13話 噂話
ライは借りて来た猫のように大人しく、無言で俯く。そうさせてしまったのは私なんだろう、確かめよう。
「はい、珈琲。あのさ、自分の胸に聞けとか石鹸の香りがどうとかって、あれはどういう意味?」
「ああ、石鹸は女性か貴族しか使わない物なんだ。だからその、君が女性であることがわかってしまうのではと、少しキツい言い方をしてしまって、申し訳なかった……すまない」
まさか石鹸にそんか意味があったとは知らなかった。なら全部、私の思い違いだったんだ。
ひとりで勝手にムカついて、無知ゆえの大失態。
それはそうと、ここで疑問。ダグはなぜ私に石鹸を売ってくれるのだろう。まさか女性だとバレているとか、もしくは貴族だと勘違いしているとか。
とは言え、余計な詮索をして藪から蛇では返って困る、触らぬ神に祟りなしだ。それに、もう色々あり過ぎて面倒くさい。
「そうだったんだ、石鹸にそんな意味があったなんて知らなかった。心配させてごめんね、ライ」
「知らなかったのなら、まあ、仕方ないよ。でもそのう、あまり男性と親しくはして欲しくないかな。ほ、ほら、一応用心のためにな、うん!」
「はい、気を付けます。フフッ、ライは優しいね」
「そ、そうかなあ……それよりも、君はなぜ部屋の中でローブを羽織っているんだ?」
何故って、ライラから譲って貰ったキャミソール的なランニングシャツしか着る物がないからだよ。
この国ではブラジャーというものは無いらしいので、当然ノーブラシルエットですが、見たい?
「それがさあ、替えのシャツが無くなっちゃたのよ。だからローブの中は下着だけなの、見る?」
「なっ! み、み、見るわけないだろ!」
ふむ。シャイボーイには刺激が強すぎましたか。
「それでね、ある人からシャツを譲って貰ったのよ、それも2枚も。しかも石鹸の香りがするの、あの人、貴族なのかなあ」
「石鹸の香り? ちょっとそのシャツを見せてくれないか?」
と言われたので、ベッドに置いていたシャツをライに渡した。すると怪訝そうな顔でシャツを睨む。
「……その親切な男性には悪いが、これは俺が預かる。シャツが欲しいなら俺に言え」
急に怒ったような物言いで、シャツを掴む。
「えっ? でもそれが無いと私の服が……」
私が困惑してそう言うと、ライは徐にマントとシャツを脱いで、着ていたシャツを私に差し出した。こ、これは……!
突然と現れた男の裸体に私の目は今、そのたくましい胸筋と割れた腹筋に思わずロックオン。
まるで彫刻のような艶やかな肉体に、ほんのちょっとでもいいから触れてみたいという欲望で動く手をグッと抑え、顔は無表情を保ちつつも、内心バクバクのチキンハートは興奮と動揺で今にも核爆発を起こしそうです!
「ほら、今はそれで我慢してくれ。明日にでも代わりのシャツを持ってくる、いいな!」
ライの声にハッと我に返る、おげれつモブ子。
「……えっ、ああ、り、了解……しました……」
ああ、ライがマントを羽織ってしまった……。
「……じゃ、俺は帰る。また明日な」
「う、うん、気を付けて……」
ライは握りしめたシャツに視線を置きながら、振り向きもせず足速に帰っていった。何事??
