必死の形相で婚約破棄してくる殿下、心の声で「結婚してくれ」と泣いてるんですが正気ですか?
王立学園の卒業記念パーティー。 煌びやかなシャンデリアの下、着飾った貴族の令息令嬢たちが談笑する華やかな会場に、水を打ったような静寂が訪れた。
その中心にいるのは、この国の第二王子セオドア殿下と、その婚約者である私、リリアーナだ。
殿下は、まるで親の仇でも見るかのような、鬼気迫る形相で私を睨めつけていた。 普段から「氷の貴公子」とあだ名される彼は、ただでさえ無表情で怖いのに、今日の威圧感は凄まじい。周囲の生徒たちが、怯えて遠巻きにするほどだ。
青ざめた顔。わななく唇。握りしめすぎて白くなった拳。 どう見ても、これから私を断罪しようとしている男の姿だ。
彼は震える指を、ビシッと私に突きつけた。
「よく聞け、リリアーナ・ベルンシュタイン!」
低い声が、広間に響き渡る。 そして、彼は決別の言葉を口にした。
「貴様との婚約は、本日ただいまをもって破棄する!」
会場から「あぁ……」と嘆息が漏れる。 やはりか、という空気。 冷徹な王子が、愛想のない伯爵令嬢を切り捨てた。誰もがそう思ったことだろう。
――私にしか聞こえない、**『心の声』**を除いては。
(うわぁぁぁぁぁん! 言っちゃった! 言っちゃったよぉぉぉ! ごめんねリリアーナ! こんなこと言いたくないのにぃぃぃ!)
私は無表情を保ったまま、心の中で盛大にため息をついた。 ……うるさい。
「……理由を、お伺いしてもよろしいでしょうか」
私が淡々と尋ねると、殿下はさらに眉間の皺を深くした。 その瞳は、怒りに燃えているように見える。
「理由だと? そんなこともわからぬのか。これまでの己の行いを胸に手を当てて考えるがいい!」
(僕のせいだ! 全部僕がヘタレなせいなんだ! 君が僕に微笑んでくれないのは、僕が緊張していつも睨みつけちゃうからだよね! 知ってる! でも好きなんだよぉぉ! 好きすぎて顔が見れないんだよぉぉ!)
殿下の心の絶叫が、鼓膜ではなく脳に直接響いてくる。 そう、私には最近、なぜか自分に向けられた「強い感情」が声となって聞こえるという、妙な力が覚醒していた。
おかげで分かってしまったのだ。 この「氷の貴公子」が、実はただの「こじらせすぎた恋愛下手」であるということに。
「貴様は、私の婚約者としてあまりに冷淡だった! 私が話しかけても、常に短文でしか返答しなかったな!」
(緊張して赤くなってる君の顔、最高に可愛かった! 「はい」とか「いいえ」しか言わないその鈴のような声を聞くだけで、僕はその日一日ご飯が三倍美味しかったんだ! でも僕じゃ君の笑顔を引き出せない……ッ!)
「それに、私の公務に同行した際もそうだ。貴様は常に一歩下がり、目立たぬようにしていた。あれでは王族のパートナーとして不適格だ!」
(僕の三歩後ろを歩く君の淑やかさ! まさに大和撫子! 後ろ姿だけで白飯が食える! でも、もっと自信満々に隣を歩いてほしかった……いや、僕が頼りないからだね、ごめんねぇぇぇ!)
殿下の口から出る言葉は、私の心をえぐるような罵倒。 しかし脳内に流れてくるのは、私への限界突破した愛と、自己肯定感の低すぎる懺悔だった。
周囲の令嬢たちが、ひそひそと囁き合っているのが聞こえる。 「やっぱり、リリアーナ様は愛されていなかったのね」 「殿下、あんなに怒っていらっしゃるわ」 「お可哀想に……」
違うんです。 あれは怒っているんじゃないんです。 断腸の思いで好きな子を振って、自分自身にブチ切れているんです。
私は扇子で口元を隠した。 そうでもしないと、笑いが吹き出しそうだったからだ。 殿下は私のその仕草を見て、さらに勘違いを加速させたようだ。 肩をビクリと震わせ、悲痛な表情(に見える顔)で叫んだ。
「なんだ、その目は! 私への不満か!?」
(泣かないで! お願いだから泣かないでリリアーナ! 君が扇子で顔を隠すのは、泣き顔を見せないためだろう!? 僕なんかのために涙を流さないでくれ! 君の涙一滴は、僕の命より重いんだぁぁぁ!)
