↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR

魔法使いの落とし方

作者: 文月 ふな
掲載日:2026/08/19


 町の商店街の少し外れには魔法使いが営む薬屋がある。日々住人が薬を求めてやってくるその店に、毎日通う人間が一人。


「おはようございますランディ様! 今日も好きです結婚してください!」

「おはようございます、サラ。今日も元気ですね」


 ちりん、というドアベルと同時に飛び込んできた小柄な少女が今日も元気に定型文を声高に叫んだ。

 店内で薬棚の整理をしていた長髪に痩躯の青年はゆったりと振り返り、少女の元気なプロポーズを受け流して首を傾げた。


「今日はどうしました?」

「ランディ様にプロポーズしに来ました!」

「そうですか、今度からは薬が必要な時に来てくれると嬉しいですね」


 ランディと呼ばれた青年は人好きのする柔らかい微笑を浮かべたまま、しかしにべもない言葉を少女――サラに返す。

 傍目には容赦なく振られているようにしか見えないが、サラに落ち込む様子は見受けられない。


「じゃあ惚れ薬! 惚れ薬ください! そして私の目の前で飲んでください!」

「申し訳ありませんお客様、当店では惚れ薬は扱っておりません」

「そこを何とか! ランディ様ならきっと強力な惚れ薬が作れるはずです! それを飲めばきっと私にメロメロですよ!」


 接客用のカウンターにずずいっと乗り出し――むしろ乗り越える勢いで――サラはランディに迫った。


「絶対に作りません。精神に影響を与える薬を作るのは信条に背きます。サラだって、惚れ薬の効果で好意を抱かれても嬉しくないでしょう?」

「え、全っ然嬉しいですけど」

「……」


 沈黙が落ちた店内に、再びちりんとドアベルの音が響いた。

「ランディさん、いるかしら? 夫の腰の薬が終わってしまったから新しいのが欲しいのだけど……あら、サラちゃん、おはよう。今日もいつもの?」

「はい! 今日もランディ様に愛を伝えに来ました!」

「あらあら、若いっていいわねぇ」


 うふふと笑う高齢の女性客をカウンターに招きながら、ランディは後ろの薬棚から瓶を取り出した。

「ハンソン夫人、旦那さんの腰はいかがですか?」

「最近はだいぶ楽になっているみたい。やっぱりランディさんの魔法薬は効くわねぇ」

「ランディ様は天才ですから!」

 と、なぜかサラが胸を張る。いつものことなのでランディは放置しててきぱきと塗り薬の瓶と湿布を袋に入れていく。


「前回と同じ薬です。塗り薬は様子を見ながら少しずつ減らしていって頂いても大丈夫ですよ。でも決して無理はなさらず、痛みがなくなってもしばらくは力仕事は控えてください」


 薬の代金を受け取り、にこにこと去っていくハンソン夫人を見送ったランディが「ところで」とサラを振り返った。

「ここでのんびりしていていいのですか?」

「あ! しまった! 急いでギルドに行かなきゃ!」

 店内の時計を見てはっとしたサラは小柄ながらしなやかな体を翻し、どたばたとドアへと駆ける。勢いよく開かれたドアのせいでドアベルがちりりりん、と慌ただしそうな音を立てるのと、元気な「行ってきます!」が重なった。

「……やれやれ」

 まるで嵐が去ったような店内で、ランディは小さく息を吐く。



 サラが薬屋の営業が始まる朝の時間にやってきて愛の告白をし、ランディに時間を指摘されて慌ただしく駆けだしていく。これがこの薬屋の日常の光景だった。





 ランディがこの地に薬屋を開いたのは、今から三年前のことだ。そしてサラがランディと出会ったのも同じ時期。薬屋を開いて間もない頃のことだった。

 当時十三歳だったサラは、たった一人の家族である母親と二人で暮らしていた。

 女手一つでサラを育てる母親はいつだってサラに優しく、深い愛情を注いでくれていた。

 そしてその愛情深さ故に、サラを魔獣から庇って怪我を負ってしまった。


 三年半前、町に魔獣が現れた。もともとこの町は近くに森と山があり、比較的魔獣が発生しやすい土地である。といっても町の中まで魔獣が入って来ることは稀だ。町に存在するギルド支部に所属するハンターが日頃から周辺の巡回をしているし、魔獣が発生した時も迅速に退治に繰り出す。そのおかげで町に魔獣が入り込むことは滅多になく、住人たちも安心して暮らすことができているのだ。


