23話 ブタ野郎とお婆さん
ハクを連れて森から王都へ行く途中、私はふと足を止めた。本当にこのままハクを街へ連れて行って大丈夫なのかと不安が過ぎった。
異世界のペット事情は知らないけど、喋る狐なんてそうはいない、やはり会話はマズいよね。
「いいハク、街へ行ったら会話はNGだよ」
「ヤダなの、《リンクス》使うの」
「リンクス?」
「思念通話なの、紅と僕は繋がってるのだ!」
多分あれだ、声に出さなくても頭の中で会話ができる、エスパー的な魔法術。
この際、魔法はハクに任せたほうが賢明かも知れない。ではテスト――
「じゃあ魔法掛けてみて」
「わかったの。《リンクス》」
『ハク? 聞こえる?』
『わあー! 紅、紅、紅! 聞こえるのだー!』
「ギェ! うるさいわ! 調節せい!」
「怒られたのー! キャハハハ!」
もうドン引き。一応テストはクリアということで、とにかく今はハクと私の腹を満たしに街の露店で何か食べるとしよう。
街の中央広場へやって来た。屋台で朝食の代わりに串焼肉を2本買って、ハクを膝に乗せてベンチに腰を下ろした。
ハクは軽快に尾っぽを振り上機嫌で肉を食べる。私も肉を頬張りながら街並みを眺めた。
どうやらこの広場を中心に、放射線状に街が広がっているようだ。だとすると、この国の領土は円形なのだろう。
確か、アラウザル国は細長い領土だったと思う。人それぞれ、領土もそれぞれとよく言ったもんだ。
いや、言ってないな、失言。
そんなまったりとした朝の風景に、どこからか怒号のような声が街道の奥から聞こえてきた。
あれは馬車を走らす御者の声だ。
「オラオラーッ! 邪魔だーどけー!」
随分と乱暴な運転をする男だ。
そこへ道ゆく人々が密かに話を交わす。
「また来たわよ。全くいい迷惑だこと」
「ほんと。こう頻繁に来られたんじゃ、治安の悪い国だと思われちゃうわ」
どこにでもいる害虫のような輩。さも自分は偉いと思っている勘違い野郎、顔も歪んで悍ましい。
お決まりのエキストラなので放っておこう。
「さあ、着きました、領主様」
広場の中央で馬車を止めると、御者はそう言って馬車のドアを開ける。中から腹の出た貴族と思しき男が、御者と似たような悪党面で降りてきた。
「やあ、これは平民諸君、おはよう」
ブタ野郎が愛想もなく挨拶をしている様に、屋台のお面だってもう少し可愛気があると思いながら顔を見る。ある意味レアだ。
すると男が私の前へ立ち、口を開く。
「おい、お前。呑気にそんな物を食っとらんで、さっさと働け。まったく、平民不勢が」
私は観光客気取りで構わず串焼肉を頬張る。すると、御者の男が私の串焼肉を手で払った。
朝食は無惨にも蟻の餌となってしまった。私はすっくと立ち上がり、無言で串焼肉を拾う、そして男を見下ろし言った。
「ゴミ箱はどこにある?」
男はニヤリと笑う。
「はあ? 自分で探せ、目は着いてるだろ?」
私は左右を見てゴミ箱を探した。するとベンチの一番端に設置してあるのを見つける。私はハクをベンチに座らせてゴミ箱へ捨てに行った。
そこへ、足の不自由そうなお婆さんがベンチへ座ろうとした時、御者の男が老婆の足をワザと引っ掛けて、蹌踉めくお婆さんを突き飛ばした。
「おい婆さん! そこはこれから領主様が座るんだよ! 年寄りは家にすっこんでろ! 邪魔だ!」
お婆さんは辛うじてベンチに縋ると、男は容赦なく罵声を浴びせる。
その光景に住民達は、ただ苦悶の表情で黙って眺めている。何が彼らを躊躇させているのか。
権力か、暴力か、それともこれが当たり前だからなのか。私も人の事を言えた立場ではないけど、流石に放っては置けない。
我慢してたんだけどなあ……。
「お婆さん、大丈夫? 落ち着くまで座ってなよ」
お婆さんを座らせて、私はまたハクを膝の上に乗せてベンチに座った。そこへ領主が口を出す。
「お前、まだいたのか! とっとと失せろ!」
