第2話
「……っち。しぶとい野郎だ」
拷問官は、目の前の光景に思わず目を見開いた。
これまでの経験上、どれほど鍛え上げられた屈強な軍人であろうと、帝国の容赦なき拷問に一日と耐え切れた者はいない。皆、泣き叫び、命乞いをし、尊厳を失っていった。
――だが。
目の前の元英雄、グライス・ランズデーは違った。
一ヶ月に及ぶ拷問の中で、泣き叫ぶことはおろか、うめき声すらほとんど上げていない。
本来なら失われているはずの光が、その瞳には今なお毅然と宿っていた。
拷問官は鞭を振るう手を止め、嘲るように口を開く。
「喜べよ、大罪人グライス。処刑の日取りが――明日に決まった」
「へぇ……。あんたの不細工な面を見なくて済むのか。そりゃ残念だ」
本来なら口を開く気力すら残っていないはずだ。
それでもグライスは、血に染まった口元に不敵な笑みを浮かべた。
「さすがは元英雄、か。こんな拷問しがいのない奴は初めてだ」
拷問官はどこか楽しげに言い放つ。
「まあ、褒美だ。今日はこれで終いにしてやる……おい」
背後で控えていた部下に声を投げる。
「俺は先に戻る。こいつを牢へ連れて行け」
「はっ!」
短く返事をすると、拷問官は踵を返し、拷問室を後にした。
重い扉が閉まり、ブーツの踵の音が遠ざかっていく――。
耳鳴りがするほどの静寂の中、血が床に滴り落ちる音だけが響いていた。
残された部下兵士は、ゆっくりと、夥しい傷を負った元英雄に近づく。
「どうした……? まだ続きを楽しみたいってか?」
異様な気配を察したグライスが声をかける。
次の瞬間、兵士から魔力の高まり――魔術起動の気配を感じ取った。
(拷問器具の次は……魔術か)
更なる苦痛を覚悟した、その瞬間――
グライスの全身を、柔らかく暖かな光が包み込んだ。
「……お前……?」
「静かにしてください、ランズデー大佐」
兵士は小声で制しながら、治癒魔術を行使していた。
光が傷を撫でるように巡り、焼けつく痛みが次第に薄れていく。
「私はかつて、あなたに命を救われました。これは……ほんの、ささやかな恩返しです」
「……バレたら、大ごとだぞ」
「承知しています。ですから……私にできるのは、ここまでです」
魔術が止み、光が消える。
兵士は一瞬だけ視線を落とし、言葉を続けた。
「あなたのしたことは、到底許されるものではありません。ですが……最後の夜くらいは、健やかにお過ごしください」
「あぁ……気遣い、感謝するよ」
言い終えると同時に、兵士は態度を一変させ、乱暴にグライスを引き起こした。
「大罪人グライス・ランズデー! 牢へ連行する! もたもたするな!」
首に繋がれた鎖に引かれながらも、先ほどまでとは違い、足取りは確かだった。
全快には程遠いが、動くたびに傷口が裂ける感覚がない――それだけで十分だった。
ほどなくして、グライスは馴染み深い冷たい牢へと放り込まれる。
施錠を終えた兵士は、一瞥もくれず立ち去った。
やがて足音が完全に消え、格子窓から淡い月明かりが差し込む。
痛みから解放された代償のように、忘れかけていた空腹と虚脱感が押し寄せた。
(……さて。どうしたもんかね)
両手に嵌められた魔封錠を見つめ、グライスは静かに息を吐く。
――帝国で過ごす、最後の夜が始まった。