 その日はタイミングが悪かったとしか言えない。

 ちょうど近隣で他の魔獣の発生が確認され、ハンターの一部がその討伐に出ていた。結果、町の周辺の巡回警備に出る人員が減り、魔獣が町に入り込むのを許してしまったのだ。

 町中に魔獣が確認されると即座に残ったハンターたちによって退治されたが、間に合わず数名の住人が怪我をした。その一人がサラの母親だった。


 パン屋に勤めるサラの母親は、毎日パンの配達をしている。サラもしばしばその手伝いをしていて、その日も両手に配達用の籠を持って母親と一緒に得意先へ配達に向かっていた。

 パンの良い匂いに誘われたのかはわからないが、そこへ狼に似た形の魔獣がやってきて、驚くサラに襲い掛かってきたのだ。

 そして咄嗟にサラを庇った母親が怪我を負った。

 サラたちを襲った魔獣はそのまま町の中心部に向かって駆けて行き、その先で戦闘を専門とするハンターによって無事に駆除されたらしい。

 サラの母親が負った怪我自体は幸いそれほど大きなものではなく、常時ギルドに保管されている治療薬によってすぐに回復した。


 ところが問題はそれからだった。傷自体はすぐに治ったものの、運悪く後遺症が残ってしまったのだ。

 魔獣によってつけられた傷は、稀に後遺症が残ることがある。確率でいうととても低いのだが、運悪くサラの母親には後遺症が出てしまったのだ。じわじわと生命力を奪っていく、そんな後遺症が。


 魔獣による怪我がもたらす後遺症は、一般的に魔障と呼ばれる。魔障は自然治癒することがないうえに普通の薬でも治すことができない。魔障の治療薬として有効なのは、魔法使いが魔力を込めて作る魔法薬だけだ。


 魔法薬は希少だ。魔獣退治の依頼を受けることもあるギルドではわずかながら魔障用の魔法薬を所持していることもあるが、これもまた運が悪く、町のギルドには在庫がなかった。仮に在庫があったとしても、高価な魔法薬を購入するだけの財産をサラたち親子は持っていない。

 どうすることもできず、それでも少しでも回復させられないかという期待を込めて普通の滋養強壮剤や痛み止めなど様々な薬を使ったが、母親の体力は少しずつ落ちていく。

 弱っていく母親にちらつく死の影。やるせなさと不安と恐怖に襲われる日々。

 それを救ってくれたのが、ランディだった。



 開店したばかりのランディの薬屋は、当初町の住人たちから遠巻きにされていた。

 まだ若い、他所からやってきた店主の営む得体の知れない薬屋。どうやら店主は魔法使いらしいという噂はあったものの、住人にとっては胡散臭くしか見えない。そのせいで開店当初のランディの薬屋は、閑古鳥が鳴き続けていたのだ。


 だが、サラにとっては胡散臭さなんて全くどうでもいいことだった。


 新しくできた薬屋の店主が魔法使いだという噂を耳にした瞬間、サラはその店へ駆け出した。魔法使いの薬屋なら、魔障の治療薬があるかもしれない。お金はあまりないけれど、どうにか分割払いができないか頼み込んで何年かかっても支払う覚悟で、藁にも縋る気持ちで薬屋に駆け込んだ。


 息を切らして店にやってきた少女にランディは最初は目を丸くしていたが、目に涙を浮かべて母を助けて欲しいと訴えるサラに、すぐに母親の元へ連れていくように指示した。今の容体を確認してからではないと魔法薬は作れないから、と。


 結果として、サラの唯一の家族である母親はランディの薬によって魔障から解放された。

 サラに案内されて母親の状態を確認したランディは、すぐに魔法薬を作って母親に飲ませてくれた。魔障は一度の服薬だけでは完全に治すことができない。一週間分の薬を処方して、毎日様子も見に来てくれて、薬が終わる一週間後には魔障はきれいさっぱり消え失せていた。


 母親の死すらも覚悟していたサラにとって、ランディはまさに救世主だった。希少な魔法薬を迅速に作ってくれただけでもありがたいのに、その代金も破格の安さにしてくれたのだ。材料は手持ちの薬草だけで済んだから追加費用はいらない、と言って。