泣いてない。 むしろ、今にも吹き出しそうなのを堪えているだけだ。
私は呼吸を整え、改めて殿下を見据えた。 ここで彼に流されて婚約破棄を受け入れてしまえば、彼は一生、部屋の隅で体育座りをして後悔し続けるだろう。 それはあまりに寝覚めが悪い。 それに何より――こんなに面白い逸材を逃すのは惜しい。
「殿下。私の至らなさについては理解いたしました」
私が静かに認めると、殿下の顔が絶望に染まった。
「そ、そうか……。認めるか……」
(あああ終わった! 本当に終わっちゃった! 僕の初恋! 僕の人生! 明日からどうやって息をすればいいの? リリアーナのいない世界なんて、カスタードの入っていないシュークリームだ……いや、皮すらない……ただの虚無だ……)
例えがいちいち甘党なのはどうでもいいとして。
「では、新しい婚約者の方はどなたなのでしょうか?」
私が核心を突くと、殿下は待ってましたとばかりに、ある人物を手で指し示した。
「……隣国の、ハワード王子だ! 彼ならば、貴様のような無愛想な女でも、明るく導いてくれるだろう!」
会場の入り口から、陽気なハワード王子が手を振りながら入ってくる。 どうやら、事前に話をつけていたらしい。 私が幸せになれるようにと、わざわざ性格の明るい優良物件を用意して身を引く。 その行動力と根回しの良さを、なぜもっと別の方向、具体的には私への求愛に使えなかったのか。
殿下は、ハワード王子に私を託そうとしつつ、心の中では血の涙を流していた。
(ハワード頼むよ! 絶対にリリアーナを幸せにしてくれよ! もし彼女を泣かせたら、隣国だろうと何だろうと軍を率いて滅ぼしに行くからな! ……ううっ、でも本当は嫌だ! 渡したくない! リリアーナのウェディングドレス姿を見るのが僕じゃないなんて、そんな地獄あってたまるかぁぁぁ!)
心の声が、会場のBGMよりうるさい。
私は決意した。 このめんどくさい、けれど愛すべき婚約者を、私の手で「教育」し直そうと。
私は一歩、殿下に近づいた。
「殿下」 「ち、近寄るな! 私の決意は揺るがんぞ!」
(近い! 近いよリリアーナ! いい匂いがする! 今日は薔薇の香水? センス良すぎない? 待って、その瞳で見つめられると石化しそう! 好き! 大好き!)
私はもう一歩、踏み出す。 殿下は後ずさるが、後ろは来賓用のテーブルだ。もう逃げ場はない。
「揺るがない決意、結構です。ですが、最後に一つだけ確認させていただいてもよろしいでしょうか?」
「……な、なんだ。言ってみろ」
殿下は、処刑台に立つ囚人のような顔で私を見下ろした。 心の声は、相変わらず混乱の極みにある。
(何を言われるんだ? 「最低」? 「鬼」? 「死ね」? うん、全部受け入れるよ。君の言葉なら、どんな罵倒でも遺言にして墓場まで持っていくからね……!)
私は、可能な限り妖艶に微笑んでみせた。 そして、爆弾を投下する。
「もしも、私がハワード殿下よりも、セオドア殿下のほうをお慕いしていると言ったら……どうなさいますか?」
会場の時間が、凍りついた。 周囲の野次馬たちが、信じられないものを見る目で私を見る。 当然だ。冷徹な王子に婚約破棄を突きつけられ、罵倒された直後に愛を告げるなど、正気の沙汰ではない。
だが、誰よりも凍りついたのは、目の前の殿下だった。
「……は?」
殿下の思考が停止したのが、音で聞こえた気がした。 そして次の瞬間、脳内に特大の爆音が響き渡る。
(えええええええええええええええ!? えっ? いま何て言った? お慕いしてる? 僕を? この氷のように冷たい(と自分でも思う)僕を!? ハワードじゃなくて!? 嘘だろ!? 夢か!? これは走馬灯の一種なのか!?)
