19. 逆鱗
ミコトちゃんが暴走します。
割と論法や考え方が無茶かもしれません。
「人聞きが悪いにも程があります!」
声を張り、辺りにも響き渡る声で云い放ったミナコにため息が零れた。
「私達がいないところでそんなことを吹きこむなんて」
リツカもまた厳しい顔でトーコを見る。
ただスミレは空気が多少なりとも読める人間らしく、ちょっと困った顔をしている。
説明しかけていたトーコに気付いているのだろう。
だが。
そのリアクションだけで、ミナコとリツカがトーコと敵対していると確信していたミコトの表情が硬くなった。
(ああぁぁ……。説得が難しくなった)
トーコとしては、彼女達を特別に嫌いなわけではない。
ただ、タケルの害となるものなら排除するが、更生可能であり、又、タケルの成長により制御可能になればそれで十分なのだ。
端的に言おう。
正直なところ、彼女達はどうでもいい、というのが本音だ。
情のない酷い言い方に聞こえるかもしれないが、そこが本音で、タケルになんの害もないなら放置してもかまわないのだ。
その感情が行き過ぎている自覚はある。
タケル、ヤマト、ミコトの三人を自分にできる数少ない方法で守ること、支えることがトーコの使命であり、三人が幸せになることがトーコの願いだ。
(やっと、ちょっとマシになりかけてたのに)
このまま放置するとまずい。
完璧にミコトが敵視することによって、事態が悪化しかねない。
「貴女達は誰ですか」
「ミコトちゃん」
トーコを守るようにその脚を踏み出して庇い、ミコトが鋭い声を発した。
それはまさしく誰何と呼ぶにふさわしい声音で。
明らかな敵意を感じた三人がたじろぐ。
敵を認識した時のミコトをよく知っている。
ミコトがそうなるのは、大抵トーコに何かがあった時だ。
実は三兄弟の中で一番ミコトが過激だ。
トーコを守ろうとする時、彼女は小さくとも誇り高い女騎士となる。
「貴女達はトーコちゃんの敵ですか」
「わ、私達は……」
「貴女達がタケル兄にまとわりついている人たちですね」
「っ! まとわりつく、だなんて」
「そうなんでしょう?」
「私達はタケルを好きなだけだ!」
畳みかけるようなミコトを睨みつけながら、リツカが言い切る。
言ってやった、と言わんばかりの表情。
「まだ子供の君には恋愛というものがわからないかもしれないが……」
年上の余裕を見せるように言うリツカ。
リツカにしてみれば、自分の弟妹とさほど変わらない年の女の子だ。
外を駆けずりまわる無邪気で奔放な弟妹は、未だこうした恋愛沙汰と程遠く、幼く見える。
リツカ自身、この思いは他とは違うのだという熱情に浮かされた部分があり、舞い上がっていた。
恋する自分に酔っている箇所も多分にある。
だからこそ、少しばかり、見下したような思いがあることを隠せなかった。
何も知らない子供だからそんなことをいうのだと。
ミコトがそんな普通の同年代とは違うことを知らずに。
同年でも小柄なミコトと、やや長身のリツカでは頭二つ分も身長が違う。
そんなリツカを、ミコトは真っ直ぐに見詰めた。
自分よりもずっと大きな彼女をを臆することなく見上げ。
「はっ」
鼻で笑った。
「なっ!?」
ミコトの態度にむっとしたのがすぐに顔にでるリツカ。
良くも悪くもリツカは体育会系。下の者は上に従うべしを地で行く。
そんなリツカにとってミコトの反応は怒りを煽るものだった。
ミコトにしてみれば、頭から見下ろした対応そのものが反発の原因だったのだが、それが当たり前と思う彼女には伝わらない。
すっと目を細めたミコトの周囲には冷気すら漂うようだ。
「タケル兄が変わったの位、妹の私だって知ってます。でもタケル兄のいいところはずっとずっと昔から変わらなかったものです。ただ表に出やすくなっただけです」
「――――え?」
そのミコトの言葉に一番驚いているのは、タケルだった。
何しろ、ミコトはヤマトの言うことは割と素直に聞くのに、タケルと喧嘩することが多いのだ。
それもまた、ミコトの愛情表現であり、甘えなのだが。
「貴女の顔、見たことあります。ヤマト兄の道場の試合で見かけました」
リツカの通う道場とヤマトの通う道場は同じだ。
尊敬する先輩の妹、と改めて気付く。
そういえば、よくよく思い出してみると、試合の応援に兄弟が来てるのを見かけたような。
記憶を探るような表情をしたリツカに、冷然と微笑む。
「そこに、タケル兄もよく応援に来てたの、知ってました?」
「え」
ぎくりと肩が揺れる。
記憶にない。
いや、兄弟が来てたのは見かけたことがある。
美少女の訪れに皆がそわそわしているのを一喝したことがあるからだ。
だがそこにタケルが?