 そんなことをされて、いたいけな少女が恋に落ちないわけがあるだろうか。いや、ない。

 それからずっと、サラの目にはランディはいつだってキラキラと輝いて見えている。それはもう、三年間毎日愛の告白をし続けてしまうくらいには。






「おはようございますランディ様、今日も好きです結婚してください!」

「おはようございます、サラ。今日も元気ですね」


 ランディの薬屋の一日は、概ねこの会話から始まる。

 開店直後のお客一号はたいていいつもサラだ。サラは毎朝ギルドに行く前にランディの薬屋に寄ってランディにプロポーズをし、それからギルドに仕事の依頼を見に行くのだ。

 最初の頃は少女からの猛烈なプロポーズにあたふたとしながら丁重にお断りをしていたランディだったが、さすがに毎日のこととなると段々おざなりになってくる。いつからか受け流すということを覚えて、今ではただの挨拶程度に受け止められるようになった。


 三年前にランディに母親を救ってもらってから、サラはギルドにハンター登録をして仕事をするようになった。ハンターといっても、ちょっとした買い物代行や一般家庭での家事や掃除の手伝い、それから薬草の採集など、安全な仕事を受けるのがメインだ。ギルドの登録者は一律でハンターと呼ぶが、ハンターによって専門として扱う依頼には違いがある。サラはその中でも危険の少ない日常系の依頼を主に請け負っている。まあ、弱い魔獣の討伐依頼はちょこちょこ受けているけれども。


「掃除洗濯買い物代行からネズミ退治、小型の魔獣退治まで、なんでもできます! 一家に一人、いかがですか、ランディ様! 決して損はさせません! 結婚してください!」

「結婚はそういう基準でするものではないと思いますよ。とりあえず間に合ってます」

「そんなぁ……絶対役に立ちますからぁ」


 何度告白してもあしらわれてしまう。毎日欠かさず愛を告げているというのに。



 ランディに恋をしたサラがまず考えたのは、ランディに必要とされる人間になるということだった。

 薬屋を営むランディの役に立つ為には、まずは掃除洗濯といった家事スキルを身につけること。きっと忙しいであろうランディの代わりに家事ができるようになれば、ランディもサラを必要としてくれるに違いない。そう思ってギルドで家事代行の仕事を受け始めた。まだ十三歳だったサラだったが、母子家庭ということもあってある程度の家事はできていた。それでもまだまだ能力が足りないと思い、ギルドで家事代行の仕事を積極的に受けることで、今では家事ならなんでもこなせるようになった。


 しかし、ランディは器用な質であった為、家事も一通り自分でこなせてしまう。どんなにサラが家事の腕前を上げようと、必要としてはもらえない。そもそも一人暮らしのランディにとって、家事代行を頼むほど日常の家事の量は多くないのだ。


 そこでサラは次に、力仕事にも手を出すようになった。思い荷物運びや庭の草刈りや建築現場での資材運びなど、いわゆる肉体労働だ。小柄な少女が肉体労働を請け負うのは稀だ。さすがに最初の頃はギルドの受付でこの依頼はやめた方が良いなどと受付嬢に止められていたが、しぶとくしつこく粘り強く受注希望を出し続けて、今では男性顔負けの力仕事もこなせるようになった。これもまたひとえに愛の為である。


「魔法使いは腕力が弱いって聞いたことがあります! ランディ様だってそんなに細い腕で重い物を運んだりネズミ退治したり、無理に決まってます! その点私ならそりゃあもう簡単にちょちょいのちょいですから、お任せください!」

「ははは、私だって一応男ですからね、力仕事くらいできますよ。少なくともサラよりは腕も太いですし」


 確かにランディの腕は細い。全体的に肌も白いし、つややかな長い髪も相まって、見た目はとても中性的だ。しかしランディは男だ。男としては細腕というだけでサラよりはしっかりしているし、力仕事だって問題なくできる。


