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毒樹の果実  作者: ヒゲ博士


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序盤

 換気扇の低いうなりに耳を立て、椅子に腰を掛けてスマホを弄っている。暇だからだ。暇のついでに視界を動かしても光景は何時間も変わらない。


 汚れてくすんだ窓。タイルカーペットが広がる汚れた灰色の床は、何度も靴底に蹴られて黒い傷がいくつもの線を引いている。いつ使ったのかもわからないオリコン達が部屋の隅へと追いやられ、その並びにあるワゴンの中では錆びついたいくつものパイプ椅子が寝ている。


 ため息と独り言が嫌に目立つ7畳ほどの部屋。この多目的室という免罪符に託つけて、不要なものが詰め込まれて忘れ去られていた。まるで不用品の墓場。静かに物だけが居座るこの部屋に、椅子を一つ置いて、僕は間借りさせてもらっている。


 肩身の狭い思いをしてからどれほどの時間が経ったのだろう。壁越しに伝わる足音と話し声は忙しそうで、僕の孤独を強調させていた。


「ふぅ…。」


 椅子に長時間座っているせいか、腰が痛くなってきたので身体を伸ばしてみる。すると殴打された左頬を鈍痛が貫いて、背中を丸めてしまった。


「痛っ……。本気で殴りやがって…ちくしょう。」


 この痛みも、ここにいることも、全ては自分の責任だ。この部屋はそのためにある。隊員の間で呼ばれる部屋の別称は反省部屋だ。

 この「反省」という名の無為な時間を、僕はただ指をくわえて過ごすほど愚かではない。画面の輝度を最小に下げて、メッセージアプリをまた開く。相手は一つ上の先輩であるサヤだ。


『事務所の状況はどう?』


 送った短いメッセージに、今度はすぐに既読がついた。


『山澤二曹はあなたのことを心配してるくらいしか変わらないわ。』


 彼女の返信から飽きが見え始めた。暇つぶしに長時間も付き合わせているのでさすがに申し訳ないなと、この部屋に来て初めて反省した。よし。マッチングアプリで知り合った女に連絡を取ろうそうしよう。

 返信をしないまま、別のアプリを起動する。すると画面の上からサヤの返信が現れた。


『警務官が下の階に来てるって。事務所がピリついてる。』

「警務隊!?」


 突然の重苦しい単語に心臓を蹴り上げられて、外の音が耳に届かなくなった。

 確かに僕は暴力事案というか喧嘩をした。その処分がこの反省部屋で何もしないという「停職と戒告」の合わせ技一本。もう事情聴取まで済んでいる。終わったことだ。恐らく僕じゃない。

 だが安心材料は必要だ。メッセージのやり取りに飽きた彼女の機嫌を損ねないように、自然に返事をして情報を引き出そう。


「ええっと…【この前のセクハラ事案のことだろ?僕の事情聴取は終わっている。】っと。」


 ここは勤務隊舎の2階にあたる。上の階は部隊の事務所、下は偉い人たちが行き交う部隊の中枢だ。事由としても妥当なラインだ。

 ふん、と鼻で笑ってしまった。僕は皆の緊張とは反対に、たかだか喧嘩で何を大げさなのかと思ってしまった。

 だが希望はあっさりと消えていく。



『停職の所在を聞かれたんだって。恐らくあなたのことね。』


 

 頭を抱えて項垂れて、全てに絶望しているその時だった。廊下から、規則正しい、だが重厚な足音が近づいてきた。


「…半長靴じゃない。短靴よりも硬い。ローファーの音…。」


 イメージされる挙動は自衛官の歩法ではない。もっと冷徹で、獲物を追い詰める猟犬のような足音だ。正しくあれと圧力を込めているような、そんな気がしてならない。間違いなく、とても位の高い警務官がこの部屋に向かっているようだ。


 僕は素早くスマホを隠し、背筋を伸ばして「反省」の姿勢を整えた。


 来訪に備えて気構えを整えていると、扉が軋んだ音を立てて開く。逆光の中に立っていたのは、見慣れた顔の陸曹【山澤2曹】ではない。


「いたいた……真壁雍也3曹だな」


 声とともに入ってきた男は戦闘服ではなく制服。紺色の袖には警務官の腕章を巻いていた。右胸には夥しい数の賞詞が飾られており、左胸に張り付いた黒いプレートにはアララギと記載されている。・・・知らない人だ。