それを指摘されて感じた後ろめたさ。
接触がないのだから無理もないのだが、ミコトの目には責め立てるような強い光があった。
「今更」
吐き捨てるように厳しい口調で。
「今まで視界にすら入れずにいたくせに」
「それはっ! そうかもしれないけど…い、今からでも知っていこうとしているところで」
「へぇ? 例えばどんなことを?」
「だから何が好きかとか、嫌いか、とか」
「…………浅ぁい」
慌てて弁解しようとするリツカを、笑って叩き斬る。
「タケル兄がどうすれば幸せになれるかとかは? 足りないものは何で、どうしたら、タケル兄の為になるかとかは?」
「…………っ!」
「トーコちゃんがタケル兄に……私達にしてくれたのはそれです」
その一言に言葉を失った。
だってそれは普通の恋する乙女の感覚を一つ超えている。
自分のことを好きになってほしいから、相手の好きなこと、嫌いなことを知る。
それは恋愛としては正しい形だろう。
ミコトが言うのはどちらかと云えば、兄姉や親の感覚に近い。
そして、それはトーコが。
トーコが、ずっとずっと気にかけ続け、陰日向に手助けしてきた部分だった。
「トーコちゃんがタケル兄に近づくのがそんなに嫌ですか。それこそ今更です。タケル兄とトーコちゃんがどれだけ一緒の時間を過ごしてきたか、トーコちゃんが私達の為にどれだけ心を配ってくれたか」
「…………」
「なんにも知らない癖に」
真っ直ぐに相手の目を射抜く強い眼光で。
「トーコちゃんがタケル兄に恋愛感情がないことなんて、私にだって分かる。それなのに貴女達にはわからないんですか。その目は節穴ですか」
「…………」
断言するミコトに何も言い返せない。
心の奥底にはまだ疑う心があるのだ。
タケルを好きだから、こちらを傷つけてくるのではないか?
やっかみ、嫉妬で意地悪をするのではないか?
素直に忠告を受け入れられないのは、その感情が原因だ。
「その程度の人間がトーコちゃんをいじめるなんて言語道断です」
「……いやだから、それは」
ふんと鼻を鳴らして言ったミコトに、ようやく口をはさむ。
「苛められてないってば」
臨戦態勢、と一目でわかる仁王立ちのミコトに後ろから両腕を回す。
「……へ?」
それに、急に気が抜けたような声を上げて、ミコトが見上げた。
毛を逆立てて怒る猫を宥めるように後ろから包み込んで、困ったように笑う。
「苛められて、ないの?」
「うん」
「い、苛められているのは、こちらの方ですわ」
震える声で口を挟むミナコをちらりと見て、もう一度、上から覗き込むように見下ろすトーコを見る。
「ホント?」
「ホント」
小首を傾げて問うミコトに、苦笑のまま頷く。
「今ちょっと話してみてわかったでしょ? このコらに私が苛められると思う?」
この程度の連中に、という声が含まれていたのは気のせいではないだろう。
トーコの言葉にミコトはちょっと考え込んで、それからにっこり笑った。
「そういえばそうだね!」
朗らかと言える笑顔は、さっきまでリツカに向けていたものと正反対だ。
その様子にやれやれと肩から力を抜く。
「リツカさん」
「……」
トーコがそう呼ぶ、リツカはびくりと震えた。
「……余り、年下だからと見くびらない方がいい。年齢に関係なく、人を見なくちゃ。姿形に惑わされると痛い目見るよ。……ってもう今見たか」
なでなでとミコトの頭を撫でながら、呆れたように言う。
普段のミコトはここまで暴走しない。
させたのは、ミコトを見くびったリツカの発言だ。
ミコトは可愛い。
その可愛さは、逆にミコトの性格を否定する。
『可愛い可愛い、おとなしいお人形のような女の子』
そんな周囲の第一印象は、ミコトがイメージと違う行動をするだけで非難され、時に変質を強制してきた。
それにどれほどミコトが傷ついたか。
だからミコトは、上から押さえつけられることに対する拒絶反応が激しい。
(簡単に最悪な引き金引くんだもんなぁ、もう……)
内心ではため息を禁じ得ない。
トーコの内心に構わず、大好きなトーコに頭を撫でられるミコトが微笑む。
「トーコちゃんが苛める方なら、別にいいや」
「いいやって……その人は私達を苛めるような人なんですのよ?」
「だって」
あっさりと言ったミコトにミナコが慌てて言葉を重ねる。
それにすらさらりと。
「トーコちゃんが、意味もなく苛めるはずないもん。なんかしたんでしょう? 貴女達が」
「…………」
授業妨害に、周囲との確執を深める大騒動の数々。
まったくもって否定できない。
否定できないということは自覚できているということであり、前進の証でもあるわけだが、それを一々言ってあげるほど、トーコは優しくも、面倒見が良くもない。
冒頭の言葉を繰り返すが、彼女達はどうでもいいのだ。
大切なのは、タケルと、ここにいる可愛くて凛々しくて、プライドが高い大事な宝物。
まずは心配をかけたであろうこの少女を労り、甘やかさなくては。
「じゃあ、帰ろうか、ミコトちゃん」
「うんっ!」
ぽんぽんっと背中を叩くと、ミコトが嬉しそうに声を弾けさせた。
くるっと身を翻してトーコの片腕に飛びつくように絡みついた。
もはや他の者などどうでもいいという思いが溢れているミコトを優しく微笑んで見てから、立ち尽くす三人と、額を押さえたままため息をつくタケルを見る。
「そういうことだから。ばいばい」
返事は返ってこない。
タケルが無言で行け行けと手を振るだけだ。
何とも言えない気まずい空気に、何事かと足をとめていた数人の生徒も慌ててその場を離れる。
そのまま、遠ざかる二人。
後ろ姿だけを見ると仲の良い姉妹のような二人が視界から消えるまで、リツカは歯を食いしばって立ち尽くしていた。
実はミコトちゃんが一番の過激派です。
8/8 誤字訂正