17. 歪んでいく恋心
難産でした
「おはよう、ミナコ」
「今日は遅かったですわね、リツカ。朝練でしたの?」
「うん。それでさ、今日の数学の課題なんだけど」
「またですの? もう、しかたありませんね」
朝から交わされる長閑な会話。
(どうして)
そんな二人を前に彼女は心の中で呟いた。
ついこないだまで敵対し、ギスギスしていたのに。
(どうしてなの?)
ぎゅっと唇を噛んでうつむく。
誰にも顔を見られないように。
自覚があったからだ。
自分がいつもの委員長じゃない、表情をしているであろうことが。
ミナコは上流階級の両親の元に生まれた。
高飛車で高慢で金を持たぬ者を見下す両親を見て、言い知れぬ嫌悪感を覚えるも、我が子すら自分のアクセサリーとしか思っていない親に失望されることを恐れて言い出せなかった。
容姿が整っていて、頭が良い、自慢できる娘じゃなければ許さない。
時として、叱咤はミナコの心を打ちのめした。
そんな両親を前に、反抗などできず、ただその状況に慣れようとしたのは、自分の心を守る為、必要なことだったのだろう。
友達すら選べず、常に孤独。
だからこそ、心まで両親と共にあろうとした。
高慢で高飛車な自分を作り上げることで、彼女は自分を守ろうとした。
そのことが更に自分を孤立させるのだとわかっていても。
リツカもまた学校では浮いた存在だった。
男勝りで、どんな男子よりも強い彼女だったが、心の中では可愛いものが好きな、至って普通の女の子だった。
しかし、周囲の男子は彼女を男女と呼び、からかい蔑み、女子は格好いいリツカさんには似合わないと言われた。
それはリツカにとってのトラウマであり、消せない疎外感だ。
女子の中に入れず、かといって男子の中に入ることもできない。
周囲が作り出す壁を壊すことができず、彼女も又心を許せる友人はいなかった。
どちらも同じだけ学校で浮いていて、どちらも同じだけ友人と云うものに飢えていた。
これがタケルが気付いてしまった彼女達の苦悩、そして孤独。
『普通』からの逸脱による疎外感。
タケルが突き放せなかった理由だ。
二人が親しくなれば、互いに友人ができていい方向に向かうかもしれない。
自分への過剰な干渉の裏側には、そうしなければ外界と接することば難しいからではないかと考えたのだ。
実のところ、タケルは彼女らの恋愛感情すら疑っていた。
彼女らがそのことを知れば、激怒するとは思いもせずに。
当たり前だ。
自らの初恋を、思いを向けられている当の本人に否定されてショックを受けない女の子はいない。
この件に関しては、後日トーコによる教育的指導が入ることとなる。
ともあれ、二人はトーコという共通の敵を前に友と成った。
ただスミレだけを置いて。
どうしてこうなのだろう?
委員長となり、そう呼ばれるようになって、もう数年が経つ。
教師からは覚えが良く、他の生徒からも信頼を受けている。
だけどある時気付いた。
いつも、誰にでも平等な委員長。
委員長は皆のまとめ役。
だから、何かあった時は頼るけど、普段は誰にも肩入れしない。
そう思われていることに。
結論から言うと、友達云々より以前に、委員長なのだ。
委員長業を完璧にやりすぎた弊害でもある。
いつだって第三者。
誰かの物語の脇役。
そうした役回りを演じている自分。
周囲が望んでいるのは場を調整してくれる委員長だけで、誰一人、『スミレ』を見てくれていない。
(タケルくんを好きになって変わったと思ったのに)
他の二人よりは周囲と適応できる、と思っていたのに、結局は彼女達だけで強い友情を育んでいて、やっぱり自分は置き去りだ。
二人はどんどん魅力的になっていく。
今までのどこか他者を跳ねのけるような空気は払拭され、徐々に他の友人も増えていくかもしれない。
そうすれば、今はまだ三人のうち誰かを選んではいないタケルだって、心が揺れるかもしれない。
(どうしてこんなことになったんだろう?)
どうして。
どうして。
それだけが頭の中を駆け巡る。
その時、ガラガラと音を立てて、居室の扉が開き、一人の少女が姿を見せた。
「おはよう~」
「あ、おはよ、トーコちゃん」
「ん、おはよ、チカ」
いつもと変わらない緩さでチカに挨拶して自席に向かうトーコ。
それに傍にいたミナコとリツカがちょっと反応した。
トーコは目を向けすらしなかったが、二人は一瞬会話を途切れさせた。
(そうか、彼女だ)
彼女が、トーコがいたから。
トーコがミナコを追いつめたから、それを庇おうとリツカが前に出て、二人は友人になった。
だから。
(彼女のせいだ)
ぎゅっと拳を握りしめる。
彼女がいたから。
彼女がいなかったら、こんな孤独をかみしめなくても済んだ。
その思考がどこか歪んでいることにスミレは気付かない。
気付けない。
初めての恋愛、嫉妬、焦り。
それらが思考を捻じ曲げてしまっていることに。
(彼女がいなければ)
そう心の中で呟くスミレの目は暗い闇を宿していた。
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