 だが立ち姿から基本教練に至るまで、無駄の一切を削ぎ落としている。そして見るものすべてを凍りつかせるような眼差し。廊下越しに伝わっていたのは、暴く者の圧力なのだろう。きっと警務官として名を残すほどの大物だ。そんな人がなぜここにいる。


 彼は部屋の中心へ歩み寄ると、僕の目の前に腰を下ろした。まるで子供に話しかける体勢で、静かな威圧感を振りまいている。そして伝わるようにゆっくりと語りかける。


「私がここにいる理由がわかるか?」


 印象はありきたり。威圧感に比例しないな。もっと凄みのある質問をされるかと思ったが、何のことはない。陸幕とは言え、この人も周りと同じだ。

 肩透かしな言動に辟易してしまい、感情を殺しながら口を回す。


「もうやめてください。何のつもりで話をしてるんです?もう言うべきことは…」

「私は又聞きを信じないのでね、君の口からききたい。」


 僕の言葉を否定した瞬間から、アララギの声は、感情を排した機械のようにかわる。


「承知いたしました。昨日の…。」


 事の説明をしようとした矢先に、アララギは手を掲げて言葉を制止した。

 これはマズイと直感が寒気に変わる。


「質問する。君の言い訳のような説明には興味がないんだ。」  

 

 アララギは僕をコントロールしようとしている。対象者から出てくるものではなく、引き出した情報だけを確信にする。そのためにコントロールの主導権を握ろうとしているのだ。


