27話 命のやりとり
牢の中でひとり、暗く狭い部屋でぼんやりと天井を見詰める。レフカ達が何かを話していたが、私の耳には何も入ってこなかった。そしていつの間にか、牢の前には誰もいなくなっていた。
静寂が辺りを包む……。
そう言えば、初めて死んだ時、車の騒音と明るい陽射しに照らされた路上だったと思う。
それに比べて2度目の死に場所は、余りにも惨めで悲惨な空間だ。今回は痛みがあるのだろうか、出来ればあっという間にこの世を去りたい。
どのくらい空虚の時が過ぎたのだろう。この異様とも言える事態の終始に、早いとこピリオドを打ってしまいたい。
そんな心中を知ってか知らずか、隊長のリガスが牢の前に姿を現した。
「紅さん、大変申し訳なかった、君を解放する」
突然の解放と言う言葉に、私は耳を疑った。
「解放? 今度は何の茶番だ?」
「……とにかく儀式が始まった、ここは危険だからと、君を逃すように言われたんだ。さあ早く出ろ」
私は言われるがまま、アックスと荷物を持って牢を出た。そして私はリガスに尋ねた。
「おい、儀式が始まったってどういうことだ、私が必要なんだろ? 逃すように言ったのは誰だ」
「そ、それは……」
リガスが言葉を濁す。そこへ――
『紅、バイバイ……』
と、ハクの声が聞こえた。
応えようとした次の瞬間――
白い閃光と爆風が私達を襲った。降り注ぐ瓦礫を手で払い、アックスを盾にリガスを守った。
私も身を屈め、爆風が収まるのを待つ。砂煙りが辺りを覆う。
暫くして視界が開け、辺りの変貌に息を呑む。天井は吹き飛ばされ、薄暗い空が見える。
いったい何が起こった、あの爆風は何だ、それにハクのあの言葉は――胸騒ぎが私を襲う。
「おい、リガス、大丈夫か!」
「クッ……あ、ああ、大丈夫だ。助かったよ……」
「おい、これはどうなっている、あの爆風は何だ! 誰がやったんだ! 正直に言え!」
「わ、わかったよ、あ、あれは山神様だ……自分の魔力で破壊するとおっしゃって……」
「クソッ! 何がバイバイだ! 死んだら殺してやる! 神のクセして自分を粗末にしやがって!」
と、支離滅裂な言葉を吐きながら、リガスを立たせ、儀式のあった場所まで案内させた。
その間、リガスはハクについて、山神様は滅多に人前に現れることは無く、人を助けたり魔力を使うことも無いと言う。そして魔法の神であるとも。
それが本当だとして、私に魔力を与えたり、助けてくれるのは何故なんだ。
儀式の場所に着いたのか、リガスがはたと足を止める。その悲惨な光景にリガスは蒼白な面持ちで言葉を発した。
「ああ、なんてことだ……」
そこは瓦礫の山と化し、大広間と思しき部屋は屋根も壁も全てが破壊され、ただの大きい円卓の上にいる様だ。端々にはレフカやグルーニ、トアと王族らしき人達が倒れている。
その中央のぽっかりと開いた空間に、煤けた跡と、白い物体が転がっていた。
私は愕然とする。あれはおそらくハクだ、恐怖が全身を覆う、震える足を一歩、また一歩と動かしながら、声にならない声でハクに近付く……。
「ねえ、ハク……何やってんのよ……いつもいつも丸まってさ……洞穴の中でも、小屋の前でも、そして今も……ちょっと……起きなさいよ……」
ピクリとも動かないハクに、込み上げる怒りと、悔しさと、涙を必死に堪えて、ハクの傍らに座り込んだ。
「ああ、ハク……こんなに傷だらけになって……」
そっと抱き上げた体が余りにも軽くて、知らず知らずに涙が頬を伝う……。
「この大バカ野郎……さあ、一緒に森へ帰ろう」
私はハクに何もしてやれなかった。与えてもらうばかりで、このまだ温かいぬくもりと、可愛い笑い声と、フサフサの毛に癒されっぱなしで……。
私なんか命を掛けてまで助ける価値なんてこれっぽっちもないのに……神様だから?