「でもランディ様が力仕事をしてるところは見たことありません!」

「営業時間中にはやりませんからね。ところでサラ、時間は良いんですか」


 示された時計を見ると、今日もまたすでにギルドに行かなくてはならない時間になっている。

「あああ! もう行かなきゃ! ランディ様、行ってきます! いっぱい稼いで来るので、お金が貯まったら惚れ薬作ってくださいね! そして私と結婚してください!」

「惚れ薬はいくらお金を積まれても作りません。行ってらっしゃい、気を付けてくださいね」


 叫びながら元気に走り去っていくサラを見送り、ランディは今日も「やれやれ」と小さく息を吐くのだった。






 三年も毎日のように少女が薬屋に通って愛の告白をし続けていれば、当然町の住人たちにも知れ渡る。今では名物の一つになっていると言ってもいい。

 開店当初は遠巻きにされていた薬屋も、気が付けば純真でまっすぐなサラのおかげで住人たちに受け入れられるようになっていた。サラが行く先々でランディの薬と人間性の素晴らしさを熱弁し続けた結果、どうやら非常に腕がよく価格も良心的な薬屋であると知れ渡ったのだ。

 実はそれ以前からもギルドには治療薬を卸していたのだが、一般市民にはあまり知られていなかった。ギルドでは質の良い薬しか仕入れない。その点からもランディの薬は高品質であることが裏付けられ、今では町でも知らない人のいない薬屋となったわけである。



「ランディさん、サラちゃんの思いに答えてあげないの?」

 頭痛薬を買いに来た中年の女性客がにまにまと音が出そうな顔でランディに訊ねる。

「あんなに健気に毎日告白してくれるんだもの、かわいくなっちゃうでしょう? ランディさんだってまんざらでもないんじゃない?」


 町の住人たちは概ねサラの味方だ。おばさまたちは特にサラを応援しているらしく、このような援護射撃をしてくることも少なくない。


「……確かに健気だなとは思いますが……。まだ子供ですし、年長者としてはもう少し様子を見るべきかなと」

 三年間毎日ランディの元へ足繁く通って告白し続けているとはいえ、サラはまだほんの十六歳。恋に恋するお年頃と言っても過言ではない。一過性の感情である可能性だって否定できない以上、大人であるランディがそれに簡単に答えるわけにはいかない。


「あらぁ、でもそれで本当にサラちゃんが他の男の子のこと好きになってここに来なくなっちゃったら、きっととっても寂しく感じると思うわよぉ?」

 にやにやにやにや。

「……貴重なアドバイスとして受け取っておきます」


 サラが他の男に恋をしてこの店に来なくなることも、そうなった時に自分が何を感じるのかも、ランディには全く想像がつかなかった。





「ランディ様おはようございます! 今日も好きです結婚してください!」

「おはようございます、サラ。今日も変わらず元気ですね」

「はい! 今日もいつも通りランディ様のことが大好きです!」


 サラはいつもと変わらず開店直後の薬屋にやって来る。

 薬草の在庫をチェックしていたランディの手元に目をやると、その目をきらりと煌めかせた。

「薬草採集が必要ですか!? 私が行ってきましょうか!?」

 まるで言いつけを待つ犬のような期待の眼差し。もしも犬だったら本当にしっぽをぶんぶん振っているに違いない。


「いえ、まだ大丈夫です。もし必要になってもギルドに依頼を出すので、サラにお願いすることはありませんよ」

「そんな! 私が行ってくればギルドに依頼料を払う必要なくなるのに!」

「ギルドに依頼を出すのも大切なことなんですよ。ギルドに依頼を出せば、誰かの仕事になりますから」


 地域の雇用を増やすのは大切だ。ギルド所属のハンターの中にはその日暮らしをしている人も少なくない。薬草採集という小さな仕事でも、それが誰かの収入源になるのだ。地域の住人によって経営を支えられている薬屋の店主としては、こういう形で還元することはとても重要だ。


「じゃあギルドに依頼が出たら私が全部受けます! 他の人にランディ様の依頼は渡しません!」


 ランディからの依頼は全部独り占めしたいという、恋する乙女のささやかな独占欲。

 しかしこれもまたランディから窘められてしまう。


「それはいけません。君が薬草採集を独占してしまったら、他の低級ハンターが薬草採集に触れる機会が奪われてしまいます。薬草の知識を得る為にも、薬草採集はできるだけ多くの低級ハンターに請け負ってもらうべきです」

「むぅ……」


 ランディの言うことは一理ある。薬草採集は依頼としては簡単な部類だ。その分報酬も低めだが、まだランクの低いハンターにとっては不可欠な依頼だと言っても良い。それをサラが独占してしまっては、低級ハンターが困ることになってしまう。


