第1話 『予知夢』
――最悪な気分だ。
暗い顔でテーブルにつきながら、彼の心はその言葉で埋め尽くされていた。
今の彼にはキッチンから漂う、美味しそうな朝食の匂いすらも届かない。
ただただ右手を額に当て、複雑そうな顔を浮かべるばかり。
まるで昨夜飲み過ぎたことを後悔する、二日酔いの大人のように。
今の彼の表情は、そう表現するしかない。
例え、後悔とは少し違った物だとしても。
「……誰かさんの所為で最悪な目覚めだ」
左手の人差し指でトントンと木製の丸テーブルを軽く突いて、少年は短く溜息を零す。
かなり特徴的な少年だ。髪は前髪だけが黒く、残りは全部白。高くも低くもない身長。歳の割にはあまり筋肉質とは言えず。今もトレードマークの黒いローブを羽織っている。
赤い瞳と髪色の白を合わせれば、誰もが最初に魔獣の『ラビット・ファング』を頭に浮かべそうだ。しかも彼の場合外見だけに留まらず、内面も少しだけ好戦的なその魔獣に似ている。
そういう人間擬きは、何年も森の中に隠れ住んでいた。
きっかけは人間が嫌いになったから。
そして今は昔以上に人間が嫌いだった。
「――待たせたな、アニキ」
目を瞑り、頭を悩ませていた少年。
彼の思考を遮るように、無遠慮な声が小さな家に響く。
その直後、キッチンから皿を手にした小さな影が現れる。
「久しぶりの愛妹の手料理ですわ」
その影は二つ結びにした金の髪を揺らし。
「存分に味わうがいい」
右目を可愛く閉じ、軽くウィンクする。
「今日も愛してるよ、お兄ちゃん」
可愛らしい幼女の声が響いた。
***
神界緋色は天界生まれ、神界出身の元主神である。
彼は既に数百年を生き、その全てを振り返るにはあまりにも長い時間が必要となる。
到底普通の人間が全てを聞き取れるはずもなく、今の彼の状況を説明するなら『百年以上も森の中で引きこもってる邪神』だ。
さらに深く説明するなら、『いつまでも昔のことを引きずり、人間大好き神様から人間大嫌い神様に鞍替えした根暗野郎』といったところ。
人間嫌いになった理由。それはただの積み重ねだ。
一つの裏切りや理不尽なら、彼は人間を好きなままでいられた。現に初めて人間に絶望を味あわされた時、「他の人間なら」と思うことがまだ彼にはできた。
でもそれ以降も小さな絶望が続き、気づけば人間嫌いの神様の完成。
「人間を一人でも多く助けたい」という心情は消え、日がな一日魔法研究を続ける。
それが邪神に落とされたかつての男神。
「……何度も言わせるな。勝手に人んちに来て、ベッドに潜り込むんじゃねぇ」
フォークで突き刺したトマトを虚ろな瞳で睨み、不平不満を漏らしていく。
丸テーブルに座るヒイロの向かい側には、同じように食事を摂る金髪ツインテ幼女。
着ているのは、この島国に伝わる『巫女装束』という服。初めての来訪時にそれを気に入り、以来ずっと彼女の普段着だ。ヒイロのトレードマークが黒ローブなら、彼女のトレードマークはこの巫女装束だろう。それ以外に彼女を構成する外見要素は――
――金色の髪と金色の瞳。
東の島国の服に袖を通した、有名な西の魔女。
その特徴は、今ヒイロの眼前にいる義妹の特徴と酷似していた。
「そんなこと言って、ハク兄様も――」
「昔の名前で呼ぶな。これも何度も忠告したぞ」
トマトを口へ運び、一口でそれを口に含んだ。
ヒイロは不機嫌そうな顔で口をモグモグと動かす。
それを彼の義妹も唇を尖らせ、不機嫌そうに見ていた。
「そのようなことを言われたところで、儂にとっては、ハクお兄ちゃん以外の何者でもないんだよ。私のお兄様はハク様だけなのですから」
定まらない口調と名詞。
それが彼女の平常運転。
『黄金の魔女』、セブン。
それが西で有名な魔女の通り名と名前であり、ヒイロと血を分けない元人間の魔女だ。
「……今日はまた一段と分かれてるな」
義妹の様子を見て、ヒイロは呆れた様子で呟く。
彼にとっては既に見慣れた光景。
どうして義妹の口調や名詞が変わってしまうのか、それを解明したのはヒイロだった。
だからもう不安は抱かないし、それを変だとも思わない。