「ここはさあ、公共の場じゃないのか? 誰が座ろうがいいだろう、お前こそ仕事しろよ」
私がそう言うと、領主は顔を真っ赤にして食って掛かる。
「き、貴様! 私を愚弄する気か! 誰に向かって口を利いておる! 私は貴族だぞ!」
「だからなんだよ、みっともない。貴族なんだろ」
横にいた御者が堪らず掴み掛かってきた。
「領主様になんてことを! この野郎!」
すると、ジッとしていたハクから異様なオーラを感じて顔を覗くと、一瞬ハクの目がきらりと光り、ハクの声が頭の中を過ぎった。
『《グラビティ》平伏せ』
次の瞬間、御者は地面に減り込み昏倒した。
住民達の響めきが聞こえてくる。
「おい、あいつ気絶しちまったぜ。ヤバいぞ」
「何が起こったの? 魔法?」
「呪文も魔法陣も出なかったぞ。あの男、この辺の奴じゃないよな? 何者だ?」
どうやら私の仕業と勘違いされているよう、しかもちょっとレアな無詠唱と思われてるっぽい。
しかしなんという魔法の力、一瞬で男をねじ伏せてしまった。流石は神の成せる技、というか神なんだから当たり前か。
側にいた領主は驚いて後退る――
「お、お前……よくも……覚えておれー!」
領主は重そうな腹を抱えて、馬車と御者を置き去りに逃げて行った。
メタボは有酸素運動が有効なんで慌てずにね。
それにしても、神が自ら人間に手を下すとは驚きだ。よほど目に余るものが有ったんだろう。
老婆を足蹴にしたんだ、当然腹も立つ。憎たらしい小狐だと思っていたけど、格好良いじゃん。
私が頭を撫でると、ハクはまた上機嫌で尾っぽを振る。ああ、モフモフって最高!
ふと振り返りベンチを見ると、お婆さんが横たわってしまっていた。仕方がないと、お婆さんを抱えて家まで送って行くことにした。
私は歩きながら、図々しくもお婆さんの上に乗るハクに尋ねた。
『ねえハク、さっきは格好良かったよ。やっぱりあの男の傲慢さには腹も立つよねえ』
『食べ物を粗末にしたの。たがらお仕置き』
『えっ? 食べ物のため?』
なんだそっちかよ、ちょっと失望。
『動物のお肉、無駄はダメなの、仲間が可哀想』
そういうことか、やっぱ格好良いじゃんよ。そうだよね、私達はその仲間のお陰で生きてるんだ。
『ハクは油揚げ好きよね、売ってるかな〜?』
『紅はお馬鹿さんなの、それは迷信なの』
ああ、山神様を殴る私をどうかお許し下さい。
そこはグッと我慢して――お婆さんの家は領主とは反対方向の、街道を真っ直ぐ歩いて商店街を抜けた辺りだった。
お婆さんはもうひとりで歩けると言って自分の家まで辿り着くと、私の手を引いて家に招いてくれた。質素ながらも綺麗に掃除された部屋の中は、とても居心地が良い。
お婆さんはゆっくりとした動作でお茶を運んでくると、また奥の部屋へ行き、今度は別の何かを手に持って現れた。そして小さい袋を私に手渡した。
「ハイこれ。良かったら貰ってくれないかしら」
お婆さんは顔をくしゃくしゃにして、満面の笑みを浮かべながら言う。私は渡された袋を開けて見ると、そこには女性用のパンツが何枚か入っていた。
私は驚いてお婆さんに尋ねた。
「これって……」
「お礼だよ。こんな物しかなくてね、フフフッ」
私は暫し言葉を失った。これは罠か、誰かが私を試しているのではと思い、好意に甘んじることなく断った。
「私は付き添っただけだよ、礼には及ばない」
するとハクが紙袋を咥えて離そうとしない。
『ちょ、ちょっと何やってんのよ!』
紙袋を咥えたハクとの攻防戦が始まる――
『紅のパンツなの! 貰ったの! 僕も穿くの!』
『馬鹿なこと言ってないで放しなさいってば!』
そこへカタッとドアが開いて、若い男が入って来た。軽装ではあるが兵士か冒険者の類いだろう、腰に剣を携えている――お孫さん?
ハクには少し教育が必要だな……。
ハクもパンツ好き……穿く意味ある?