14. 進む少年と進めない少女
「でさ」
「うん?」
「向こうの世界にはもう行けないの?」
「いや、それが」
タケルの様子から、もう行けないということはないだろうと思いつつも、一応聞いてみたトーコに、タケルは表情を曇らせた。
(え? まさか)
今、嬉しそうに語った少女と、もう会えないなんてことが、と一瞬考えたトーコだったが、タケルはすぐに否定した。
「行けないことはない。状況さえ整えば、行くことは可能だ」
だけど、と続けたタケルは、申し訳なさそうに目を伏せていた。
「俺はさ、知らなかったんだよ。簡単とはいかなくても、割とすんなり呼び出して、すんなり帰せるんだと思ってた。だから、騒ぎになると困るから元の時間に戻りたい。そう言ったんだ」
二ヶ月のタイムラグをゼロに。
確かにそうでなければ、今頃警察を始めとした捜索願が発生しただろうし、下手をすれば報道沙汰。
タケルの素行が悪ければ、いつものことということになったかもしれないが、いたって普通の男子高校生の日常を過ごし、外泊すら滅多にしないタケルの行方が分からなくなれば、大事になっただろう。
かくいうトーコも。
「冷静に待てる自信、ないなぁ……」
思わず呟く。
冷静に、どころか。
(正気でいられるか、どうかも)
胸の奥に真っ暗な闇がある。
大切で大切で、幸せな記憶。
あの人が唐突に消え去った時、沈み込んでしまい、自力では抜け出せなかった深い闇。
自分の心にこんな闇があるなんて知らなかった。
――知らずに、いたかった。
(更に、タケルも、なんて)
無理だ。絶対に。
考えただけで、血の気が引いていくような気がする。
足元が暗くなるような、心の奥底を凍らせる恐怖。
そんなトーコの額をぺちっと叩く手があった。
タケルだ。
「俺は、ここにいるだろ」
「…………うん」
真剣な目に、自分がこうなることがばれていたと感じる。
これも、タイムラグをゼロにしたかった理由の一つなのだろう。
「ごめん」
「いや。それで初めて知ったんだけど、空間を超えるだけでも大変なコトで、時間を縮めるとなると更に難しかったらしい」
神聖魔法とか異界への干渉とか、難しい話を聞いて、諦めるしかないかとも思った。
「だけどさ。英雄だからって」
「…………」
「勇者の願いだから、って」
無理をしてでも、叶えてみせると、力強く笑った。
術式を組む筆頭に立ったのは他でもない彼女。そして、共に過ごした仲間達。
その下に数名の有能な魔術師たちが必死で取り組んでくれた。
「結果、俺はこうして帰ってこれた。だけど、俺がずらしてもらった二ヶ月の間は、向こうから干渉できなくなったんだ」
「二ヶ月だけ?」
「うん。だから、二ヶ月たったら、向こうから何かしらアクションがあるとおもう」
「…………そっか」
「うん」
「いい仲間に会えたんだね」
「ああ」
嬉しそうに、どこか誇らしげに笑う。
こちらの友達も大切だ。
だけど、生死を共にした彼らもまた、大切な存在。
出会えた運命に感謝するくらい。
「だからさ、後悔はしてないんだ。命をかけたこと。きつかったし、死ぬかと何度も思ったし、大変だったけど。下手したら、家族やトーコを苦しめてしまったかもしれなくても、それでも」
トーコの知る、兄の存在に隠れるようにしていたタケルではなく、帰ってきてから見せた頼もしい笑み。
「後悔は、していない」
「……そっか」
もう一度、そう答える。できるだけあっさりと聞こえるように。
少しさみしいなんて思わない。思わないようにする。
タケルは歩き出した。停滞の時期を終えて。
あの日から進めない自分をおいて、進みだす。
言葉にならない焦りがじわりと這い上ってきた。
(だめ。これはきづかれてはいけない)
ようやく進みだした彼の足かせになってはいけない。
その思いから、必死に内心を押し隠す。