24. 憧れと理想のフィルター
大変遅くなりました。
お待たせして申し訳ない。
リツカは無心に竹刀を振っていた。
否、無心になろうと振い続けていた。
場所は昔から通い慣れた道場。
繰り返し、繰り返し、竹刀を振り降ろし続ける。
こうして素振りを行っているうちに、心は澄み、集中力は増していく。
いつもであれば、その筈だった。
そう。いつもであれば。
だが、今日のリツカの心は何時まで経っても淀みが澄み渡ることはない。
『今更』
鈴振る可憐な声が、冷たく切り捨てるように放たれたあの瞬間が心を離れない。
『視界に入れすらしていなかったくせに』
――弁解は、できなかった。
(だって本当に分からない)
その頃の自分には、ヤマト先輩しか見えていなかったのだから。
彼の妹の言う通りなら、自分が心奪われた彼の美点は変わらず存在していたものだったのだろう。
そして、それに気付いてもおかしくはない程度に、自分は接する機会があった。
だけど、記憶にすら残っていないということは、恐らく視界に入れていなかったということ。
今や天敵と言えるあの幼馴染が言っていた言葉が頭をよぎる。
それは最初に、空き教室に呼び出して話をした時の言葉だ。
ヤマトには多くの噂があり、時に無神経なそれにずっと苦しみ、苦労していたこと。
話を聞いた時には、そんなミーハーで軽薄な人間とは違うと思っていた。
だが、ヤマトの強さに憧れ、彼だけを見つめ、彼が大切にするもの、家族を一顧だにせず視界にすら入れていなかった自分は、本当に違うと言えるのか。
彼に理想を押し付けていただけではないのか。
『視野が狭すぎる』
それは、トーコがミナコに突き付け、責め立てた言葉の一つ。
泣きながら逃げ出したミナコを追わせないように向けられた強い視線は、明らかにリツカをも責めていた。
同罪だ、と。
その時は、その視線の強さに気押されただけで、深く考えなかった。
自分は違うと思っていたから。
自分の思いだけは純粋で、特別で、尊くて、許されるのだと思っていた。
何の根拠もなく。
リツカは考えることが苦手だ。
良くも悪くも体育会系。
何事も直感で行動し、それが暴走することもある。
それなのに、いつでもどこかで自分は正しいと思っていた。
ミコトをただ可愛いだけの子供だと見下していたように。
これまでの自分は本当に正しかったのか。
こうやって見下して、突き放して、傷つけた人が他にも沢山いたのではないか。
事はもう、ただの恋愛沙汰ではすまない。
自分のあり方すら揺らぐ。
それは、これまで考えることを避けていた自分の怠慢。
人を気遣うことを忘れて、自己弁護に走っていた自分の過ち。
他者に対して鈍感過ぎた自分の咎。
「そんな人間が、周りから浮くのなんて、……当たり前、じゃないか…」
ぽつりと零れた言葉が、むなしく空気に解ける。
無意識に零れ落ちた言葉に、じわりと目頭が熱くなった。
顔が、泣きそうに歪む。
いつしか、竹刀を振っていた手はだらりと両側に下ろされていた。
打ちのめされて、俯く。
リツカは自問の思考の中で、落ち込んでいるが、それもまたリツカの美徳であることに本人は気付かない。
他者からの、耳が痛い忠告を素直に受け取ることができること。
それに対して真摯に考えることができること。
落ち込んで、後悔して、その後に改善の為に動く勇気を持てること。
ただし、最後の一つに関してはもう少し時間が必要なようだが。
今はただ、自分を見つめ直し、悔やむだけ。
そんな状態でどれくらいの時間が経っただろうか。
「リツカ!」
「っ!!」
不意に道場内に響いた声に、リツカの背筋がぴんっと伸びた。
道場の入り口に顔を覗かせ、声を張ったのは一人の青年だった。
「し、師範……」
まだ年若い彼がこの道場の主であり、リツカの剣の師匠である。
「ん、どうした?」
「え、いえ。何か?」
「ああ、ちょっと頼みたいことがあるんだが」
びっくりした顔をしているリツカを不思議そうに見て、歩み寄ってくる彼に、肩から力を抜けた。
いつも朗らかで豪快。
気さくで自分の道場に通う弟子達を我が子のように可愛がる彼が、こうして何某かの頼みごとをすることは珍しくない。
「今日は何事ですか、師範」
「あー、うん。ちょっと他流からの試合を申し込まれてな。それにヤマトのやつを当てたいと思ってるんだが」
「ヤマト先輩が他流試合ですか!?」
思わぬ話に声が弾んだ。
表情もぱぁっと明るくなって、はっとすると、慌てて表情を引き締めた。
(い、今先輩に対してミーハーなことをしないって思ったばっかりなのに!)
うう、と内心で悶えるリツカだが、長年尊敬し、憧れていたヤマトのこととなると、今すぐ自分を変えるというわけにもいかないようだ。
しかも最近は竹刀を振う姿を見れていない。
そこまで考えて、ん? と首を傾げた。
「あ、でも……」
「そう。あいつ、一応受験生だろ。だからな、とりあえず打診ということでこの書類を届けて欲しいんだ」
ぺらりと目の前に広げられた紙には、日程やあちらの参加者の氏名などが並んでいた。
それにわかりましたと頷きかけて、リツカがぴたりと動きを止めた。
(……届けるって)
「あの……どこに?」
「ヤマトの家にだが?」
何を分かり切ったことをと、あっさり答えられて思わず言葉を失う。
(ヤマト先輩はタケルのお兄さんで、ヤマト先輩の家ということはタケルの家ということ)
これまでに何度か他の二人もタケルの家に行きたがっていたのだが、さりげなく拒否されていた。
今にして思えば、三人がミコトにはち合わせることを危惧しての事だと分かるが、二人とも大層残念がっていた。
そんな二人に先駆けてタケルの家にいく。
しかも正当な理由があるのだ。
追い返されることはあるまい。
と、なれば。
「い……」
「うん?」
「行きますっっ!!」
「お、おお、頼む……」
掴みかからんばかりの勢いで答えたリツカに、師範の腰は引けていた。