第4話
『……亡命、だと?』
あまりにも突拍子のない言葉に、グライスは思わず目を見開いた。
だが、次の瞬間には理解してしまう――それ以外に、道が残されていないことを。
ネイマンの性格上、見つかるまで追手が緩むことはない。
国内に潜伏し力を蓄え、反撃の機を待つ――それは、もはや不可能に等しかった。
「はい……ダイナ王国へ、です」
――ダイナ王国。
大陸でも一、二を争う大国。自然と資源に恵まれ、国力も軍事力も帝国に比肩する存在。
両国は長年対立関係にあり、国境では小競り合いが日常茶飯事だった。
帝国が最重要警戒国として名を挙げる相手。
そして――
グライス自身、幾度となくその王国兵を打ち破り、帝国に勝利をもたらしてきた張本人でもある。
「……俺は、王国兵を殺しすぎている」
低く、重い声。
「亡命など……引き受けてくれるだろうか」
自分の存在が、新たな戦火を呼ぶ。
その可能性を、グライスは何よりも恐れていた。
「……ツテを探すのに苦労はしましたが」
マインは、はっきりと言った。
「王国は、大佐を快く受け入れると」
「……そう、なのか?」
「ええ。王国からすれば、帝国の最大戦力とも言える大佐を迎え入れられるのですから」
「……そうか」
グライスは短く息を吐く。
「……苦労をかけるな」
「いえ。――さぁ、ここからは時間との勝負です」
* * *
爆ぜるような轟音が、監獄を揺るがした。
地鳴りと共に壁が砕け、警報の鐘がけたたましく鳴り響く。
看守たちは慌てて駆けつける。
明日、処刑されるはずだった大罪人の独房――
そこには、瓦礫と外された枷だけが散乱していた。
分厚く頑丈な壁には、巨大な風穴が穿たれている。
月明かりに照らされたその光景を見て、看守たちは凍りついた。
「――脱走だ!」
「大罪人グライス・ランズデーの脱走だぁぁぁ!!」
絶叫が夜空に響き渡る。
だが、その声が届かぬほど遠く――
グライスは、すでに馬を走らせていた。
――用意した馬で北へ。エレノア山脈の麓を目指してください。地図は、ここに。
片手に地図を握り締めながら、マインの言葉を思い出す。
蹄が乾いた大地を叩き、風を切る。
久しぶりの疾走感と、馴染み深い鞍の感触。
グライスは、そっと馬の首を撫でた。
「……よう、ランマ。寂しかったか?」
問いかけに応えるように、栗毛の牝馬が力強く鼻を鳴らす。
夕焼けを溶かしたようなその毛並みは、戦場で幾度も命を預けてきた相棒だった。
(まずは……この印の場所だな)
地図を改めて確認する。
山脈の麓近く、朱色で丸く囲まれた一点。
――ここに、あなたの支援者がいます。
――私はこれ以上の長居は危険ですので、詳しい説明はここまで。
――大佐……ご武運を。
(何が……ご武運、だ)
いずれネイマンは気づく。
脱獄を手引きしたのが、マインだということに。
そうなれば、彼女が無事で済むはずがない。
それでもなお、マインは迷わず手を差し伸べたのだ。
(……無事でいろよ、マイン)
グライスは手綱を強く握り、鐙を踏み込む。
ランマは軽くなった相棒を気遣うことも忘れ、その身を風に預けた。
――亡命者、グライス・ランズデー。
祖国へ反旗を翻す、その第一歩が、今刻まれた。