ただ、今一つ聞きたいことがあるとすれば――
「ところでだ。今朝、俺が見た予知夢は何人のセブンの未来だ?」
今朝見た、地獄のような夢について尋ねた。
文字通り血みどろの悪夢。
そしてそれはいつか、起こる可能性の高い未来。
それもヒイロ自身に関連したものだった。
「およそ七割の我の未来じゃよ」
兄の問いに、セブンは可愛らしく口元に人差し指を当てて答える。
けれどそれを見たヒイロは、ドッと疲れたような顔をした。
その直後、まだ食べかけの朝食が乗った皿を前に押し出す。
「一気に食欲が失せた&寝起きの不機嫌さも吹き飛んだわ‼」
勢いよく立ち上がり、バンッとテーブルに両手をつく。
「何? 俺、これからあの未来に立ち向かわないとダメなの?」
口の中に一杯に蘇る血の味。
脳裏には果てしない喪失感。
しかも実際には起きてもいないことで、若干過去のトラウマまで呼び起こされ。
「お前がベッドに潜り込んで来た所為で、今日の寝覚め過去一最悪なんですけど⁉」
「男のクセに女々しいわよ、愚兄」
「言い方! 言い方に気をつけて‼ お兄ちゃんのハートにクリティカルヒットだよ!」
セブンの刺々しい一言に、ヒイロは思わず大声でツッコミを入れる。
しかし声を上げられた幼女は、静かに食後の紅茶を楽しむばかり。
「ちょっと。お兄ちゃんの話、聞いてる?」
「安心してください、兄様。ちゃんと聞いてる感じなのよ」
「そもそもだ。あれは今からどれぐらい先の未来なんだ?」
椅子に座り直し、頬杖を突いてセブンを見る。
今、ヒイロの頭の中に釘付けになっているのは誰かの声。
自分を助けると、そう言った誰かの声だった。
「詳しいことはボクにもわからない」
紅茶が入ったティーカップを傾け、空になったカップをカチャッとソサーの上に置く。
セブンはテーブルの真ん中に置かれた、ポットへと手を伸ばしながら。
「ただし高確率で起きる未来ですわ。回避はほぼ不可能なんだよ‼」
新たに紅茶が注がれたカップの中へ、ミルクも注ぎ込む。
紅茶とミルクが混ざり合う光景を、セブンは静かに眺めていた。
まるで、自分が話せることは全て終わったという感じで。
「お前の言い分はわかったよ。それに、お前の力も俺なりに理解してるつもりだ」
黄金の魔女、セブン。彼女には未来予知の力がある。いや、彼女が持つのは明確には違う能力だ。それでも未来予知についてだけ説明するならば、本来の力よりはまだ簡単に説明できてしまう。
セブンが見れる未来は常に一つの未来ではなく、多くの枝分かれした未来だ。すなわち『もしもの未来』。それらを全て一度に網羅する事が可能であり、その結果あらゆる未来の自分と口調が混同してしまい、言葉遣いや名詞がコロコロと変わってしまう。
起きている時は自由に未来も見れるが、寝ている時はほぼ無意識で未来を見ている。
そしてセブンが寝ている間、彼女と触れ合っている存在。その相手にも「夢」という形で未来を見せることができる。ただしセブン本人とは違い、全てのセブンの未来を統合した結果、夢を見ている人物にとって最も起きる可能性が高い未来を。
「だけどな。一つ、間違ってるぞ」
ヒイロは手掴みで、自分が残していた朝食。
皿の上に乗っていたベーコンを口へ運ぶ。
それからそれを口の中へ放り込み、何度か咀嚼して飲み込んだ後。
彼の視線はしっかりと、自身の血の繋がらない妹へ向けられていた。
「未来なんざ、簡単に変えられるんだよ」
ヒイロの赤い瞳に映り込んだセブンが、小さく口元を綻ばせる。
最初から兄がなんて言うのか。それをわかっていたように。
「当然。私も、アタシも、ボクも、オレも。我も、吾輩も、儂も、……」
次々とセブンの口から一人称が溢れてくる。
それはまるで、全未来線におけるセブンが名乗り出ているようだった。
そして全員が声を上げ終えると。
「お兄ちゃんは絶対、私が消させたりなんかさせない」
それが全セブンの総意であり。紛れもなく、この世界のセブンの口調だった。
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