はあ、今日はシャイボーイではなくマッスルボーイだったなあ……いや、ご馳走様です。
翌朝――
少し遅く起きた私は、残り物のパンをかじりながら珈琲を淹れる。
今日の仕事は午後からなので、腐れ女子の醜態を晒してしまった事を反省し、出勤の前にこれからの事を考えようと思う。
異世界へ来てまだそう月日は経っていないのに、あれやこれやの不思議体験は数多くあった。
マンモを倒し、冒険者になり、樵の仕事、巡回警備のボランティア、ギルドのイベント、罠にハマった牢屋体験、王宮見学ツアー、兵士との練習試合、そして、魔獣の討伐。
これでダンジョン攻略とか言ったら、男の冒険活劇の何物でもない。確かに、男を想定して異世界へ飛ばされたんだろう。でも実際のところ、女性には変わりないので、もうちょっとこう緩っとね、異世界を楽しみながら歳を重ねたいのだ。
当初から苦労を強いられたパンツ不足。何が楽しくて毎日洗濯せにゃならんのかと、吐いて出るのは愚痴ばかり。衣類大国にも関わらず、衣類不足とか言語道断。
今回の魔獣討伐で改善はされるだろうが、見込みは見込みであって、すぐさま衣類が増えるとは考え難い。これはもう国外へ探しに出た方が得策と考えるのがセオリーでしょ。
マンモ退治でお金も冒険者カードもある。ならば仕事も辞めてパンツ充実生活を目指す旅に出よう。
題して、"パンツ充実無双旅"決まりだな。
善は急げ、何か事が起きる前に、お頭のカイルに仕事のことを話してみよう。
そういえば、今日の待ち合わせ場所はライラの店だった。ついでに昼食も取れるし、一石二鳥だ。
戸締りをして、少し早いが王都へ向かった。
街に着くと、相変わらず買い物客で賑わっている。しかし、いつもとは違う雰囲気が漂う。
彼方此方で人々が肩を寄せ合い、噂話だろうか、ヒソヒソと難しい顔でお喋りを交わす。
事なかれ主義の私は、耳を傾けることなくライラの店へ直行した。
昼時で店の中も客で賑わっているだろうと、ドアを開けるて見ると、客はまばらで静かだ。
中へ入ると、カイルとライラがカウンターに座っていたので、近寄って声を掛ける。
「こんにちはライラ。カイルが一番乗りか。なあ、今日はお客さんが少ない様だけど……」
「あら紅ちゃん。それどころじゃないわよ、お客も街の皆んなもショックで塞ぎ込んでるのよ。どうなっちゃうのかしらねぇ、紅ちゃんはどう思う?」
どうと言われても、何の話かちっともわからない。街の人達の噂話と関係があるのだろうか。
「何かあったの? 街の様子がいつもと違うのは感じたけど。塞ぎ込むとか、よっぽどの事だよね?」
「あら、知らないの? 王女様が隣国へ嫁がれる事になったのよ、皆んな団長さんとの結婚を楽しみにしてたのにね。さっきアルが来て話してたわ」
アルかあ、あいつも暇人だなあ。だが王女の結婚とは驚きだ。でもそうなるとライはどうなるのだろう。婚約破棄ではないのだから、このまま団長を続けられると思うんだけど。
それにしても随分と急な嫁入りだ。
「ねえ、なんで王女様は隣国へ嫁ぐことを承諾したんだ? 団長さんと何かあったとか?」
「ああ、それはなあ、元々は隣国の王子と婚約していたんだが、こっちの大将がふらっと居なくなっちまってな、仕方なく王女が後を継ぐことになって、団長さんに婚約者という白羽の矢が立ったんだよ」
そういう経緯をちゃんと教えろ、無駄な筋書きを想像したではないか。馬鹿ライ。
「えっ、大将ってこの国の王子? じゃなに、王女が嫁ぐってことは王子が戻って来たってこと?」
「そういうことだ。団長さんもホッとしてんじゃないのかなあ、例え相手が王女であっても、さほど好いてもいない女性と結婚なんぞしたいと思わないさ。儂なら御免だね」
流石は私の救世主カイル様、よく心情を見抜いていらっしゃる。
「そう言われると、王女様の横で笑ってる団長さん見たことないわねえ。じゃあさ、団長さんはずっと我慢してたのね、なんだか可哀想……」
ライラが悲しそうな面持ちで話す。王宮の裏事情とでも言うべきか。
だとすると、王女様は政略結婚になるとか?