37話 東方の獣神
洞窟から現れた黒い狼、アランの不誠実な言葉にも真実はあったようで、私が思うに、この狼は獣神ではないだろうか。
その獣神がマンモを聖獣と呼ぶのはなぜか。
「あのう、そのクリュソスは凶暴で残忍なマンモと聞いてますが、違うんですか?」
狼は美しい瑠璃色の瞳を細めて言う。
「お前にとって聖獣とは何だ?」
逆に聞き返されて私は戸惑う。
「えっと……聖なるもの、恵みを与えてくれるもの、ではないでしょうか」
「ほう、お前はその恵みを与えられていると?」
「はい、少なからず衣服に関していえば」
「それは自然にか? それとも強要されたものか? 恵みとは自然と与えられるものではないのか? 当然のように与えてくれていると?」
私は狼の問い掛けに言葉を失った。恵みとは恩恵にあやかること、あれが欲しいこれも欲しいと求めるものではない、そう言っているんだろう。
シルクウォームはどうなんだろう、生産用ダンジョンで一生を過ごし、糸を吐くことを仕事として強要されているのではないか。
ランデはまさに強要だ、無理矢理に連れてこられて人間のために働けと言っているも同然。
クリュソスも人間によって変貌したってことか。私はその身勝手に加担してしまった……。
「獣は生きるために狩りをする、自然の法則だ。弱肉強食も然り、だがその頂点に立つのは人間ではない、それを忘れるな。話しは終わりだ、オルクスたちも無闇に人間を襲うな」
そうか、人間は視覚の情報で全てを捉えてしまうところがある、この狼は人間の戯言と戒めている。そういう私も他人事じゃない、害獣だからと決めつけて倒してきた。
獣からしたら私は怪力の殺し屋なのかもしれない。知らなかったでは済まない、無知とは恐ろしいものだ。
ということで――
「おっしゃる通りかと。それで次いでといっては何ですが、あなたはもしかして獣神様ですか?」
狼は太い尻尾を左右に振って言う。
「西方の白狐、東方の黒狼と言えば、山神と獣神のことだって誰もが知ってると思うがな」
ここに知らない能天気な奴がいるんですけども、尻尾が小狐みたいで可愛いんですけども!
そういえば狐も狼も同じイヌ科じゃんね。それはそうと、オルクスって?
「あのう、もうひとつだけ、オルクスとは?」
「面倒くさい奴め、オルクスは"目"という意味だ、蜘蛛は森の番人なんでな。シアンをブラックウィドウと呼んでるようだが、こいつは雄だ」
「ん?」
「ハァ、ウィドウとは"未亡人"って意味だ、間違えんなよ。ほらシアン戻るぞ」
そう言って黒狼はゆっくりと洞窟の奥へと歩いて行った。ブラックウィドウにそんな意味があるなんて知らなかった。シアンって確か青色だったか、青い目だからシアン、簡単明瞭で良いかも。
そのシアンは隠れていた私の後ろからいそいそと付いて行く。蜘蛛の糸を私の手に巻きつけて、付いて来いと言わんばかりに――
良いのだろうか、多分良い、良いことにしよう。どうせ行く当てもないんだ、それに、聖獣や獣についてもっと知りたい。
――――――
洞窟の奥の壁には、小型の蜘蛛が青い目を光らせて私を見張っている。
シアンの糸に繋がれているからなのか、クリュソスのアックスを持っているからなのか、赤い目をした蜘蛛はいない。一応アックスは御守り決定で。
私はクリュソスについても聞いてみたいことがあった。でも何となくクリュソス、いや、マンモの尊厳を傷つけてしまうようで躊躇った。
いつかこっそり聞いてみようと思う、だって一発で倒したなんて言えないじゃん。
しかしこの洞窟はどこまで続くんだろう、随分と歩いた気がする。
私は二足歩行、黒狼は四足、シアンは……反則級、ちょっとハンデあり過ぎじゃない?
そんな私を他所目に、黒狼がシアンに言う。
「シアン、そいつ連れて行くのは構わないが、風当たりは相当キツいぞ? 大丈夫なんだろうな?」
黒狼の問い掛けに、シアンは目を赤くして私の頭にしがみ付き威嚇する。
「ああ、わかったからそう怒るな。執着心のないお前がそこまで気に入ったんなら、しっかり面倒見てやれよ。まったく、とんだ拾い物だ」
私は突然の朗報に、ズリ落ちそうな眼鏡を支えながら尋ねた。
「えっ、良いんですか?!」
「お前、名前は?」
と訊かれたので、
「私は紅と申します!」
と、声を大にして告げると――
「ああ、眼鏡を掛けた転生者とはお前のことか、紅とはどんな奴かと思っていたが、あの女神にしては真面な趣向でなにより。まあ、頑張んな」
という、驚きと素っ気ない応えが返ってきた。
なるほど、神様通信でもあるのか、それならそうと先に言えよ。
しかし男装が真面な趣向とは思えないけど、まあどうでもいいか。転生者モブ、頑張ります!
そうこうしていると、少し先に光が見えてきた。やっと出られると思ったら、急に濃い霧に包まれて先がまったく見えない。
恐る恐る歩みを進めると、何かに躓いてズッコケた。そんな私の腕を支える逞しい手が……手?
思わず二度見したそれは正しく人間の手であり、モフモフの脚でも鋭く細い脚でもない謎の手。
そこへ――
「ロウったらズルい……」
「お前がちゃんと見てないからだろ!」
何やら誰かと誰かが会話する声が頭の上で飛び交う。すると霧がスッと晴れて、辺りの景色が鮮明になった。
当然、謎を突き止めるために顔を上げる。そこにはなんと、長い黒髪に褐色の肌のイケメンと、淡い水色の髪の美少年が立っていた。
こういうシチュエーションに慣れてしまった私は冷静に対処しようと思う。
「ええっと、お話中のところ失礼します。誰?」
ふたりが私を見詰める。いや、見詰められても困るんで、どこの誰だか説明して頂きたい。
「ほら立てるか? 俺は黒狼だよ、で、こいつはシアンだ、ここからはこの姿で行く」
「…………えっ、ええぇっ?!」
「紅、大丈夫? 驚かせてごめんね」
驚いたのは言うまでもないが、獣神はともかく、蜘蛛がここまで完璧な人間に化られるものなのか、もう色々あり過ぎて突っ込むのも面倒だ。
それより、黒狼のここからとはどういう意味だろう、獣神の領域なら獣の住処だと思うんだけど、サファリパークみたいな、違う?
獣神が人間に化ける理由とは――