「じゃあ私はどうやってランディ様の役に立てばいいんですか……」

「普通に必要に応じて適宜薬を買ってくれればいいんですよ」

「じゃあ惚れ薬ください!」

「当店に惚れ薬の扱いはございません」

「ランディ様のいじわる! でも大好きです!」


 ランディにとってはすでに日常になったいつもの光景。この光景が変わる日なんて来るのだろうか。

 分からないけれど、今の日常をどこか心地よく感じている自分がいることは確かだった。





 ギルドに登録しているハンターは、その能力に応じてランク分けがされている。最も優秀なハンターはSランク、その下がA、Bと続き、最も低いのがEランクだ。

 サラがハンターとしてギルドに登録した時は、Eランクだった。これはギルドの決まりで、どんな人でも最初はEランクから始まる。その後実績によって少しずつランクが上がっていき、ランクが上がるにつれて受注できる依頼の範囲も広がっていくという仕組みだ。


 サラも最初は薬草採集や家事代行などの低ランク向けの依頼の受注から始めた。その後家事能力だけではランディに求めてもらえないと気づき、力仕事を引き受けるようになり、それさえもランディが必要としてくれないので、最近ではちょっとした魔獣退治依頼もしばしば受けている。

 といっても現在サラはDランク。受けられる魔獣退治依頼も簡単な物が多く、それほど危険はない。これで魔獣をやすやす退治できるようになればランディも自分を必要として結婚しようという気持ちになるかもしれない! という野望を原動力に、日夜仕事に励んでいるのだ。


 Dランクになってから久しいサラは、もう少しでCランクへ昇格できそうなところまで来ている。手っ取り早くCランクを目指すにはいつもよりちょっとだけ難しい依頼を受けるのが効率的だ。例えば、いつもよりちょっとだけ森の深いところに発生した、いつもよりちょっとだけ強い魔獣の退治依頼とか。




「おはようございますランディ様! 今日も大好きです結婚してください!」

「おはようございます、サラ。今日はいつもより少し早いですね」


 普段から開店直後にやってくるサラだが、今日はそれよりも少しだけ早い。具体的にどれくらい早いかというと、今まさにお店のドアに掛けた札を営業中に変えた瞬間だった。


「今日は森まで行ってくるので、ちょっとだけ早く行かないといけなくて。でも大丈夫です、今日中には帰ってくるので、明日の朝はいつも通りランディ様に会いに来られます!」

「森ですか? 珍しいですね。薬草採集ですか?」

「いえ、魔獣退治です。ホーンラビットの」


 ホーンラビットは名前の通り角の生えたウサギ型の魔獣だ。比較的臆病な性格だが、こちらから攻撃すると容赦なく攻撃をし返してくる。とはいえそれほど強いわけではなく、Dランクのサラでも受注可能な仕事だ。


「ホーンラビットならそれほど狂暴ではありませんが……サラ一人で行くのですよね?」

「え、もしかして心配してくれてます?」

「私は人を癒したくて薬屋になりましたから。人が怪我をするかもしれないのはやっぱり嫌ですよ」

「高潔……! 好きですランディ様!」

「念のためこちらのポーションを持って行ってください。差し上げますから」


 ことりとカウンターに置かれたのは、小さな瓶入りの治療用ポーションだ。一般的な初級ポーションで、魔獣退治依頼を受けるハンターならば必ず所持している代物だ。


「ランディ様から私にプレゼント……!?」

「いえ、違います」

「一生大事に保管しておきますね!」

「必要に応じて使ってください」


 断じてプレゼントではないということと適宜使うようにということを懇々と言い含め、しぶしぶ納得した様子のサラを送り出す。

「行ってらっしゃい。気を付けて、ちゃんと無事に帰って来なさい」

「ランディ様にそう言ってもらえたらたとえ死んだとしても這ってでも帰ってきます! 行ってきます!」


 死んでも這って帰って来るのはもはやゾンビではなかろうかと思ったが、ランディは元気に駆けて行く少女をいつもより少しだけ丁寧に見送った。

 魔獣退治という必ずしも安全とは言い難い依頼を受ける少女に、無事に帰って来て欲しいと思うくらいには情が湧いているのだ。





 ハンターとして活動を始めてから三年でDランクというのは、特別優秀というほどではないけれど落ちこぼれというほどでもない。むしろ常にソロで活動するほんの十六歳のサラがもうすぐCランクに手が届くと考えると、どちらかというと優秀寄りだと言える。これもひとえに愛ゆえの賜物だ。