「それではまず昨日、だれと会ったか話しなさい。」

「…僕の直上で、今は外で働かれているムタさんです。」

「ふむ。元自衛官と偶然会った日に喧嘩、なかなか妙ではあるな。何故会うことになったのかな?」


 言いたいことを言わせない。抗い方の分からない言葉責めに、僕は正直に話した。


「山澤2曹に誘われて、居酒屋に行ったんです。その時にばったり。」

「そうかそうか。本当に_______バカげた嘘だ。」


 アララギは素早く立ち上がり、手近なパイプ椅子を引きずって、対面に座り込んで足を組んだ。更には胸ポケットからタバコを抜いて、躊躇いなく火をつける。

 優しくはなかったが、今までよりも急に乱雑な言葉になるのは、意図したものなのだろうか。


「人間は社会性の味を覚えている。そしてその恩寵を尊び、モラルを作り上げた。君の言ってる事はほとほと現実味が無いことだとわかっているかね?」

「そんな事を言われましても…。事実がそうなので…。」

「チンピラならわかるが、ムタは元自衛官。社会経験も長く…何といったか………おじさんくんか。そんな愛称で親しまれるような男だ。」


 正論だ。逃げ道のない言葉が津波のように思考を攫っていく。


「君は目と目が合っただけの相手に喧嘩を売るかね。それも同僚で後輩に。さらに…胸倉を掴んでッ!!」


 座ったそばから大声を放ち、僕の戦闘服の胸倉を掴みかかる。


「お前は何をやらかした!!とね。」 


 まるで雷雨のような猛攻が過ぎ去り、アララギに静けさが宿った。

 時間差でパイプ椅子が倒れ、耳障りの悪い物音が、やたらと主張する。


「私も君に同じ事を聞きたい。」


 迫力の余韻に負けて、言葉が喉を登ってこない。僕の答えを待つ為だけの間が、とても心に悪い。


「し、知りませんよ。」


 嘘ではない。本当の事だ。胸倉を掴まれることも、ましてや怒らせるようなことをしたわけではない。

 我に返れば、前のめりになって、手を握り込んでいた。その様子を眺めたアララギが気恥ずかしそうに笑顔をつくる。


「ふむ…嘘ではないようだね。いや失敬。私はこういう手法を使って成り上がったもので、いや失敬失敬。」

「こういう…手法…」

「緩急をつけるんだ。こうすれば油断から本音を滑らせやすい。実際今の君もそうだろう?」


 アララギの指摘で急に恥ずかしさが頭に上がってきて、顔が熱くなってきた。

 気を新たにして椅子に座ると、アララギは軽い抑揚で話を進める。


「楽に答えてくれ。まず君に聞きたいことは、ムタについて教えて欲しいんだ。欲しい…いや、確認がしたいのだ。」


 制服の胸元から高そうな黒いメモを取り出した。


「ムタ士長。入隊時は29歳。鹿児島出身で大阪育ち。前職では倉庫、工場をわたり、コロナで職を失って自衛隊に入る。性格は非常に勤勉、温厚であり感情の露出が少ない。」

「……。」


 感情の露出が少ないと言うワードに引かれてしまい、瞼が動いてしまった。アララギはそれを見逃さなかったようだが、特別止まることはなかった。


「履修前教育隊を修了。陸曹教育隊になる一ヶ月前に自己都合にて退職。ヘルニアと腰椎変形症が要因みたいだねぇ……成績は中の下だが、評価されない面においては自衛隊の適性は部隊1だと山澤2曹から聞いている、ここまで相違点はあるかな?」

「……感情の露出が少ないというのは、服務指導記録簿に書かれているのでしょうか。」

「そうだ。気になるかね。」


 記憶の中では確かに感情が高ぶる事は少なかったように思う。アララギの認識もそうに違いない。だが僕たちとは何かしらの認識違いのようなものを感じた。


「感情を表に出すことはありません。ですが、それは、彼なりの気遣いなんです。」

「と言うと?」

「…部隊の中でも年配者で、それを自覚していて、陸士の中でも大人であろうとしていました。年下の先輩に怒られても反骨することはない。だからといって諦めることなく食いつく姿勢があったり、反対に落ち込んでる人の隣には彼がいた。そして指導の意図を解きほぐし_______」


 思っているよりも舌が回っていて、アララギのニヤつきに、感情が止まる。


「なるほど…「プライドの捨て方」と「信念の守り方」を両立させているんだな。そうかそうか。彼の理知を見てきたからこそ言える…君は彼の理解者なんだな。」

「理解者と言われるとどうなんですかね。」

「いい関係性だった事は伺えた。より謎は深まるがね。」


 彼は椅子から立ち上がり、懐から一冊の薄汚れたノートを取り出し、僕に手渡した

 表紙には、殴り書きのような文字が書かれていたようだが、インクが伸びて読むことはできそうになかった。


「話は変わるが、君に交渉だ。現時点で処分は決まってないが、今のところ2か月の停職となっている。」

「にっ!!」


 あまりに重たすぎる酌量に、驚いて声が詰まった。


「だが、【ムタの行方を暴く】事を飲んでもらえれば1週間で終わらせるように取り計らおう。」

「行方を…暴く?」

「そうだ。現時点で君に暴行を加えたムタは警察に捕まっていない。責任問題には元自衛隊という経歴から、我々も加味しているとされ警察から情報提供の要請があったのだ。なので在隊記録から調査したところ、このノートが見つかった。内容についていろいろと聞かせてほしいんだ。」


 汚らしい字が印象的なノートを指さす。それはこれを読み解いて、所在を暴け、ということなのだろう。


「……拒否権あるようには思えないです。」

「縦社会の組織だと、割り切ってくれ。」


 まぁ観念した方が身のためだ、と言葉だけを置いてアララギはあっさりと出ていった。残されたのは僕と、手元にあるノート。

 意見が聞きたいといっていたが。本当にそれだけなのか。意見提供だけなら、交渉というワードを使う必要があるのか?そもそも行方を暴くというが、ムタは行方を隠すほどの何かをしたのだろうか。ムタにも、アララギにも、何かしらの言えない事情が見え隠れしている。

 アララギから差し出されたものの味を知るには情報不足すぎる。とはいえサヤに聞いたところでどこまで聞けるかもわからない。


「……まぁ見るだけなら。」


 2分ほど口の中で要求を吟味し、僕はサヤにメッセージを送って、ノートを巡り始めた。とりあえず要求通りに行動することにしたのだ

 乾いたせいなのかノートの表紙は、濡れて乾いたような軽さとザラつきがあった。生理的な気持ち悪さを腹に押し込んで、表紙に指をかけて捲る。


「なんだこりゃ。」


 表紙から紙までに謎のスペースがある。最初の何ページかは破り捨てられているようだ。不審がりながらも、白紙のページを巡ると、今度はちゃんとした手記が現れる。

 文字の一つ一つに、丁寧さなど気にしない粗さがある。走り書きに似ているが、おじさんくんの書き方は顔を紙に近づけるため、バランスが迷走しがちだった。

 筆跡も、文体も、そこからイメージする筆者も擦り合う。彼の物で間違いない。


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