表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/9

第3話

 やがて空腹にも慣れ、わずかながら身体に余裕が生まれると、凍りついていた思考が少しずつ回り始めた。


(……しかし、この状況は……)


 グライスは、静かに息を吐く。


(絶望的、だな)


 幾多の死地を潜り抜けてきた帝国最強の軍人であっても、魔力を封じられ、ここまで身体を痛めつけられては打つ手がない。


 痣と傷に覆われた自らの腕を見つめる。


(帝国最強……聞いて呆れる)


 愛する妻と息子を奪われ、無実の罪を着せられ、待っているのは断頭台。

 それが、現実だった。


 仮にこの状況を打破し、冤罪を証明できたとしても――

 フィーとアレンは、もう戻らない。


 その事実だけが、頭の中で何度も何度も反芻される。


 胸の奥で、記憶が一気に溢れ出した。


 ――戦場で大怪我を負い、死の淵を彷徨っていたあの日。

 その治療にあたったのが、当時衛生兵だったフィーだった。


 戦場には不釣り合いな可憐な容姿と、必死に命を繋ごうとする真摯な眼差し。

 気づけば、グライスの心は彼女に惹かれていた。


 同じ軍に身を置く者同士、距離が縮まるのに時間はかからなかった。

 やがて“不死身の戦鬼”と呼ばれるようになった頃には、二人は姓を共にしていた。


 そして――アレン。

 二人の間に生まれた、元気な男の子。


 自分に瓜二つの顔を見た瞬間、胸がいっぱいになったことを覚えている。

 初めての育児に悪戦苦闘し、夜襲を受ける方がよほど楽だと愚痴を零したこともあった。


 「将来はパパみたいな軍人になる!」


 そう言って胸を張ったのは、先月迎えた五歳の誕生日だった。


 ――月明かりが、より強く独房に差し込む。


(……あなた……)

(……パパ……)


 聞こえるはずのない声が、確かに耳に届いた気がした。


 途方もない喪失感が、全身を包み込む。

 胸に灯っていた復讐の炎は、今にも消えそうだった。


「……いっそ、このまま死んで……フィーとアレンに会いに行くのも、手かもしれないな……」


 気づけば、独り言のように呟いていた。


「――らしくないですよ、ランズデー大佐」


 突然の声に、反射的に身を起こす。

 だが、視線の先には誰もいない。


 深く息を吐き、鉄格子の向こうへ顔を向ける。


「……情けないところを見せちまったな、マイン」


 次の瞬間、冷たく無機質だった景色が揺らいだ。

 そこから姿を現したのは、黒い隠密服に身を包んだ一人の女――


 グライスの部下、マイン・ヴェイル中尉だった。


「もっと情けない姿、いくらでも知ってますけどね」


 フードを下ろし、艶やかな黒髪を揺らしながら、彼女は微笑む。


「さすがは諜報小隊の小隊長だ……まるで気づかなかった」

「あなたに鍛えられましたから」

「……それで、なぜここにいる」

「助けに来たに決まっているじゃないですか。準備に時間がかかってしまって、すみません」


「俺は……家族殺しに、国家転覆を企てた大罪人だぞ」

「そんなこと――!」


 マインの声には、微塵の迷いもなかった。


「大佐を知っている人なら、誰だって分かります。冤罪です……いいえ、ネイマンの謀略だって!」


「……それでも、俺を信じるのか」

「無実を――証明しましょう、大佐」


 差し出された手。

 だが、グライスは静かに首を横に振った。


「もう……フィーとアレンはいない」

 生を諦めるには、あまりにも十分な時間が過ぎていた。

「俺には……もう生きる意味がない」


 力なく項垂れるその姿は、かつて戦場を駆けた英雄の面影を失っていた。

 マインは、思わず目頭を熱くする。


「……それでも“不死身の戦鬼”ですか」


 静かな、しかし強い言葉。


「確かに……奥方様も、ご子息も戻ってきません」

 一拍置き、マインは声を張り上げた。

「――ですが! お二人の魂はどうなるんですか!? あなた自身の魂は! このままでいいんですか!?」


 その言葉が、グライスの胸に火を灯す。


 ――愛する妻を。

 ――愛する息子を。


 反逆者の家族として終わらせていいはずがない。


「……あぁ。そうだな……すまない」

 グライスは、ゆっくりと顔を上げた。

「お前たちのためにも……ここで終わるわけにはいかないな」


「そうですよ! ネイマンのクソ野郎をぶっ飛ばしましょう!」

「……力を貸してくれ」

「もちろんです。そのために準備してきました」


 マインは懐から、小さな物を取り出す。


「まずは……こちらを」


 銀色に輝く鍵。

 それは、グライスの魔力を封じる枷の鍵だった。


「……随分と、危険な橋を渡らせてしまったな」

「私の得意分野ですので」


 鍵が差し込まれ、解錠される。

 枷は鈍い音を立てて床に落ちた。


 次の瞬間――

 抑え込まれていた膨大な魔力が、グライスの内から一気に溢れ出す。


「……最高の気分だ。これで脱獄は容易だな」

「ですが、このままでは、いずれネイマンの包囲網に捕まります」


 マインは、真っ直ぐにグライスを見据えた。


「そこで――大佐に、お願いがあります」


 グライスは息を呑み、次の言葉を待つ。






『……亡命していただきます』






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