 近年、魔獣の発生は減っている。五年ほど前に魔獣活性化の要因になっていたアンデッドドラゴンが国によって討伐されたからだ。

 アンデッドドラゴンは存在するだけで他の魔獣に影響を与える、いわば魔獣の親玉だ。アンデッドドラゴンが存在している限り魔獣の発生は増えるし、既存の魔獣も活性化する。このままでは国の存続にすら影響を与えかねないとして、国が討伐部隊を編成してアンデッドドラゴンを討ち取ることに成功したそうだ。アンデッドドラゴンの討伐直後はまだ魔獣も活発だったが、時間が経つにつれて発生も被害も減ってきた。今なお存在している魔獣はアンデッドドラゴンの影響の名残と言えるが、それも時間をかけて討伐していけば、いつかは完全に駆逐することができるだろう。


 そんなわけで、サラが今回受けたホーンラビットの退治依頼も、比較的低難易度で設定されていた。今残る魔獣は全盛期に比べるとだいぶ弱っていて、危険度も低いのだ。


 かつて狼型の魔獣に襲われたことのあるサラにとって、当初魔獣との対峙は、それがどんなに弱い魔獣であっても恐怖を覚えるものだった。しかし、魔獣に負けない強さが欲しい、ランディに必要とされる人間になりたい、という思いだけでがむしゃらに戦い、弱い魔獣なら恐怖心を感じることもなくなった。

 ホーンラビットは普段受けている魔獣退治依頼と比べるとほんの少しだけ強い魔獣だったが、きっと大丈夫だという自信があった。


 


 実際、ホーンラビット自体は簡単に倒すことができた。

 依頼内容はホーンラビットを三頭退治するというもの。普段よりも少し森の深くまで進み、比較的手前にいた一頭目を退治。そのまま少し進み、草むらにいた二頭目も難なく倒し。そして更に進んだところにいた少し大きめな三頭目も無事撃破。

 思った以上に順調に依頼内容を達成できたことで、少し気が抜けてしまったのかもしれない。

 普段入り込むことのない場所までやって来ていたサラは、結論からいうと、迷子になった。しかも運の悪いことに足を踏み外し、一段土地が低くなっている場所に落ちてしまったのだ。


「いたた……」

 ふと目を覚まして上を見上げると、すでにそこには星空が広がっていた。

 どうやら足を踏み外して転がり落ちた時に気を失ってしまったらしい。ホーンラビットの退治が終わったのが昼過ぎのことだったので、だいぶ長く意識を飛ばしてしまっていたようだ。これだけ長い時間眠っていて魔獣に襲われずに済んだのは幸運としか言いようがない。


 早く帰らなきゃ、と立ち上がろうとするが、その瞬間に足首に強烈な痛みが走る。ブーツを脱いで見てみると右の足首が平常時の倍くらいに腫れあがっていた。落ちた時に捻ったようだ。

 ただでさえ現在サラは迷子である。夜のとばりが下りた森の中、しかも痛めた足で歩き回るのは得策ではない。サラとて低ランクとはいえハンターだ。これまでにも魔獣退治依頼は受けたことがあるし、冷静に危険を回避する為の行動は頭に叩き込まれている。


 とりあえず周りに魔獣の痕跡がないことを確認し、近くにあった大きな木の根本に腰を落ち着ける。足の捻挫が治れば木に登って夜を明かすこともできそうだが……正直、ポーションは使いたくない。

 だってせっかくランディから貰ったポーションだ。絶対一生宝物として残しておきたい。

 出発前にランディから口酸っぱく必要があればちゃんと使うようにと言われたが、それでも使いたくない。

「ぐぬぬ……」

 ハンターとして冷静に判断するなら、今ここでポーションを使ってより安全に夜を明かすべきだ。

 だけど恋する乙女のサラとしては、大好きな人から貰ったプレゼント(?)は大事に大事にとっておきたい。ランディから貰ったものなら、どんなものだってサラにとっては宝物だ。


 ランディからはちゃんと無事に帰ってくるようにと言われている。そう言われた以上サラはたとえ死んでも気力と根性でランディのところへ帰るつもりだが、それをランディは喜ぶだろうか。いやきっとポーションを使わず危険に身を置いたことを怒るだろう。

