコは気負いなく答え、笑った。
その笑みの透明さに、ぞわりと心のどこかが震えた。
不自然すぎるほど、負の感情を感じない、優しい笑みに。
「――――俺が、話しとくよ。トーコはミコトを頼むよ」
「あ、うん。じゃあヤマト兄頼んだ」
ヤマトならば安心だと頷くトーコに苦笑して。
「じゃ、ちょっと場所変えよう。リビングでいいだろう?」
タケルの部屋を出ながらの提案に否はなく、三人はリビングへと移動した。




