第9話
「正面……突破だと……?」
関所からの報を受け、ネイマンは一瞬、言葉を失った。
唖然――だが、それは怒りよりも先に来た“理解不能”への反応だった。
(これだから脳筋は……)
緻密に張り巡らせた網を、真正面から踏み破る。
合理性も、逃走者としての常識もかなぐり捨てた選択。
奥歯を噛み締める。
だが――姿が見えた。
それだけで十分だ。
中立地帯。
夜の大森林。
魔物の脅威が跳ね上がる時間帯。
(喰われればそれで終わり……)
だが、ネイマンはすぐに首を振る。
(……そんな男ではないでしょう?)
誰よりも知っている。
あの男は、死に場所すら選ぶ。
若い伝令兵を呼び寄せる。
「追撃部隊を編成しろ。出立は明朝」
一拍置き、薄く笑う。
「――“あいつ”を出す。今度は逃すな」
伝令兵の喉が鳴る。
その名を聞かずとも、何を意味するか理解している顔だった。
敬礼し、足早に部屋を去る。
扉が閉まると、ネイマンはゆっくりと葉巻を取り出す。
火をつけ、深く吸い込む。
(さぁ……あなたの好きな真っ向勝負ですよ、大佐)
椅子に深く沈み、天井を見上げる。
吐き出された煙が、ゆっくりと部屋を満たす。
それはまるで、逃げ場を失った獲物を包囲する霧のようだった。
* * *
(追撃は……まだない)
グライスは馬の足を緩めた。
夜の森は、音が違う。
遠くの獣の息遣い、枝葉の擦れる音、湿った土の匂い。
(夜明けまでは動かない……か)
理に適った判断。
だが油断はできない。
馬を降り、休息できる場所を探す。
そのとき――
淡く、瞬く光が視界をかすめた。
ひとつ。
またひとつ。
追うように歩みを進めると、光は増え、やがて群れとなる。
その中心に聳える一本の大樹。
(これは……)
月聖樹――ケアリの木。
清涼な香りが、肺の奥まで澄ませる。
魔物除けの素材として知られる、森の守り木。
そして、それに群がる導光虫。
この虫がいる場所に、魔物はいない。
ほんのわずかな安堵が、胸に広がる。
(森の中の……セーフポイントか)
根元に腰を下ろし、背を預ける。
戦闘の反動が、遅れて身体を襲う。
魔術の連続行使。
関所の破壊。
指先が、微かに震えていた。
(明日が……勝負だな)
ネイマンは諦めない。
仲間が命を賭して繋いだ道。
それを、ここで終わらせるわけにはいかない。
瞼を閉じる。
導光虫の淡い光が、ゆっくりと揺れていた。
* * *
空気が変わった。
目を開けた瞬間、違和感が全身を走る。
夜明けのはずなのに、森は暗い。
そして――焦げた匂い。
風に乗って届く、じわりとした熱。
(……焼いているのか)
森ごと。
即座に騎乗し、手綱を引く。
炎の回りは想像以上に早い。
遠くで、乾いた破裂音が響く。
倒木の音だ。
走る。
煙が視界を濁らせる。
やがて木々が途切れ、視界が開けた。
朝日が差し込む空間。
だが、そこは安堵の場所ではなかった。
獣の骨。
半ば朽ちた死骸。
巨大な爪痕。
魔物の縄張り。
(最悪だ……)
だが、主の姿はない。
一気に駆け抜ければ――
そう判断した、その瞬間。
影が落ちた。
地面を覆い尽くすほどの、巨大な影。
ゆっくりと、空を仰ぐ。
そこには――




