35話 頼れるもの
知りたいと思っていたことが明らかになったのはいいけど、今度は私の前で謎の会話が飛び交う。
自分に関係のあることなのか、そうでないのか、考えることすら億劫になってきた。
私の基本コンセプトは何だったか、男装して世間を誤魔化すこと。せっかく女神のような容姿と特別な力を授かったんだ、パンツがどうの恋愛がどうのと考えるからいろいろ面倒なことになったんだ。
原点に戻らなければ……。
そうだ、面倒ついでに私にライを押し付けようとした訳を聞いてみよう。
「ねえハク、私にライはどうとかって話してたじゃない? あれはどういう意味だったの?」
「えっ、突然だなあ、あの時はそのう、紅の良きナイトになればと思っていたんだよ。でも紅にその気はなかったんだよね?」
「そりゃそうよ、怪力の私に騎士を付ける意味ある? それにライにはレオがいるし、でしょ?」
そう言い返すと、またもやフォルティスが呆れたように溜め息を吐く――
「意味が……ハァ、山神様の心中お察し致します。では、ナイト役は山神様ということで、くれぐれも虫の付かないようご注意くださいませ」
「う、うん、そうする……」
なぜハクは真っ赤な顔をしているのか、虫ってことは害獣よね? そんな心配いらないのに、だって私がハクを守るんだからさ、フン!
「害獣より私のほうが強いから大丈夫よ。な〜にハクの騎士役なら私に任せて! エイエイオー!」
「「……ハァァ」」
「??」
両脇から溜め息の嵐に戸惑っていると、フォルティスがスッと立ち上がりハクの前で跪き、手の平サイズの箱を胸元から取り出した。
「これが例の聖樹の種子にございます。後はライノスに任せて大丈夫かと」
「そうか、ありがとう。なあフォルティス、お前もそろそろ僕の従者ではなく、ひとりの聖騎士として働いてみないか?」
フォルティスか困惑した表情で訊ねる――
「それはどういう? 私はお役目御免になると?」
「そうじゃないよ、僕と各国を護ってほしいんだ。フォルティスのその聖眼を使ってね」
邪眼は聞いたことあるけど、聖眼という言葉に私は思わず訊ねた。
「聖眼って?」
「彼は善悪を見極める眼を授かっているんだよ、人間に限らず、良品か不良品かってこともね」
フォルティスが不安げに訊く。
「それで私にどの様な仕事をしろと?」
「うん、フォルティスには砦の領主を任せたいと思う。アラウザルの西側は未だ手付かずのままだ、樹海や森林があるとはいえ、逆に不法侵入者の隠れ蓑にもなりかねない。それと最近、海域が荒れているように感じてな、今のうちに万全の対策を取っておきたいんだ。フォルティス、力を貸してくれ」
フォルティスは少し呆れ気味に応える――
「何を今さら――この力は山神様のためにあると自ら豪語しております。ひとりの聖騎士として、何なりとお申し付けください」
ハクは照れくさそうに目に喜悦の色を浮かべる。
「ありがとうフォルティス、頼むよ」
私はふたりの壮大な会話に、自分が考えていた小っぽけな感傷が恥ずかしくなった。
でも、私もそれなりに尽力してきたと思う、私も誰かに頼りたいと思うのは間違っているだろうか。
「紅もフォルティスに協力してね」
まあ、私の場合こんな感じなんだろう、別にいいんだけどね――ちょっとしんどい、かな……。
この後もふたりの話は続いた。あの聖樹の種子はアラウザルのために使う物らしいが、砦を隠す役割りにも役立つという。
聖樹とは"カメレル"という木で、多彩な樹皮に覆われていて、迷彩の役目を果たし生育も早く、伐採した木は紙や糸にも利用できる優れ物とか。なんとも一石二鳥の代物である。
ただし、糸にするにはやはり聖獣が必要で、その聖獣は聖樹の木を餌とし、出す糸は丈夫で扱いやすく大量に採取できるらしい。
聖獣の名は"ブラックウィドウ"という蜘蛛で、シルクウォームの品質には劣るが、玉虫色に輝く糸はシルクに負けじ劣らずだという。
これでアラウザルも安泰だな。ということで、先ずはその聖獣を確保しに出掛けることになった。
「なにも夜に出掛けなくてもよくない?」
と、私が愚痴を溢すと、
「夜にしか活動しないんだよ、ごめんね紅」
と言われたら、出るしかないだろうに。
「フォルティス、急で済まないが、聖獣を捕まえたら僕たちはすぐ出発する。お前は婚約者に説明してからゆっくり来い」
ちょっと待って、フォルティスには婚約者がいる、だからゆっくりってどういうこと?
散々ああだこうだと訳の分からない説明されて、私の頭も疲れてるんだよ。
国を守るためだから仕方ないとは思う。でもさ、この温度差は違くないか?
しかしここは我慢のしどころ、原点に戻るって決めたんだ、こういう時こそモブに徹するのがいちばんだよね。
「じゃあお先に」
そう言って部屋に戻り、アックスを担いで船を降りた。すると、遠くで馬車に寄り添い立っている執事のアランが見えた。
ここにもっと苦労人がいる、私がイラついている場合じゃない。
「ご苦労様です。執事の仕事も大変ですね」
「これは紅様、おひとりですか?」
「フォルティスさんは婚約者に逢いに行かれるそうですよ、そちらに行かれる準備をした方がいいと思います。では失礼します」
「紅様はどちらへ?」
「私はまだ仕事があるので。あ、そうだ、あのう、ブラックウィドウって蜘蛛を知ってます?」
「確か国境沿いの山にひっそりと生息していて、とても穏やかな蜘蛛だと聞いています」
その後もアランは丁寧に説明してくれた。人里に現れたことはなく、黒い体毛と三つの目を持ち、威嚇するときは赤い目、穏やかなときは青い目をしているんだそう。
私はアランに礼を言って、その場を早々に立ち去った。目指すは国境の山、穏やかでも蜘蛛は蜘蛛、用心に越したことはない。
山に入ると雑草と枯れ木で歩き辛い、目の前のツルの絡まった草木を手で千切ながら進む。
次第に根が彼方此方に地面から張り出して、思わず躓いて足を捻った。
足が痛い、起き上がるのもしんどい、アックスの重さが余計に負荷をかける。
まるで動くなと云っているようで、なぜか涙が溢れた。誰よりも私に忠実なアックス、私にも頼れる物がいた、ちょっと嬉しい。
「ねえマンモ、お前と出会ったときもこんな感じだったよね……もっと違う出会い方をしていたら仲良くなれたかな……」
土の匂いが心地良い、ああ、もう疲れた……。
そんな独り言を呟いていると、ふっと足に冷たい感触がして足元に目をやると、白い糸のようなものが絡まっていた。
側で青く光る三つの目が私を見詰めている、これがブラックウィドウか、大型犬くらいの大きさはあるが怖くはない。夜露に濡れた体がキラキラと輝いて綺麗だ。次第に痛みが和らいできた、もしかして私を助けてくれた?
違う、きっとマンモが助けを呼んでくれたんだ。ならもう少し頑張ってみようか、マンモの分ももう少しだけ――
遠くで私を呼ぶ声がする、私はマンモの分も自由に生きろと言って、ブラックウィドウを逃した。
そしてアックスを胸に抱いて眠った――