第3話 『城内侵入』
血の匂いを漂わせる白フードを追いかけて。
ヒイロはある場所を訪れていた。
「我ながら犯罪者っぽいよな」
ぐるりと建物を囲む白く高い壁。
その周囲を警戒する人間たちの目を盗み、ヒイロは敷地内に侵入した。
塀を飛び越えたり、塀の下にトンネルを掘ったりせず。
壁をすり抜けるという離れ技――彼にとっての常套手段を使って。
――ワコク公国王城『ヤマト』。
――何百年ぶりだ?
敷地内に入った彼は聳え立つ、ニホーン建築の城を見上げる。
黒光りした屋根に、高々と積み重ねられた建物。
――昔の面影があるのは、ここだけになっちまったな。
王都の街並みがいくら変わろうと、城だけは何一つ変わらない。
増築や改築を繰り返そうと、独特な城の形が王都のシンボルだった。
「お前が憧れた場所だ、シスコン剣士」
***
今日は建国記念日。
街で行われる建国祭のため、城の中も慌ただしい空気に溢れていた。
文字通りバタバタという足音が、城のあちこちから響いている。
――あの白フード、なんで城なんかに来たんだ?
ヒイロが白フードの行先を把握できたのは、花屋での行動を聞いたからだ。
白フードは花屋の一人娘であり、ヒイロの顔見知りであるセラに聞いたらしい。
城までの行先を。それで少しだけ嫌な予感がしたヒイロは、追跡することにした。
――俺の勘はよく当たるからな。
――悪い方向に、っていうのが気に入らないが。
靴を脱いで城内を徘徊する。
世界でも珍しい土足厳禁の城。
それを律儀にヒイロも護っていた。
「それにしてもあの野郎、何だって城に?」
ヒイロだからあっさりと侵入できたが、普通の人間には何のメリットもない。
衛兵の目を掻い潜り、城の中に入れたところで利益などないからだ。
金銀財宝があるわけでもなく、仮にあったとしても護りは厳重なはず。
「俺なら絶対に盗みにとか入らないぞ」
隠れながら城の中を前進し、件の探し人を探す。
もっと簡単なやり方もあるのだが、それを使うにはまだあまりにも人が多すぎる。
ヒイロのやり方をする場合、少なくても今の半分ぐらいまで減らなければ。
それぐらいまで人が減らなければ、使ったところで判別がほぼ不可能だった。
「……地道に足で探すしかないか」
肩を落とし、ヒイロは城内を進んで行く。
すると前の方から話し声が聞こえた。
聞こえるのは二種類の声。
声音からしてどちらも男。
話しているのは、今日の城内の警備体制について。
――いくら城内とはいえ、それは気を許し過ぎだぜ。
ヒイロは足を止めることなく、前へ足を進めて行く。
もちろん、声は少しずつ近づいていた。
それでもヒイロは足を止めない。
それは声がはっきり聞こえるようになっても変わらず。
『――様からの命令だ。今日はあそこの警備を手薄にしろだとさ』
『いいのかね? いくら血の繋がりがないとはいえ、姫様の警備を手薄にして』
『でも別にいいんじゃね? 相手はあの欠陥姫だしな』
『違いねぇ!』
衛兵の白を基調とした服を着た二人の男。
彼らは会話をしながら、大笑いをしていた。
ヒイロはその隣を通り過ぎていく。
けれど男たちは二人とも、彼に気づかない。
まるでヒイロの姿など見えていない。
そういう感じだった。
「相変わらず、侵入にもピッタリの能力だな」
まだ男たちが近くにいるというのに、ヒイロは肉声を上げる。
それでも男たちは振り返ることも、違和感を抱くこともない。
何も気づかず、ただ前へと歩いて行く。
一方干渉。それが日常的に、ヒイロが使っている力の名前だ。
文字通り、ヒイロの一方的な干渉しか許さない力。
ヒイロが許した人間でなければ、触ることも彼を見ることもできない。
先ほど城壁をすり抜けたのも、その応用の一つ。
だから今、城内の人間にはヒイロが見えていないし、声も聞こえない。
確かに彼はその場に存在しているのに、だ。
「なるほどな」
ヒイロは足を止め、少しだけ考え込む。
今聞いた男たちの会話内容。それが気になったからだ。
わざわざ誰かの警備を手薄にして。そんな城中に曲者が侵入した可能性がある。
「調べてみる価値はあるか……」
数回自身の足元を右足の爪先で弾く。
すると、彼の足元から黒いものが現れる。
それは人型を形作り、ヒイロと瓜二つの姿へ変わる。
「今の話、聞いてたな」
ヒイロの問いに、黒ヒイロが首肯する。
「なら話は早い。いつもみたいに影を伝って、分身全員で情報を集めて来い」
ヒイロの足元に跪いた黒ヒイロ。
それに視線を落とすことなく、ヒイロは彼に指示を下す。
その直後、黒ヒイロはまた床――城内にできた影の中へ入って行った。
それを見送ってから。
「さてと。俺は俺で地道ルートを模索しますかね」
ヒイロは軽く伸びをして、再び歩き出す。
警備が意図的に手薄な場所を探して。
***
その部屋からは歌声が聞こえていた。
それも明確な歌声ではなく、鼻歌が。
――衛兵がサボって鼻歌……あり得なくない話だけど。
あれから五分ぐらい経った頃。
戻って来た分身に案内され、ヒイロが訪れたのは城の最上階……。
よりも上にある屋根裏部屋だった。
屋根裏へ行くための階段前に警備など居なく、上り切ろうとする今も居ない。
ただ見えているのは、やや埃っぽい薄暗い空間。
でも中から風が来ている辺り、別に密閉空間というわけではないらしい。
ヒイロは声の主を確かめるため、いつものように隠れることなく姿を現す。
ただし、今も一方干渉は発動したままで。
――いつもは衛兵が警護してる相手。
――なら、それなりの重役とかか?
――隠居ババアの可能性もある……。
ヒイロの思考が止まった。
階段を上り切り、鼻歌の主を見つけた直後の話だ。
その少女は白いドレスを着ていた。
まるで人形のように、椅子に座って外を眺めていた。
長い黒髪は腰まで伸び、薄暗い屋根裏の中で艶やかさを放っていた。
「――っ」
ヒイロは小さく息を漏らす。
その姿に思わず見惚れていた。
単純に少女が美しくも可愛かったからだ。
「――誰?」
それは突然のこと。突如として少女が振り返った。
整った顔立ちの中に、幼さを残していて。歳はまだ十代前半ぐらい。
彼女の黒い瞳がヒイロのいる方を捉える。
そして、
「あなたは誰ですか?」
澄んだ綺麗な声が屋根裏部屋に響く。
ヒイロは後ろを向き、他に誰かいるのかと確かめた。
だけど、そこには誰もいない。いるのは明らかにヒイロと少女の二人だけ。
でも一方干渉を使っている今のヒイロの姿が、少女に見えているはずがない。
それでも少女は目を逸らすことなく、もう一度――
「あなたは誰ですか?」
繰り返すように同じことを言った。
それから椅子から立ち上がり、整った姿勢で歩き出す。
それも一歩ずつ確実に、ヒイロの方へ向かって。
「もう一度聞きます。あなたは何者ですか?」
少女の黒い瞳に、ヒイロの姿が写り込む。
少女は確かに、本来なら見えないはずのヒイロを捉えていた。




