40話 情報の錯綜
さて、いつまでもセンチな気分ではいられない。そういえばさっき、ロウはシアンを見ながら話していたが、何か思うところがあるのだろうか、今も労るような眼で見つめている――
「あのう、シアンがどうかしたんですか?」
「――シアンは見ての通り蜘蛛だ、獣とは違う姿かたちで人間に疎まれている。シアンはそれが悔しかったのか、見返そうと必死に変化を習得したんだ、なんだかそれが山神と重なってな……」
「そうだったんですか、外見ねえ……」
シアンは努力して美しい容姿を手に入れた、私は死と引き換えにこの姿を得た。
どちらがどうとかってことじゃない、要は中身よ、なんて最もらしいことをいうつもりもない。
何かを得ればそれなりのリスクが付いてくる、私はそれを実感した。多分シアンも私と同じリスクを感じていると思う。
私はモブだけど、気弱ではないから変装と誤魔化しでなんとか乗り越えてきた。でも内気なシアンは、我慢という自己犠牲を選んでしまった。
今更だけど、そんなシアンを私は連れ去ろうとしていた、人間の利益のために。
とはいえ、私は人間、どうしたって人間の考えで物事を判断していまう。そんな私でも動物を愛する心は持っている、流石に昆虫類は苦手だけど、蜘蛛はさほど怖くない。だって家の中の蜘蛛は害虫を食べてくれる有難い存在だからね。種類にもよるんだろうけど。
確か蜘蛛は昆虫類には属さないと聞いたことがある、草食でも雑食でもない肉食だ。
ということはだよ、フォルティスのいう聖樹を食べる蜘蛛とはシアンのことではないのでは?
ロウもシアンはブラックウィドウではないと言っていた。もしかして、アランに嘘の情報を吹き込まれたのでないか、場所もあの森ではなく違う森……やられた感半端ないんですけど!
落ち着け私、シアンに出会ったときのことを思い出せ――そういえば、私の傷を治した糸は白く包帯のようだった、玉虫色には程遠い色だ。
何か証拠があれば……おっと、それらしき証拠があった。部屋の隅に積み重ねられた布。
しかし染料か何かで染められている物がほとんどで、玉虫色かどうかは見分けがつかない。
ということで、さっそくロウに聞いてみた。
「あのう、ちょっとお聞きしたいんですが、あの布の他に玉虫色の布は無いんでしょうか?」
「玉虫色? イリス・スパイダーの糸のことを言っているのか?」
やっぱりか、嫌な予感って的中率が高いってほんとだ。それはさておき、どうも曖昧な情報が錯綜しているようで混乱する。
「イリス・スパイダーですか……あのう、ブラックウィドウって存在する蜘蛛なんですか?」
「ん? なんだお前、何も知らないのか、イリス・スパイダーを人間はブラックウィドウって呼ぶんだよ、つまりあだ名だ。お前のいた前世ではジョロウグモと呼ばれる蜘蛛と同じ意味だ、お前だって名前くらい知ってんだろ?」
知ってるもなにも、あの派手な模様でお馴染みの雄より雌のほうがデカい蜘蛛だ。名前の由来は遊女の煌びやかな容姿を思わせるところから、女郎蜘蛛と名付けられたとネットで観たことがある。
イリスは虹、なるほど、そういうことか。この際だ、いろいろ聞いてみよう。
「はい、ジョロウグモなら知ってます、ならシアンはシアン・スパイダーですか?」
「シアンは"セイクリッドシアンアイ・スパイダー"だよ。"聖なる青い目"という意味だ、シアンは治癒能力を持つ聖獣だからな。そうか、お前はシアンとイリスを間違えてあの森に入った、というより一緒にいた男に騙されたってところか」
流石は獣神、お見通しのようだ。ここで誤魔化しても私の過ちは消えない、素直に話すべきなんだろう、ロウは許してくれるだろうか……。
「フッ、そう暗い顔をするな、どうせ山神の指示なんだろ? お前は蜘蛛を捕まえに来たが結果として逃した、それが事実だ。俺が咎めることなど何もない。お前とシアン、そしてクリュソスの想いが繋がった、それだけのことだ。しかしお前もお人好しだな、クク!」
笑って済まされてしまった……きっとすべて承知の上で私を受け入れてくれたんだろう。
なら敢えて甘んじよう、私の言い訳や感傷なんて時間の無駄だ。
「寛大な処置に恐れ入ります。ではイリス・スパイダーの森はどこに?」
「イリスのいる森は国を挟んだ反対側だ。山神も何か考えがあってのことなんだろうが、あまり聖獣を私物化しないでもらいたいな」
「そうですね……」
と、私は受け流す言葉を返すしかなかった。ただの小っぽけな人間に可否の権利などないのだから。
「ほら、お前もさっさと寝ろ」
と言ってロウはゴロリと横になった。雑魚寝ですか、まあいいですけどね。
「じゃあ遠慮なく……あ、起きたら長老のところへ行くんですか?」
と尋ねると――
「ん? あれは嘘だよ。俺という獣神がいるのに俺より偉い奴がいてたまるか。この領域は俺のテリトリーだ、まあ族長の爺さんたちに任せてはいるがな。わかったらさっさと寝ろ」
偉い獣神が嘘吐いて俺のテリトリーとか言ってる時点で信用も威厳もすっ飛びましたが。
恩を仇で返しても良いような気がする……。
「ああ、はい、じゃあおやすみなさい」
私はアックスを枕に、呆れながらシアンに引っ付いて寝る。ふっと視線を感じて眼を開けると、ロウが不思議そうに私を見ている。何か?
「……何でしょう?」
「お前、眼鏡を掛けたまま寝るのか?」
「はい、眼鏡は顔の一部なんで」
「――馬鹿なのか?」
「――自分でもそう思います」
ほっといてくれ!
「ああ、女神の趣向だったか」
「はい――おやすみなさい」
「何で眼鏡なんだ?」
こいつ……さっさと寝ろと言っておきながら話し掛けるとか、修学旅行で興奮冷めやらない中坊かよ。
「なぜと言われても、変装なんで」
「変装? 眼鏡は顔の一部なのに?」
人の揚げ足を取るイケすかない野郎に変更。
「女神の趣向って言ってましたよね? 眼鏡で変装してるんですよ」
「眼鏡で何の変装?」
「眼鏡で男装ですが?」
「ん? 眼鏡で男装?」
「ん? あれ? ご存知でない?」
「男装ってお前、女なのか? いや、しかし良く化けたなあ、まったくわからなかった……」
ある意味とっても失礼だけど今更どうでもいい。
「神様って説明不足が当たり前のようで。それではおやすみなさい」
「あ、ああ……おやすみ……」
今度はヤケに素直だな、しかしこの茶番は何だったんだろう。
あ、そういえば飯はどうした?