「……ランディ様に嫌われるのはいやだな……」


 腰のポーチから取り出したポーションの瓶を月明りにかざす。濁りのない綺麗な薄水色の液体は、それだけ高品質であることを表している。

 もしも今このポーションを惜しんだことを知ったら、ランディは今後二度とサラにポーションを与えようとは思わなくなってしまうかもしれない。いや、ポーションだけではなく、何一つランディの手からサラへ渡ることはなくなるに違いない。


「……よし」

 まだ内心ではポーションを惜しむ乙女心が暴れ狂っていたけれど、理性でそれを押し留め、サラは身を切る思いでポーションの蓋を開けた。瓶だけは絶対に一生大事にとっておこうと思いながら。







 ポーションのおかげで足の捻挫は即座に回復し、より大きく頑丈そうな大木を見つけてその上で夜を明かした。

 幸い日の出の際に太陽を確認することができたので、概ね目指すべき方向はわかった。しかし思ったよりも森の深くまで迷い込んしまっていた為、帰るには少し時間がかかってしまいそうだ。いつもの時間にランディの店へ行くことは難しそうだった。

 三年間毎日欠かさずランディの元へ通い、毎日欠かさず愛の告白をしてきた。それが、途切れてしまう。そのことをランディは少しは寂しがってくれるだろうか。




「私の運、昨日で使い切っちゃったのかなぁ……」

 思わず泣き言がこぼれる。目の前にはブラッドベア。見上げるほどに大きい熊型の魔獣で、Dランクハンターのサラの手に負える相手ではない。

 森の出口を目指して歩みを進め、薬屋の開店時刻を過ぎてしばらく経った頃。草むらががさがさと音を立てたと思ったら、目の前のブラッドベアが出て来たのだ。


「ちゃんと無事に帰りたかったんだけどなぁ……」

 目を逸らした瞬間に襲い掛かって来るであろうブラッドベアを前に、サラは腰のホルダーから得物のダガーナイフを取り出して構える。むざむざとやられるつもりはないが、所詮小型魔獣退治用の刃渡りの短いダガーナイフだ。巨大なブラッドベア相手に勝てる可能性はゼロに等しかった。


「昨日、今日の分も好きですって言っておけばよかった」

 今日の分だけじゃなくて、明日も明後日も、何十年先の分も。


 口からぼたぼたと唾液を垂らすブラッドベアがじりじりと間合いを詰めてくる。まるで怯える獲物を前にいたぶるような動きだ。実際、サラはブラッドベアの爪一つで簡単に死んでしまうだろう。

 ブラッドベアが一歩進めば、サラはその分後ろに下がる。できるだけ間合いは維持したい。しかし木が繁る森の中では、背後も限られる。まして足元にはたくさんの木の根がでこぼこと這っていて、サラはその一つに足を取られてしまった。

「あ……ッ」

 足をもつれさせて尻もちをつくその瞬間をブラッドベアが見逃すはずはない。獲物を捕獲する好機と捉えたブラッドベアが巨体に似合わないすばやさで距離を詰め、鋭い爪の光る太い前足を大きく振りかぶった。


 もうだめだ、と抵抗にもならないだろうけれど、両腕を顔の前で交差させる。襲ってくるだろう痛みを想像して、ぎゅっと目を閉じた。

「……?」

 ところが予想した痛みは襲ってこなかった。

 それどころか「ぐわぁぁああ」という断末魔の叫びと、どすん、という何か重量のあるものが地に落ちるような音が響いた。

 何が起きたのかわからず、恐る恐る目を開く。

 目の前の地面には動かなくなったブラッドベアの巨体と、そのそばに立つ長髪の人影。


「え……?」


 よく見慣れた……毎日のように見つめ続けている痩躯と艶やかに靡く髪。いつも仕事の時に着ているローブと、その袖から覗く白くたおやかな手。その手に握られた、ほんのりと青白い光をまとった細身の長剣。


「ランディ、様……?」

 絶対に見間違えるはずのないその姿は、サラが愛してやまないランディのものだ。


 長剣についた血を払い、ランディがサラを振り返る。薬屋で見る柔和な顔ではなく、どこか鋭さを帯びた顔つきは、まるでランディではないようだった。けれど間違いなくそれはランディその人で。


 素早く視線を走らせてサラの無事を確認したらしく、ランディははぁっと大きな息を吐いた。

「まったく、一体何をしてるんですか、君は」

 普段のランディからはかけ離れた荒い足取りでずかずかとサラに近づくと、尻もちをついたままのサラの腕を掴み、ぐいっと立ち上がらせる。いつにない乱雑な動作だが、サラの腕を掴む手は優しかった。


