第2話 『匂い』
――お兄ちゃん、セブンをお願いね。
――僕の妹を頼む。それとキミの新しい名前なんだけど……。
――どうして私のお兄ちゃんを殺したの‼
ヒイロはふと、思い出していた。
自分と深く関わった人間たちのことを。
そして何度も思う。
「たぶん。俺との出会いが、皆の未来を大きく変えたんだろうな」
森の中。一人で薪を拾いながら、自分の発言を省みる。
――未来なんざ、簡単に変えられるんだよ。
その言葉の通り、ヒイロは多くの人間の未来を変えてきた。
セブンもまたその一人。なぜなら、彼女には選択の余地があったから。
魔法が使えるただの人間として、その寿命を全うするか。
魔女となって、老いることの無い不老を手に入れるか。
結果として、セブンは後者を選んだ。
それもまだ十歳にも満たない年齢で。
ただ行方不明となった、寿命のない兄――ヒイロと再び会うために。
「即決で決めるとか。本当、どんだけ俺のことが好きなんだよ」
そう言いながらも、ヒイロには確かな罪悪感があった。
母親が死んだ直後。合わせる顔がないからと、セブンの前から姿を消した。
それから再会したのはつい百年ちょっと前。ヒイロが彼女を預けた母親の故郷――「魔女の里」を訪れた時だった。それも里長となったセブンに、ある頼みごとをするために。
だからセブンが魔女になった過程も、先代里長から聞いた話でしかない。
でもヒイロなりに、兄として思うことは確かにある。
まだ十年も生きてない子供が、本当に会えるのかもわからない家族との再会。
それを夢見て、不老になる決意を固める。
それは一体、どれほど重い覚悟だったのか。
あの時、セブンから逃げたヒイロには知る由もないことだった。
***
薪拾いを終え、家のテラスで魔法書を読み耽っていたヒイロ。
彼の耳に厄介な妹の我儘が届く。
「――王都に行きたいですわ」
その言葉に一瞬、ヒイロのページを捲る手が止まった。
「あのね、お兄ちゃん。今、王都だとお祭りなんでしょ……」
テラスの出入口の大きな窓。
そこからこっそりと覗き込むように、セブンが話題を振る。
けれど、ヒイロの反応はあまり芳しくない。
ペラリと本をめくり。
「そういえば、今日は建国記念日だったな」
ただ呟いただけ。
彼はそのまま、また黙って本を読み進めようとした。
それを見て。隠れていたセブンは、
「セブンもお祭りに行きたいんだよ‼」
勢いよく飛び出し、白い椅子に座るヒイロの隣で子供っぽい態度を見せる。
両手をブンブンと振り、外見に見合ったおねだりの仕方。
ただし実年齢は四百歳ぐらい。
それを知るヒイロからすれば、
「……痛々しいからやめろ」
青い顔をして、本を閉じる程度には目を引かれてしまった。
「そもそもお前、誰から王都の話を聞いたんだ?」
「先代様からですわ」
大人っぽく笑ったセブンの言葉に、白いひげの男の顔が浮かぶ。
魔法使いというよりは、伝承にある赤い服の精霊ジジイに似た顔が。
「以前、『ワコク』の建国祭を楽しんだと、聞き及んでいるでござる」
「……あのクソジジイ。本当、ウチの妹にロクなことを教えやがらねぇな」
読んでいた本を白いテーブルに置き、隣に置かれていたグラスを取る。
そして中身のアイスコーヒーを傾けてから。
「お前、一人で行って来いよ。俺、興味ないし」
「一緒に行こうよ。久しぶりにデートなのだ‼」
グラスを持つヒイロの手を、セブンがグイグイと引っ張る。
それでもヒイロは一向に動こうとしない。
それどころか。
「ハイハイ。面倒だから『権限没収』」
直後、セブンが掴んでいたはずのヒイロの腕がすり抜けた。
まるで霧や湯気でも掴んだように。
「いきなりボクから権限を奪って、一体どういうつもりだい?」
「どういうも何も……鬱陶しかったから」
自由になった手に持ったグラスをテーブルに置く。
ヒイロはそのまま立ち上がり、本を手にする。
「落ち着いて読書もできやしない」
「私を無視するお兄ちゃんが悪いんだよ‼」
プクッと小さな両方頬を膨らませ、セブンは怒りを露わにする。
けれども、口に貯めた空気は一瞬で解放されてしまった。
ポフッとセブンの頭の上に、難しそうな魔法書が置かれたからだ。
それも少しだけ力強く。
「い、いきなり何をするかしら」
「俺の読書を邪魔したバツ……」
持ち直した本を肩に担ぎ、ヒイロはそのまま家の中へ戻って行く。
その場に残ったのは、不満を露わにしたセブンのみ。
両手に握った拳はプルプルと震え、足では地団駄を踏む。
バンバンと、何度も繰り返しテラスの床を踏みつける。
「お兄ちゃんのバカ。アニキの意地悪。兄様なんて大嫌い。ヒイロなんてただの無職神のクセに。ボクの誘いを断るとか。ホント、マジありえないんですけど。セブンのことを何だと思っているのかしら!」
怒りのままにヒイロへの悪口を次々に吐露していく。
でも一番の怒りの理由は――
「家族相手に『一方干渉』を使うとか、絶対に許せない‼」
