26. トラウマの傷痕
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タケルの動揺しまくった声。
その声に混じるトーコの名前。
それに素早く反応したヤマトは二階への階段を駆け上がった。
「タケル!? どうした」
言いざまにドアを開け放つとそこには。
「っばばばか! お前そんな恰好で何やって…。待てっ! は、離れろって!」
いつも通り、開け放たれたタケル・トーコ自室間ルートの窓。
いつも通り、そこを移動してきたと思われるトーコ。
ただ、いつもと違うことが一つ。
トーコは半裸だった。
上半身はブラだけ、下は制服のスカートであることから着替え中だったのが分かる。
そんな状態でタケルに抱きついていた。
「………………」
「や、ヤマト兄! 助けて!」
流石に言葉を失い、目が点になったヤマト。
真っ赤になり、トーコから逃げようともがくタケルがその存在に気付いて必死に助けを求めるのを、生温かい目線で見下ろす。
「お前……いくらヘタレでも、『助けて』っていうことはないだろう。そう騒がず、真摯にだな」
「違ぁーーう!! 俺とトーコはそんなんじゃないの!」
「いやそう言われても」
説得力のカケラもなかった。
「タ、タケル!? 一体何がっ……て、きゃああ!?」
焦った様子でヤマトの後ろを追い、タケルの部屋を覗きこんだのはリツカ。
そしてその状況に顔を真っ赤にした。
「あ、貴女! なんてハレンチなことをっ!?」
「げ!? リツカちゃん? なんでここに?」
「道場からのお遣いで…ってそんなことは今はどうでもいい!」
あれほど、自分はそういう相手ではないと言っておきながらのこの仕打ち。
一瞬で頭に血が上る。
思わず、引き剥がそうと近づいて、トーコの腕を掴んだ。
そして、力づくで引き剥がそうとして、異常に気付く。
「え? ちょっと、あなた…?」
表情が強張ったまま動かない。
表情だけじゃない。
全身も凍りついたように動かない。
触れた身体に込められた力は尋常ではなかった。
「まぁ、確かにちょっと時間と状況は考えて欲しいな、トーコ……トーコ?」
そんなトーコに気付かずにため息を零したヤマトも、すぐに異変を悟った。
こんな騒ぎになっているのに、微動だにしない。
「だから、様子がおかしいんだって!」
タケルの声もどこか真剣みを帯びる。
「トーコ? どうしたんだい?」
これは本当に、思春期のアレコレとは違うと判断したヤマトが傍まで歩み寄り、トーコを覗きこむ。
「…………」
虚ろな目線が、ゆっくりと動いてヤマトをその瞳に映す。
「ヤマト、兄?」
「ああ」
頼りなげな声が名前を呼ぶのに、心配げに見つめ返して頷く。
部屋に漂う緊迫感に、リツカの怒りがすぅっと引いていく。
「…………部屋に……」
「うん?」
ヤマトを見ていた視線がふわりと宙に浮いた瞬間、表情が恐怖に彩られる。
「…………む……む…」
「む?」
謎の言葉を零して、震えるトーコに首を傾げる。
その横で、タケルが何かに気付いたように、あ! と言う。
「もしかして、ムカデ…」
「~~~~っ!!」
その単語を聞いた瞬間、きつくタケルにしがみついた。
「ちょ! 待てって! ぐえ、首、首締まるっ!」
「だってその名前を言うからっ!」
「だーっ! もう、いい加減離せっての!」
「ううぅ~~」
タケルにしがみつくトーコの仕草は、好意のある異性に抱きつくものとは程遠かった。
例えるならば、溺れる者は藁にもすがる。
正にそれだ。
急に消え去った空中の緊張感に戸惑うリツカの横で、ヤマトが深いため息を零した。
「退治してくるから、ちょっとここにいなさい。それから」
ぽんっとトーコの頭を撫でてから、ヤマトは傍にあったタケルのシャツを手に取った。
(ああ、そうだ、このコに服……)
かけてあげるのだろうと思って、自然と目線がトーコに向かった。
そして。
「――っ!?」
リツカが身を強張らせた。
その露わになっている上半身、とりわけ、背中がリツカの目に飛び込んできて。
目を疑い、凝視しようとした瞬間、それはシャツで隠されてしまう。
「それくらいは羽織っておくこと。いいね」
「……うん」
そう注意するヤマトに素直な返事。
リツカはそんなヤマトを驚愕の目で見上げる。
だが、それを無言の視線で制したヤマトは、そのまま窓枠を超えて行った。
「ほら、もう大丈夫だから」
「うん」
驚いているリツカに気付かない様子で、タケルとトーコは話をしている。
ほっとしたように吐息をついたトーコに顔色が戻り始めていた。
ようやく離れて、もぞもぞとシャツの前を掻き合わせる。
「ったく、驚かせるなよな」
「だって、あの黒い悪魔が足元に……」
「ムカデくらいでそんな…」
「それ以上言ったら、ぐーで殴る」
「…………ごめんなさい」
そんな会話が緊張を解きほぐしてくれたのか、ほう、とため息をついて、しゃがみこむ。
それから、茫然としているリツカを見上げ、今気がついたというように首を傾げた。
「あれ? 何でいるの?」
「な、何でって、だから」
「うん?」
きょとんと見つめ返す瞳に、羞恥心や、罪悪感はない。
こんな、一見するとラブシーンにしか見えない状況にいた自覚はないらしい。
「無駄だって。ホントに、俺はコイツの恋愛対象には入ってないから」
疲れた口調でため息を零すタケル。
「あーうん、ないねぇ」
「……ないねぇ、じゃない! 年頃の女として、慎みってものを!」
思わず呆けていた思考がその会話で正常に立ち戻ってくる。
明らかにどこかがずれている感覚をたしなめるように声を荒げて注意。
「そーだそーだ! もっと言ってやって!」
そんなリツカに同調するようにタケルも声を合わせた。
「えぇ~……ちゃんと慎みはあるよ。ただタケルは、どうでもいい」
「お前な、言うことにかいて、どうでもいいはないだろ、どうでもいいは」
「ホントにどうでもいい」
「重ねて言うな!」
じゃれあう兄弟の会話にわなわなと指をトーコにつきつけたまま、リツカが口をぱくぱくさせる。
ホントになんの抵抗もない様子に何を言えばいいやら。
そんなリツカを見上げたトーコが苦笑に近い笑みを浮かべた。
「驚かしてごめんね?」
今回ばかりは私が悪い、と言って、素直に頭を下げた。
「べ、別に、何もないっていうのなら、いいけど……でもたかがムカデくらいで……」
「腕の付け根を20センチ大のムカデに噛まれて、運悪く、周囲に大人がいなかったせいで処置できずに、腕ははれ上がり、激痛に苛まれ、熱にうなされた少女にトラウマが残らないとでも?」
僅かに青ざめ、表情を引き締め、きっと睨みつけるような表情で吐き出される言葉。
その様子は、当時のことを思い出しているのか、鬼気迫る迫力に溢れている。
「う……いや…」
ムカデの毒は体質によっては、ショック症状も起きるらしいと聞いたことがあった。
この様子からすると、結構酷い症状が出たのかもしれない。
思わず言葉を迷うリツカ。
その横で渋い表情をしていたタケルが、トーコを見下ろして口をとがらせた。
「つうかさ、俺に謝罪は?」
「タケルはどうでもいい」
「…………もうそれでいいや」
ぞんざい過ぎる扱いにタケルはがっくりと肩を落とした。