殿下は口をパクパクと開閉させ、金魚のような動きを見せた。 氷の貴公子、形無しである。
「き、貴様……何を、ふざけたことを……。私への当てつけか? それとも同情か?」
必死に威厳を取り繕おうとしているが、声が裏返っている。 顔は真っ赤で、耳まで茹でダコのようだ。
(同情でもいい! 嘘でもいいからその言葉、録音しておきたかった! いや待て、期待するなセオドア。これは罠だ。彼女が僕ごときを好きになるはずがない。きっとこれは、最後に僕を油断させてから地獄に突き落とす高度な復讐なんだ……!)
どこまでもネガティブな思考回路だ。 私は呆れを通り越して、愛おしさすら感じ始めていた。 ここまで私のことを想い、勝手に悩み、勝手に爆発している人間が他にいるだろうか。
私は殿下の胸元に手を添えた。 触れた場所から、心臓が早鐘を打っているのが伝わってくる。
「罠でも復讐でもございません。私は、不器用で、本当はお優しい貴方のことが、ずっと前から好きでした」
真っ直ぐに目を見て告げる。 これは嘘ではない。 最初の頃こそ「怖い人」だと思っていたが、心の声が聞こえるようになってからは、彼の一挙手一投足が可愛くて仕方なかったのだから。
殿下は、ヒッと喉を鳴らして後ずさった。
「な……な、な……」
(名前! 名前を呼んでくれたら信じる! いや信じないけど信じたい! リリアーナ! リリアーナぁぁぁ! 神様、もしこれが夢なら二度と目覚めさせないでください! 全財産あげるから!)
神様への買収工作が始まった。 私は彼を安心させるために、とどめの一撃を放つことにした。
「セオドア様」
耳元で、甘く囁く。
「心の声、全部聞こえておりますよ?」
「…………へ?」
殿下の動きがピタリと止まった。 瞬きすら忘れて、私の顔を凝視する。
「ですから……『リリアーナのウェディングドレス姿を見るのが僕じゃないなんて、そんな地獄あってたまるか』とおっしゃっていましたよね?」
「……………………」
殿下の顔から、急速に血の気が引いていく。 それと同時に、過去の自分の言動――心の中で叫び散らかしてきた数々の愛の言葉や、恥ずかしい妄想――が走馬灯のように駆け巡っているのが、手に取るように分かった。
(き、きこ……聞こえて……? 全部? あのポエムも? 『君の食べ残したパンになりたい』って思ったことも? 『君の靴底になりたい』って願ったことも? 全部!?)
待って。 それは初耳だ。いつの間にそんな変態的なことを願っていたのか。 一瞬引きかけたが、もう手遅れだ。
「はい。全部、筒抜けです」
私がニッコリと微笑むと、殿下はガクガクと膝を震わせた。 羞恥と、驚愕と、そして歓喜。 すべての感情がキャパシティを超えたのだろう。
「あ……あぅ……」
(じゃあ、嫌われてない? 僕の本音を知ってて、それでも好きって……言ってくれたの……? 結婚、できるの……? リリアーナと……?)
「はい。結婚しましょう、セオドア様」
私が手を握ると、殿下は限界を迎えたようだった。 ブワッと鼻血を吹き出しそうなほどの紅潮を見せたかと思うと、彼は白目を剥いた。
「幸せすぎて……死ぬ……」
ドサッ!
盛大な音を立てて、氷の貴公子が床に倒れ伏した。 会場に悲鳴が上がる。
「きゃあぁぁっ! 殿下が!」 「リリアーナ様が殿下を倒したぞ!」 「なんと恐ろしい……!」
周囲の人々は勘違いしている。 私が何か酷いことを言って、殿下を打ちのめしたのだと思っているようだ。 けれど、床に転がった殿下の顔は、だらしなく緩みきって、今まで見たこともないほど幸せそうだった。 気絶しているのに、心の声だけはまだ微かに聞こえてくる。
(やったぁ……結婚……結婚だぁ……子供の名前どうしよう……へへへ……)
私は倒れた婚約者の隣にしゃがみ込み、その頬を指でつついた。
「起きてくださいませ、殿下。式の準備で忙しくなりますわよ」
やれやれ。 どうやら私の婚約者は、私が思っていた以上に手のかかる人のようだ。 でも、退屈しない結婚生活になることだけは、間違いなさそうである。
私は呆れたふりをしながらも、自然と緩んでしまう口元を扇子で隠した。 心の声がうるさい彼を、これからは私が独り占めして差し上げよう。
――こうして、王立学園の歴史に残る「婚約破棄騒動」は、一人の王子の気絶によって幕を閉じたのである。




