エンドロール
大阪の中心地として有名な難波駅には、大きな広間が作られている。
もともとタクシーロータリーだった場所を改築し、誰しもが往来できる公共物として変貌していた。
その広間には誰もが座れる簡素で白色の机と椅子が、いくつか並んでいた。
「ふぅ……こんなに人混みが多いと気が滅入るわね。」
椅子を引いて腰掛けるのは、髪をポニーテールに結んだ女性だった。
彼女は手に持っていたコーヒーカップを一口煽って机に置くと、背もたれに身体を預ける。リラックスした体勢になり、静かに独り言を並べる。
「2週間前のニュース、見たでしょ。真壁くんは捕まっちゃったよ。それに付き合った竹内くんも、山澤2曹も、後輩ちゃんずもね。停職半年だそうよ。」
どこに話しかけようともしない。指向性のない言葉は続く。
「これで退職金はみんなぱー。人生狂わされたとか思ってそうね。正直私もそうだけど。まぁお前らが言うなよって感じよね。貴方からしたら。」
「……そんなことは、思っていないが。」
背後から忍び寄る男の声にサヤは振り返る。背もたれに大きな背中を張り付けた男を見て、サヤは静かにほくそ笑んだ。
「どうなの?体の方は。同期として心配はしてる。」
男は少しの間を作って、口のなかで言葉を選び、吐き出した。
「最初は苦労したが今は痛みがない、熱っぽくなる時もあるけど問題ない。特に最近は恐怖を感じなくてね。身体も頗る調子がいい。」
「それはよかった。」
「あの日、君が止めなければ、ニュースに載ってたのは俺だ。真壁じゃなくてな。」
その言葉に濁りはなかった。迷いのない声に、寒気すら感じた。
サヤは思う。一緒に働いていた頃の優しかった「おじさんくん」は居ないのだと。
「その様子だと新たな課題は、もう終わったのね。」
「......まぁな。だがお門違いだった。手にかけた人間は関係がなかった。手向けにもならないって話だ。」
「……どこまで知ってるの?」
男はサヤの言葉が思いがけず、心に深く刺さった。まるで指に深く刺さるトゲのように、鈍痛が脈打つように、心の奥で痛みを感じる。
なぜなら彼にとって、この半年を費やした成果は救い難いものだからだ。
「真壁が嘘をついていた。そして、マヒルは自殺した。」
真壁の嘘については早めの段階で気がついていた。あの日渡されたスマホのメッセージは、何処か業務的で、マヒル本人のものではないと思ったからだ。
黒木の釈明から得た情報があったとしても、何も変わらない。結果的にマヒルの生存を確かめるすべはない。何も変わらないのだ。
無力さに握りこぶしを作り、自然と噛みしめた歯から異様な音を立てている。
悔しさに喘ぐ男の手に、1枚の紙くずが舞い降りた。
「あなたの希望が、そこにあるといいわね。」
紙くず丁寧に広げる。くしゃくしゃの髪にはとある住所がなぐり書きされていた。その住所には心当たりもなく、何がどういうことなのか理解が及ばない。
それから男はゆっくりと振り返る。だがもうそこに、送り主はいない。
「行ってみろってこと…だよな。」
希望は遠く、未来はない。嫉妬に人生を殺された男は、席を立って、また同じ道を歩き始めた。
警察から解放された黒木の耳には、事態が収拾に向かっている事を知らせるメッセージが届いていた。
河川敷の上で、沈んでいく夕日を眺めながら、今更かとつぶやく。
「関わらなければよかった…。」
お世話になった人達は、もう周りにはいない。頼れる人は軒並み消えて、社会復帰をするには遅すぎた。
救いようもない沼に沈む黒木は、スマホを地面に置いて立ち上がる。
「俺があの人達に…サヤに頼まれて…人情に負けて…夕里を紹介しなけりゃよ…あー」
まるで川のように、記憶が頭を流れていく。温かな過去の思い出が、黒木の背中を少しだけ押した。
「次生まれた時は、もっとまともな世界であれよ。」
黒木はその場から飛んだ。高さはないものの、硬い石材でできた階段に身を落とす。その痛み、衝撃は、黒木を安らかな眠りへ連れて行く。
私は傷だらけの身体を恨んだことはない。手首を何度も切り裂いた痛みが示してくれるのは、確かな生だけ。
「なぁ…いいだろ夕里…。」
汚い部屋で、汚い顔で、汚い欲をぶつけてくるこの中年から得られるものも、相対した生の実感のみだ。
なのに私は拒んだ。細くて脆い両手が、男の接近を抗う。
「そんな抵抗しなくても…。」
生を感じる為の行為を、私は拒んだ。ロジカルではない衝動が私を動かしたのだ。
あの人がくれたものは、肌身で感じられる愛。その愛がまだ消えていなくて、私を守ってくれたのだ。
「ッ………ええかげんせぇ!!」
だが現実は儚い。弱い力は強い力で簡単に塗り替えられて、欲の昇華を強制してくる。
男は器用だ。片手で私の両手を握り固め、片手で私の服を脱がせる。
嫌らしい視線で息を荒げる男の体温が嫌に張り付いていた。
「わたしは…別に望んでここにいるわけじゃない…。」
「いいや望んだ!お前は男に愛されることで生きてる事でしか、実感できないんだろ??」
嫌だ。そんなの知らない。わたしはもう…あの人以外に触られたくない。
男の顔がゆっくり近寄り、加齢臭が振りかかる頃に、玄関が無理やり開いた。
「え_______な…えぇえ??」
古いタイプの玄関は鉄製で重い、そして鍵は堅固で壊れにくい筈だった。だが現実は非情だ。蝶番からもげたドアは、そのままの勢いで床に倒れる。
外の街灯が暗い部屋に差し込んで、ドアを破壊した犯人の顔を隠す。
「わるいな。俺の女を取り戻しに来た。」
声も、匂いも覚えてる。あの人は私のことを忘れたわけではなかったのだ。
待ち望んだ光景だ。夢にまで見た救いの手が、絶望に沈んだ私を拾い上げてくれる。
未来に希望はない。今にこそ輝いて光るものが希望だ。
毒樹の果実とは…
アメリカの法理に由来する刑事訴訟用語で、違法な手続き(毒樹)で得られた証拠から派生して見つかった、二次的な証拠(果実)も証拠能力を否定されるという理論