先ほどまでヒイロが座っていた椅子が力強く、蹴り上げられる。
それは音を立て、勢いよく床に倒れ伏せた。
それでもセブンは椅子を起こそうとせず、ただ腕を組んで立ち尽くす。
「お兄ちゃんとはもう‼ 一生、口利かない‼」
***
「お兄ちゃん、愛してる」
「あれ? お兄ちゃんとは一生、口利かないんじゃなかったの?」
祭りの出店で買った、棒付きキャンディーを舐めるセブンは幸せそうな顔をしていた。
隣を歩くヒイロは、それをニヒルな笑みを浮かべて眺め続けている。
「ヒイロのそういうところ、ボクは嫌いだよ」
飴を手にしたまま顔を、隣を歩くヒイロから逸らしたセブン。
けれど飴を舐める度、彼女の口からは幸せそうな声が漏れていて。
「それにしてもなぜ、いきなり祭りへ来る気になったでござるか?」
「別に……。ただちょうど、街に来る用事もあったからな」
「人間嫌いの貴様が、人間の街で用事だと?」
キョトンとしたセブンの態度に、ヒイロは少しだけ気まずそうな顔をする。
するとその表情を読み取り、セブンは一人何かを思い出したように。
「……花屋なら今通り過ぎた」
セブンのその言葉に、ヒイロが一気に体を後ろに向ける。
すると彼が向いたところにあったのは、
「どこが花屋だよ‼ ただの町医者じゃねぇか‼」
「常に頭に異常を来してる兄上には必要じゃろう」
クスクスと笑い声を漏らし、セブンはヒイロの態度を嘲笑う。
その態度に唇を尖らせ、ヒイロが不満を露わにするも。
それはすぐに吹き飛んでしまった。
なぜなら、
「ところで邪神ハク」
セブンが懐かしい名で自分を呼んだから。
「何度も言わせるな。俺は神界緋色だ」
「友達に貰ったものを大切にするのはいいことなのよ」
核心を突いた妹の言葉に、ヒイロの足は思わず止まった。
足を止め、少し先を行くセブンの背中を見ていると。
「母ちゃんもきっと、アニキのそういうところを褒めてくれると思う」
ヒイロと同じく、足を止めたセブンが振り返り言う。
「でも親友にぐらい、本当の名を名乗ったらどうだい?」
セブンの言葉に、ヒイロの赤い瞳が揺れる。
それは動揺や不安、色々な感情を抱え込んで。
不意にセブンから顔を逸らしそうになった。
しかし。
「その方が喜んでくれると思いますわ」
それを妹は決して許さない。
「だって、お兄ちゃんと友達になってくれた人だもん!」
その言葉に、ヒイロから動揺が消えた。
気づいた時、彼の視界には満面の笑みを浮かべる幼い妹の姿があった。
「はぁ~。流石は迷わず、永遠に俺の妹であることを選んだ魔女だよ」
ヒイロは足を踏み出し、一歩ずつセブンへ近づいて行く。
そして彼女が自分の眼前に来ると、その小さな頭に手を乗せた。
「悪い、兄ちゃんちょっと急用思い出した。しばらく別行動でもいいか?」
「それがお兄ちゃんにとって大切なことなら、何時間でも」
幼女の姿ながら、ヒイロよりも大人な思考を持つセブン。
その態度に胸を打たれ。
「お前が妹じゃなかったら。俺、普通に惚れてたかもな」
「バッ、バカなことを言うのは辞めるかしら‼」
ヒイロの言葉に両手を上げ、真っ赤にした顔でセブンが反論する。
それをイタズラな笑みを浮かべて、ヒイロは楽しそうに見ていると。
「は、早く行くがよい。いくら相手が死人とは言え、待たせるのは気が引けるだろ」
「それもそうだな。一年ぶりで話したいことも山ほどあるしな」
ヒイロはセブンの金色の頭から手を離すと、踵を返してその場を去ろうとした。
その彼の後ろ姿を見て、セブンは少しだけ詰まらなさそうな顔をする。
今にも顔を俯きそうになっていたら。
「そうだ! 今晩は久しぶりに豪勢に行こうぜ‼」
振り返った元気な兄の顔がそこにあった。
口元に手をかざし、大きな声を更に大きくして。
「俺の奢りだ。ミルクのミルク割までなら許してやる」
「……バカ」
俯き掛けた顔を真っ直ぐに上げ。
「さっさと、会いに行ってきなさいよ!」
大声で兄の――ヒイロの背中を押す。
親友に会うと決めた日。
毎年その日が訪れると、弱気になるヒイロの背中を。
今日もセブンは、兄の背中を確かに見送った。
***
セブンと別れ、毎年訪れている花屋を訪れたヒイロ。
彼が店へ入ろうとすると、
カランコロン。
ウェルカムベルが大きな音で鳴った。
入れ違いで店から出てきたのは――
白フードの客。
それも顔を隠すぐらい深々とフードを被り、背はヒイロよりも明らかに高い。
でも何よりも、ヒイロが注目したのは別の部分。
その人物から微かに漂って来たからだ。
洗い流しても決して落ちることのない、ある匂い。
――血の匂いだと……。
その匂いに驚き、ヒイロは思わずすれ違った相手の手を見る。
そこには血痕は愚か、汚れ一つない。
そして店の中を覗いてみるも、去年と変わらず女の子が一人忙しそうにしているだけ。
つまり、今付いた血の匂いではなく、
――体に染みついた、血の匂いだとでも言うのかよ。