そんなの馬鹿げてる。女神よ、もしもう一度ハクの声が聞けるなら、私はこの世から消えてもいい。
だからさ、ハクを連れていかないでよ……。
そう願いながらハクをギュッと抱きしめると、
「……キュウ……」
ハクが微かに鳴いた――
「ハク?! ああ、ハク、ハク……良かった、生きてる……ずっと一緒にいるからね……ああ、ハク!」
後ろからリガスが声を掛ける。耳を傾けると――
「紅さん、こっちの皆んなは大丈夫だ。防御魔法が効いているらしい。あの、俺が言うことじゃないんだが……どうか、どうか山神様を頼む……」
「ああ、言われなくてもそうするさ……」
私はハクをローブに包み、しっかりと胸に抱いて全速力で森へ向かって走り出した。
今は誰のことも心配する余裕なんてない、いや、したくないんだ。人間のためにハクは力を使い、それを当たり前のように縋り媚びる愚か者たち。
神だって生き物なんだ、ふざけんなよ!
森に着いて、荷物から私のシャツを取り出して、枯葉を集めてその上にシャツを敷いて、そっとハクを寝かせた。息はしているが弱々しい。
私にできる事といったら、見守ることしか他に何もない。なら、やったことのない祈りをしてみる。
ただの気休めだけど、じっとしているよりはまだマシだ。
私は恥も外聞もかなぐり捨てて――
「森の精霊たちよ、どうかハクに力をお与え下さい、今こそ恩返しをする時ではないでしょうか!」
すると――
サワサワ……ヤマガミ……サワサワ……ヌシ……
ゴゴゴ……ヤマガミ……サラサラ……ヌシ……
木々と草花、土と水脈から、優しい声と共に、キラキラと光る緑の粒子を飛ばし始めた。
それは何千、何億とハクの体に溶け込むと、次第にハクの傷は癒え、毛並みも艶を取り戻し、スヤスヤと寝息を立てるまでに回復した。
私はその光景に息を呑み、見惚れていた。
「凄い、なんて綺麗なの……ありがとうございます精霊の皆さん! や、やってみるもんね、ハハ」
しかしそれでもまだ、ハクは眠り続けたまま目を覚ます気配がない。
どうして目覚めないのだろう、何かが足りない?
「ああ、もう! どうすればいいの! 落ち着け私よ、考えるのだ! 脳ミソをフル回転させろ!」
献身的な介護とか、愛情たっぷりの添い寝とか、森に関する話をするとか……なんか違う。
そういう医療的な事とか一般的な問題じゃない。そう、もっとこう神秘的な、異世界特有の……。
ハクは白狐で山神様なんだから……あっ、そうか、魔法だ!
そうだよ、魔法を使い果たしたから弱々で力が入らないんだ。じゃあ、その魔力を取り戻すにはどうしたらいいのか、グルーニが言っていた魔石が必要なんだろうか。
いや待てよ、確かハクは魔法の神様って、ならハクは魔法の元祖なんだから与える側だ。
与える……そうだ、私は与えられたじゃん魔法!
お返し致しましょう、私に宿る魔法を!
さてここで問題。どうやって返すのさ、その方法を当然ながら私は知らない。小屋での出来事……。
思い出せ私、あの時ハクはどうやって魔法を与えてくれただろうか、ここは先ず実践だな。
ハクをそっと抱き上げて――
「えっと、確か顔に張り付いたんだから、こう顔をくっ付けて、チュウしたようなあ……チュウね」
ハクの口に唇を重ねて念じる――
すると、温かいものが込み上げて、風と一筋の閃光が私の口からハクの口の中へ移るのが目に見えてわかった。
成功か、と思った瞬間、私は意識を失った……。