「なんでランディ様がここにいるんですか? え、これ夢ですか?」

 サラには状況が掴めない。ついさっきまでサラを襲おうとしていたブラッドベアは息絶えていて、サラの目の前には大好きなランディがいる。どういう状況だこれは。


「魔獣退治に出るなら魔獣除けくらいはきちんと携行しなさい。ポーションは……ああ、ちゃんと使ったようですね。これでポーションも使ってなかったらさすがの私も怒り狂うところでした。ホーンラビット退治で、どうしてこんな森の奥まで来たんですか」

「迷子になってしまって……」

「……君はもう、森の中に入る依頼は受けないでください」

 再びはぁっと大きなため息を吐いて、ランディはやれやれと天を仰いだ。


「ランディ様、助けに来てくれたんですか?」

「ええまあ、君がいつもの時間になっても来なかったので」

「ランディ様が倒したんですよね? そんなに腕が細いのに?」

「腕の細さは関係ないでしょう。以前は対魔獣魔法師団の団長を勤めていましたから、実戦には慣れているんです」


 対魔獣魔法師団。それは五年前にアンデッドドラゴンを倒した、王国のエリート魔法使い集団だ。通常の魔法使いとは違い最前線で戦う魔法使いたちで、魔法と剣を駆使して魔獣と戦う魔獣退治の精鋭。ランディが、その師団長。


「……ランディ様って、もしかしてものすごく強いですか?」

「どうでしょうか。一応団長に任命される程度の腕はあると思いますが」

「魔法師団長になれる程の人じゃ、私がどんなに強くなって役に立とうと思っても全然必要とされないじゃないですかぁ!」

 強くなってランディに必要とされるようになって結婚して貰おうと思っていたのに!

 これではサラの計画は達成できないではないか。


「そんなに弱そうな見た目なのに強いなんてズルいです、詐欺です! でも大好きです結婚してください!」

 なんだかいろんな情報が一気に入ってきてちょっぴりパニックになり、泣きそうになりながら心の声をそのまま垂れ流す。

「落ち着いてください」

 やれやれと言いたげなため息をついたランディの手が、サラの頭をぽんと撫でた。

 普段ならサラが喚いていても絶対にそんなことはしないのに。


「……あと二年経って、サラが十八歳になっても気持ちが変わらなかったら、結婚してもいいですよ」


 ………………今、何と言った?


 一瞬真っ白になった頭で、ランディの言葉を反芻する。じゅうはっさいになったらけっこんしてもいい……?


「…………嘘!?」

「嫌なら取り消しますが」

「嫌です! あ、違います今のは結婚が嫌っていうことじゃなくて、取り消すのが嫌ってことで……!」


 今まで何度も――それこそ三年間毎日プロポーズしても色よい返事なんてくれなかったのに、それどころか最近はずっとスルーされていたのに、突然どうして。


 ますますパニックになりつつあるサラを見つめ、ランディの口元がふっと緩んだ。

「毎日毎日押しかけてきては好きだと言ってくるのに、今日は君が来なかったせいで……気になって気になって仕方なくなってしまったんですよ。君の母上に訊いたらまだ森から帰ってきていないと言うし、もしや何かあったのではないかと思ったら、居てもたってもいられなくなってしまいました。まったく、これが作戦だとしたら相当な悪女ですね」


 言葉の内容は非難がましいものなのに、その口調はどこまでも優しくて。

「ランディ様好きです結婚してください……!」

「あと二年経ったらね」







 ――それからの日々もそれまでと大きくは変わることはなく。



 魔法使いの営む薬屋では、毎日開店直後には盛大なドアベルの音と小柄な少女の元気いっぱいな定型文が響き渡る。


「おはようございますランディ様! 今日も好きです結婚してください!」

「おはようございます、サラ。結婚はサラが十八歳になったらね」

「いじわる! でも大好きです!」

「ええ、知ってます」


 だけどほんの少しだけ、薬屋の朝の日常は変わったのだった。



軽ーい感じのお話を練習したくて書いてみました。

ちなみに学生時代、友人が「押して押して押して引くと男は落ちる」と言っていました。試したことがないので本当かどうかはわかりません。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。