第7話
夢を見た。
遠く、懐かしい夢――。
(――フィー……! アレン……!)
必死に叫び、もがく。
だが、声は届かない。
足は鉛のように重く、
地面があるはずの場所には、暗く深い血のまどろみ。
動くほどに、底なしの沼へと沈んでいく。
無数の鎖が身体を絡め取り、
最愛の二人は、遠ざかっていく。
(……頼む……待ってくれ……)
叫びは、虚空に溶けた。
景色が揺らぎ、灼熱の炎がすべてを包む。
戦火に飲み込まれる二人を、ただ見つめることしかできない。
やがて炎は己の身へと迫り、
骨の髄まで焼き尽くす。
痛みに耐え、這い出そうと腕を伸ばすが――
(……大佐)
(……ランズデー大佐!)
遠くからの呼び声に、
一気に現実へと引き戻された。
* * *
二度目の野営を迎えた亡命行軍。
「……大佐……ランズデー大佐!」
ポルコの声に、グライスは跳ね起きた。
上体を起こし、頭に残るまどろみを振り払う。
気の緩み――
天幕に近づく気配すら感じ取れず、眠りに落ちていた自分に舌打ちする。
(……嫌な夢を見たな)
額には、脂汗が滲んでいた。
「どうした?」
食事の時間には早い。
異変を察したグライスは、枕元の剣へと手を伸ばす。
「街道の巡回警備兵です……。おそらく問題はないと思いますが……」
「わかった。報告ありがとう」
遠ざかる足音。
靴紐を締め直し、耳を澄ます。
「私は第3突撃大隊、第1中隊長、ロイド・ファーネン大尉である」
「小官はカイス街道巡回警備分隊長、トーマス・ベイカー曹長であります」
「で、その巡回が何用か? 現在、我々は訓練中だが」
「訓練の通達は受けております。――ですが……」
トーマスは言葉を選ぶように、一拍置いた。
「罪人グライス・ランズデー元大佐が脱獄、現在逃走中との報が……」
「ほう。知らなかったな。情報提供に感謝する」
「いえ……軍本部より厳戒命令が出ております。天幕内を確認させていただけますか?」
ロイドの目が、僅かに細められる。
「……私を疑っているのか?」
「ファーネン大尉がランズデー大佐に忠義を尽くしていたのは有名です。――何か不都合でも?」
「頭に乗るなよ、ベイカー曹長」
静かな声だった。
だが、刃のような威圧がそこにあった。
「貴様は、私が帝国の裏切り者を匿っている可能性があると言っている」
「い、いえ……そこまでは……」
「確認するなら好きにしろ。ただし――」
一歩、ロイドが足を進める。
軍靴が土を踏みしめる音が、不釣り合いなほど大きく響いた。
「その代償が何か、覚悟の上でな」
沈黙。
トーマスは唾を呑み込み、視線を彷徨わせた。
目の前にいるのは、若くして中隊を預かる男。
武勲も、名声も、そして人望も――噂ではなく事実として知っている。
「……っ。し、失礼いたしました!」
巡回兵たちは逃げるように馬首を返した。
森に蹄の音が遠ざかり、ようやく静寂が息を吹き返す。
一部始終を聞いていたグライスは、天幕の影から姿を現した。。
「すまない。助かった」
「いえ……ですが、まずいですね」
「あぁ。この件、必ずネイマンの耳に入る」
「野営を切り上げ、国境へ急ぎましょう」
グライスは一呼吸置き、思いを巡らす。
そして――
「いや。ここからは一人で行く」
「――大佐!」
味方がいれば生存率は上がる。
匿った確固たる証拠が出ればロイド以下命はない。
その二つを天秤に掛ければ、自ずと答えは容易だった。
「これ以上は、お前たちが言い逃れできない」
「しかし……」
「もう十分だ。ありがとう」
それ以上、言葉は続かなかった。
ロイドは口を開きかけ、結局何も言えずに唇を噛みしめる。
命令でも、説得でもない。
これは――決定だった。
「……あなたの部下で、本当に良かった」
「俺の方こそだ。誇りに思う」
グライスは背を向け、荷をまとめ始める。
誰かが止めることはない。
兵士たちは自然と集まり、無言の輪ができていた。
交わされるのは敬礼でも、言葉でもない。
ただ、視線だけ。
命を懸けてくれた者たち。
共に戦い、共に生き延びた顔ぶれ。
その一人ひとりを、グライスは確かに胸に刻む。
ランマに跨ると、小さく鼻を鳴らした。
「大佐……ご武運を」
涙を堪えたポルコの声。
「あぁ。達者でな!」
グライスは手綱を引き、鐙に力を込める。
ランマは迷いなく駆け出し、森の奥へと身を躍らせた。
枝葉を抜け、街道へ――
東へ向かう背中を、朱色の夕陽がゆっくりと染め上げていく。
その姿が小さくなっても、
ロイド率いる部隊の誰一人、動こうとはしなかった。
ただ静かに、
それぞれが胸に去来する言葉を抱えたまま、
見送っていた。




